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島根日日新聞 連載小説 『風の狩人』

第174回  白南風 一

 玉造温泉の玉乃湯≠ナあった県立青山高校の同窓会から、もう三か月近くになる。
 白南風が吹く季節になった。
 梅雨が上がったことを知らせるように、庭の木々が夜明け前のひと雨のせいもあって、緑を濃くしている。
 島根日報へ出掛ける前、縁側に座って庭を眺めるのが日課になった。それだけ年を取ったということなのかもしれない。いや、そうではなくて、余裕が出来たと言うべきだろう。
「高校の時に、小説なんか書いていたんだから、似合ってる」
 高校卒業以来三十八年振りに出会った福宮翔子が同窓会で言ったように、今は島根日報の学芸部長である。
「俺の実力からすれば、ほどほどのお似合いだ」
 優司は、満足している。
 東北新報社出向を終えると、学芸部長代理になった。その後、副部長、部長と、どちらかと言えば順調に役職を経てきたのである。
 手遊びなどと言えば社長に叱られそうだが、社が出している文芸誌『サクセス文学』の編集長も兼ねていた。地方の文芸誌としては、かなりな数と言えるだろうが二千部を刷っている。
 東京の出版社で編集者になる夢は実現しなかったが、編集長という立場で、幾つかのペンネームを使い分け、毎号のように小説や文章関係の小論を載せている。
「若い時の夢、実現というわけね」
 翔子は、そうも言った。
 それもこれも、仙台の東北新報で仕事をしたことが下地になっている。
 もう二十年を超える昔のことだが、仙台で暮らした時は、三十三歳だった。優司は、五十六になった。
「これ――飲んでから、出掛けませんか?」
 仙台で知り合って結婚した妻の亜佐美が、コバルトブルーのコーヒーカップを二つ持って来た。フランスのリモージュにある有名なメーカーの製品で、優司は好んで使っていた。
 ふっと、高瀬結子を思い出した。
「今日はゆっくりですね。社には寄らずに、直接、出雲へ行くんでしょう?」
 西北学院大学で講義をする日だ。
 亜佐美の問い掛けに、頭を軽く振って結子の顔を消す。

第175回  白南風 二

 西北学院は、山陰地方で珍しいと言われる程、多くの学生が在籍する私立大学である。電子関係の専門学校と中学校、高校を持つ西北学園が経営をしている。
 十年くらい前からの少子化による影響で入学者が減るという予測のもとに、魅力ある大学にするという方針を立てていた。その一つが、地域人材の活用である。
 優司は新聞社の学芸部長という立場で、文章論を担当し、小説の書き方を教えている。地方大学では見られない講座で、一週間に二度だが、学生の人気も高かった。
 大学の講義が終わった後、優司は出雲の支社に寄った。
 高瀬川沿いの境町に支社はある。間口が三間ばかりの四階建てだ。優司が支社に居た頃からの建物で、かなり古びていた。
 支社とはいえ、転勤時期には官公庁や企業の幹部が挨拶に訪れることもあって、改築の計画は以前から出ていた。社長の桜川の話では、一年以内に建て替えるということだったが、このところ一頓挫している。
 編集部の窓から見下ろす高瀬川が、いつになく低く見えた。三階から見ているということもあるが、水量が少ないせだろう。 もう、二十年ほど前になる。優司は支社で新しい企画を始めたことを思い出した。
 出雲國風土記にもある美談や鹿園寺などの珍しい地名を探るシリーズだった。
「十六島も、そうだった……」
 呟いた途端、一緒に勤めた渡部史子と本田杏子の二人を思い出した。企画担当を二人のうち、どちらにするかで軋轢が起こりそうだったが、結局、杏子の仕事ということになって落ち着いた。史子が降りたのだ。
 その史子とは、仙台の東北新報へ出向する時に別れた。というよりも、史子に見限られたということかもしれない。
 仙台へ来た葉書には、あなたが居ない職場で仕事をする気がなくなった。十六島で結婚するかもしれないと書かれていた。
 以後、音沙汰がないが、あれからどうしたのだろう。
 本田杏子も、数年後に退職していった。結婚が理由だった。
 優司は、(もし……)と呟いてみる。史子と、あのまま続いていたら、多分、一緒に暮らしていたかもしれない。
 生きて行く道程の曲がり角というのは、不思議である。右へ行くのか左なのか、誰も知らない。

第176回  白南風 三

 中央の出版社に就職して編集者になる。それも芥川賞や直木賞を獲得するような作家を育てる編集者になることが出来ればというのが、若い頃の夢だった。更には、あわよくば、小説を書き、それを生業にすることが出来れば――という思いもあった。
 だがそれは、志望の大学受験に失敗し、敢えなく潰えた。
 だが、島根日報で三十年以上、仕事をしてきたことで、夢の十分の一は手にしたような気もしないではない。作品の内容や質はともかく、文芸誌の『サクセス文学』に好きな小説や評論も書くことが出来ているからである。
 今更、小説家を目指すなどと大それた事を考えているのではない。専業小説家として生計が成り立つというのは、一部の限られた作家に過ぎないからである。
 仕事柄、文芸書の売れ行き低迷は分かっている。出版社が百万部突破などと広告に書いてはいるものの、実際は十万部という例は後を絶たない。それは本をどうすれば売れるかというあがきでしかない。
 古くから、読書は知的な娯楽だった。しかし、今やテレビやインターネットを始めとする娯楽メディアが、手軽に楽しませてくれる。とは言うものの、どの文学賞にしても応募者、つまりは書き手が多いというのは、どういうことなのだろうか。
 小説や随筆などを書いてみたいという人が少なくないのは、今に始まったことではない。 
 かつて、仙台の東北新報に居る間、優司はそのことに気付き、文化欄の充実はもちろんだが作文教室を始めた。島根日報に帰ってからの文芸誌創刊が、大袈裟に言えば夢の実現の一つでもあったのだ。
 出雲の西北学院大学で、文章論の講座を持っているのも、密かな自負である。
 中央で編集者になることは出来なかったが、現在の仕事は自分の能力から言えば満足すべきではないかと、優司は思う。
 島根日報入社、仙台の新聞社に二年間、在社したことなどが、歩む方向を見せてくれたのである。
 出雲市駅に行くために支社を出て高瀬川沿いに歩き、右に折れて代官町に入った。
 渡部史子と一緒に飲んだことのある居酒屋亀楽≠ヘ、出雲神楽≠ニ名を変えていた。もう二十年になる……と、優司は思った。

第177回  白南風 四

 来月から仙台の東北新報へ出向する出雲支社の若い社員の壮行会は、その出雲神楽≠セった。優司は部長の立場で特別に参加した。
 適当なところで切り上げ、優司は一足先に店を出て、出雲市駅から電車に乗り、松江に着いたのは、午後九時だった。
 JR松江駅から歩いて三分のところに、優司の住まいがある。大橋川沿いに建っているマンションリバー御手船場≠フ部屋から見下ろす川の風情に惹かれ、二か月前に買った。川向こうには、総ガラス張りの国の合同庁舎があり、更に、北山が見える。駅や百貨店にも近く、便利だった。
 マンションは上層階になる程、価格が高くなる。十階の部屋は、収入からいえば安い買い物ではなかったが、長男と長女は、既に結婚して別の所に住んでいることもあり、退職後は、ゆっくりとした時間を過ごしたいと考えてのことだった。
 エントランスとエレベーターホールの二箇所にあるオートロックを解除して、十階まで上がった。
 合同庁舎の窓は全て明かりが点き、隣の大型家電店も、これみよがしの電飾を見せていた。
「焼酎のロック……ですか?」
 着替えてリビングに入ると、妻の亜佐美が聞いた。
 亜佐美と松江に帰って一緒になったのは、東北新報での勤めが終わった翌年の春だった。
 亜佐美に初めて会ったのは、仙台へ赴任した冬である。住んでいたマンションのハウスキーパーとして、仙台アシストサービスから亜佐美の母は派遣されていた。たまたま手首を骨折した母の代わりに来たことから知り合う。毎週一回だけ来ていたのだが、それが二回になり三回になった。半年後、亜佐美は優司の部屋で暮らし始めた。
「今年も若い人が仙台に行くんですね?」
 対岸の明かりを映した大橋川を見ながら、亜佐美がグラスに氷と焼酎を入れる。「そうだよ。あの頃の俺のようにね」
「大橋川を見ていると、仙台の広瀬川を思い出すわ」
 亜佐美が、(私も……)と言いながら、優司の飲んでいるグラスに口を付けた。
「仙台の二年間は、楽しかった」
「私の前に、好きな人――居たでしょう?」
 亜佐美が、悪戯っぽい目をして言った。

第178回  白南風 四(最終回)

 ふた昔も前のことだ。(そんなことが、あったかな?)と呟き、素知らぬ顔をする。
「この間、山形に帰った時、母がちらりと……言ってましたよ」
 高瀬結子のことだろう。仙台で暮らした優司のマンションに、ハウスキーパーで来ていたのだから、結子の存在を感じていたに違いない。
 亜佐美が結婚して松江に来ると、母は蔵王温泉の実家で暮らし始めた。
 少し前、亜佐美が里帰りをしたから、仙台の話が出たのだろう。
「そりゃ、男だから好ましいなって……思った女の人は何人か居たさ」
「思っただけ?」
 亜佐美は笑っている。焼酎のせいだろうが、目の下が薄赤い。
「どうだっていいじゃないか。時効さ」
「ほら……やっぱり。時効だなんて」
 亜佐美は笑い、優司も笑った。
 生きていれば長い間には、いろいろなことがある。亜佐美も同じだろう。だが、こんなことを冗談めかして言えるようになるということは、平穏無事に過ごして来たということではないか。
 しかし、優司は高瀬結子のことを忘れてはいない。高橋潔に不運をもたらしたスキー事故と、それを支えようとした結子の辛い思いを優司は胸の奥に閉ざしている。
 誰でもそうだろうが、どうしても捨て切れないものがある。しかも、それは年を取る度に増えていく。
 結子とのことを疚しいとは思っていない。それは男の身勝手さだと言われるかもしれない。謗られたとしても、自分の腕の中で一刻の安らぎを結子に与えることが出来たのだから、それでよかったと思うのである。結子は、あの頃、潔を愛しながらも、自分自身へ愛の言葉が欲しかったのだ。
 恋や愛は、常に一方的で、我が儘である。計算や理屈でもない。
 人との出会いは不思議である。仙台駅前のバス停で結子に出会わなかったら、あるいは、亜佐美にも巡り合ってはいないかもしれない。
 高校の時の翔子に浩子、津山の井杉鈴子、出雲の史子と杏子、仙台の結子の顔が浮かぶ。その時々に吹く風に乗って現れ、そして消えていった。
 若かった頃のことだ――そう思いながら、優司は微笑む亜佐美の顔を見た。