鑑賞席

  佐々木良治第6回作品展

    山陰中央新報 平成14年4月29日掲載

 アトリエは、島根半島北山の山麓にあった。制作中のキャンバス、美術書や美術雑誌も並ぶ。アトリエに続く書斎にも、渋澤龍彦全集、ジョルジュ・バタイユなどの著作、哲学書、海外文学書が、いまにも崩れ落ちかるかと思うほどぎっしりと積まれている。
 佐々木良治氏が絵を始めたのは、中学生のときである。以後、独学で突き進む。本格的に描き始めたのは二十歳だった。最初の頃は風景、そしてしだいに抽象に入る。
 平成三年、画布に向かっていた氏は、突然、何かに魅せられたかのごとく絵筆を動かし、絵の具を叩きつける。内面に蠢いていたものが躍動し、突き動かされるような気持ちの中で原色の「生成」が誕生した。新しいエロチシズムの世界が氏の前に現れたのである。内面の風景であることには間違いないのだが、何がそうさせたのか、自分でもよく分からないという。
 おそらくその源流は、これまで読んできた、そしてうず高く重なった書物の中にあるのではないかと思われる。平成七年、氏は渋澤龍彦の論評「マルジナリア」を書いた。誰でも、渋澤の多くの作品からは妖しい目眩を感じ、細部には川端康成の美しいものへの憧れ、三島由紀夫の絢爛さをうかがい知ることができる。だが、渋沢の視点は極めて西洋的でもあるのだ。一連の「生成」からは、渋沢の作品などから培われてきた氏の西洋的、哲学的な感性が人間の立体的構造を形づくるダイナミズムとなって我々の前に迫るのである。
 氏は、「描くこと以外で興味のあることと言えば、やはり海外文学、『エロチシズム』を書いたバタイユの哲学、ボードレール、ランボーの詩か……」、そして、「深夜、静かな闇に囲まれてキャンバスに向かうと、もうひとりの私がそこにあり、ペインティングするうちにエロスが生成されるのです」と言う。
 北山から吹きおろす初夏の爽やかな風が、人生そのものがアートだ、とするひとりの画家を包んでいる。五月に開催される第六回作品展では、さらなる新しい側面を見ることができると期待する。