芝木好子 山陰の人
芥川賞作家である著者は、古い時代のことだが島根との関わりがある。
芝木家の先祖は石見の国、浜田藩の出であった。そのせいか、山陰を舞台
にした短編が数編ある。
短編「山陰の人」の舞台は弓ヶ浜半島と松江である。雑誌社の仕事で浜
絣の取材に東京から来た恭子は、実家が浜絣の織り元で染色家の直子と米
子で再会する。その夜は、おそらく皆生温泉だと思われるところで松葉蟹
を食べ、翌日は松江の博物館に行き、大学院を出て松江の大学に就職して
いた宇田という独身の男にも出会う。恭子は独身になっている直子と宇田
が結びつくのかなという思いを持つが、勝手な思いであった。
この小説が書かれたのは昭和40年代の後半である。「大きいとは言え
ない空港」「古い飛行機」などという言葉があり、当時の米子空港の風景
をよく現している。また、小説の前半でさりげなく昔の浜絣、藍瓶での染
め方や織り方などが描かれる。……「昔はどの家も着物から夜具から風呂
敷から赤ちゃんのおしめまで織りましたですよ。」「ここの白砂には、そ
れは良い伯州綿がとれましてね、昔は伯耆や出雲からも女たちが集まって
糸をつむいだり、綿布を織って、稼いで帰りました。山陰の女はそれはよ
く働いたものです。」……とあり、さらに現在の後継者の無いことなどに
もさらりと触れている。絣が出てくるので当然だが、この小説には色が巧
みに使われている。青磁の反物、朱の帯、赤い蝶のきものや藍もめん、そ
れらを身につけた女の「耳はあかく透けて」など、色が見えるというのも
面白い。
後半は、米子から松江の風景が描かれている。……車は安来から東出雲
を通るドライブで、町中を走りぬけても人影は少なかった。するうち島根
半島に囲まれた中海が見えてきて、海面にシベリアから渡ってきた鴨と白
鳥が群れていた。ーー松江の町に入ると、美しい宍道湖が現れた。この城
下町に恭子は長いことあこがれていたが、濠の水を写した旧い家居はほん
の一画しかなかった。……
宍道湖が美しいというのはそうだが、「山陰の冬は、それは鬱陶しい」
とある。そう書かないと山陰ではないのかもしれない。「山陰の人」が書
かれてから20年を超えているが、この小説に登場した織り手や絣の店は
どうなっているのだろうか。
昭和47年 講談社刊 京の小袖 所収
島根日日新聞連載4 平成12年1月22日 古 浦 義 己