森 真沙子 図書室/墜ちる鳩
「幾重にも霞む山なみに囲まれたこの松江は、町なかに堀割や川や湖を抱えた、陰影に富
んだ城下町である。学校までは自転車で十分くらい。城山公園の下を抜けて行く通学路に、
ラフカディオ・ハーンの旧居があって、行きに帰りにその侘びたたたずまいを横目に、走り
抜ける。図書室にもハーンの著作や研究書が揃っていて、わたしはここに転校してきて初め
て、平井呈一の訳による小泉八雲の怪談集を読んだ。」
五つの連作短編を収録した学園ホラー小説「転校生」の中のひとつが「図書室/墜ちる鳩」
である。ある高等学校の図書室で起こる事件が描かれるが、高校名は書かれてはいない。し
かし、「自転車で十分くらい。城山公園の下を抜けて……」となれば市内の北にある県立松
江北高等学校がそれと思われる。
この学校に転校してきた有本咲子(えみこ)が図書室で読もうとする本には全て、黒崎薫
という生徒が借り出した記録があった。咲子の担任は、黒崎薫は3年前の10月13日に学
校の3階から飛び降りて死んだと言う。ある日、咲子は図書室の隅の棚で「墜ちる鳩」とい
うパンフレットのように薄い本を見つける。
著者は猿岡喜六、序文には「ラフカディオ・ヘルンが、怪談集に入れんとて準備せし怪談
の中に、一篇のみ収録されざるものあり」と書かれていた。
咲子は貸出カードを見て、黒崎薫の名があり、さらに返却日が3年前の10月13日になっ
ていることに驚く。
咲子はこの本を黒崎薫が作った偽書ではないかと思ったとたんに、「くろさきかおる」は
文字を動かせば「さるおかきろく」になることに気づく。
その咲子は図書室前の鏡の中に別の自分と世界を見た。
咲子が鏡の中に誘い込まれると思ったとき、友達が自分を呼ぶ悲鳴を聞いた。
咲子は、何かの媚薬でも飲んだ恍惚感と共に大きく開けられた窓枠をまたいで越えようと
していたのである。
サブタイトルに使われた「墜ちる」という文字は、黒崎薫の屈折した軌跡を的確に表現し
た文字である。また、小説の中に使われている怪談集に載せられなかったとする話は、地獄
の胎内めぐりを扱っており鬼気迫るストーリーである。
斐伊川沿いにあるとする影踏みわらべ唄を素材にした「鬼の影/花渡伝説考」は、岡本綺
堂の「影を踏まれた女」と合わせ読むと面白い作品で、何度か山陰を訪れた著者ならではの
興味ある幻想小説である。
転校生 平成5年刊 角川ホラー文庫
島根日日新聞連載9 平成12年2月26日 古 浦 義 己