村松友視 時代屋の女房・怪談篇
タイトルはおどろおどろしい時代小説のようだが、舞台は全て現代の出雲である。松江に
住む幾人かの実在人物もモデルとして登場する。
その幕開けは、東京から家出をして来た真弓という女が八束郡八束町、つまり大根島の海
に横たわる奇怪な廃船に驚く場面である。 真弓は一緒に暮らしている骨董屋、安さんとい
う男のところから家出をする。真弓を探して、安さん、友達のクリーニング屋、喫茶店のマ
スターの三人が出雲にやって来る。ストーリーの展開にからむのは、松江大橋北詰に実在す
る「山小舎」というバーのマスターと力道山に似た松江の写真家。一方、真弓は廃船の前で
正体不明の男から「みやこ花」を貰って知り合いになる。それらの男と女が出雲のあちらこ
ちらを歩きまわった。松江周辺では、玉造温泉で湯を浴び、美保関では焼きイカを食べる。
松江市内では寺町の松本蕎麦屋でわりごを食べ、かつての大劇横町を訪ね、宍道湖畔の小泉
八雲文学碑を見る。出雲大社の巨木に驚き、日御碕の景観に感嘆する。再び松江に帰って、
蔦のからまるレンガ造りの喫茶店、小泉八雲旧居から菅田庵に足を伸ばす。八重垣神社の巨
根に驚き、鏡の池で行き先を占う。
真弓は追って来た三人とすれ違いながら、松江の旅館団地西にあるお湯かけ地蔵から正体
不明の男と一緒にモーターボートを大根島まで飛ばす。廃船の中で男は「みやこ花」を残し
て忽然と消えた。真弓が一緒に出雲を旅したのは幽霊だったのである。
平成2年5月の「小説新潮」に掲載された「八雲たなびく町」という紀行文がある。冒頭
に「松江という町へ何度も行くようになったのは、今から考えれば奇妙なきっかけだった。」
と書かれ、著者は小説と同じように米子空港から大根島の廃船を眺めた。さらに「廃船のけ
しきはいかにも私好みの世界だ。……廃船のけしきに手招きされて――と言えばいささか大
袈裟だが、私は『時代屋の女房』の三作目を、出雲の世界を舞台にして書いて見ようと思っ
た。」とある。
登場人物があらぬ世界の男と出雲を旅をしたこの小説は、神々の国にふさわしい。
著者は、昭和55年に「私、プロレスの味方です」でデビューし、2年後に3作ある内の
最初の「時代屋の女房」で直木賞。都会人の哀歓を描く小説、自伝的長編もある。著者の祖
父は大衆小説作家の村松梢風。
昭和61年 角川書店刊