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  今 東光  悪 名

 宍道湖が窓から見える二階にお絹と朝吉は落ちついた。
 お照は直ぐ近くの知合いの小母さんの家に貞やんと二人、ささやかな世帯を持った。朝吉等はお照の家で食事をすることにし、二階は隠れ家という形だった。
 出雲路に落ちて来て間もなく雪が降りそめ、おかげであまり外出する折もなかったので、彼等の面体を知られるおそれもなく、もっぱら炬燵にもぐり込んで日を送ってしまった。

……中略……

 一体に松江は茶匠の殿様がいたせいか食物は贅沢だ。雪の季節に落人のようにしてこの土地に入り込んでみると、ただ喰い物だけがこよなく楽しい。外に出るといっても積雪では思うようにならない。炬燵にもぐって女と戯れていると、食物だけなりと楽しみがなかったら直ぐ恐ろしいような退屈がくるのだ。お照はよく赤貝の飯をたいた。これもうまい。大いに食欲をそそられた。中海でとれる赤貝をこんだ飯は実は米子の名物なのだそうだが、この赤貝を醤油、味醂、砂糖で煮た赤貝の殻蒸しというのは最も美味だった。                   

                              昭和48年 読売新聞社刊