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連載小説「原色の構図」 島根日日新聞掲載

第251回

 会社が借りていた部屋があったのかどうか、勤めていた頃は部署が違うせいもあって聞いてはいなかった。社員のために部屋を確保したのは、辞めてから後のことかもしれない。
「そうなんですか……」
 亮輔は、自分が置き去りにされたような気がして面白くない。七瀬から直接に聞いてはいないし、辞めてしまったから関係はない。だが、以前に居た会社のことで知らない話があるというのは気になる。
「マンションの部屋と言っても、1DKの小さなものらしいけど」
 会社としては、住居手当を負担するよりも借りた部屋を格安で社員に入らせれば、何かと得策かもしれない。数部屋を一括して借りるという条件で、入居費を落としてもらっているかもしれない。
 そんなことを考えるのも、千秋と一緒に仕事をするようになって、不動産のことが多少でも分かるようになったからでもある。会社の負担は半額くらいのものだろう。
 それにしても、七瀬のような学生からすれば、かなり助かるはずである。だが、七瀬は社員ではない。アルバイトにしか過ぎないのだ。
「でも、東洋自動車販売では、社員じゃなくてアルバイトのはずですが?」
「そうなのよ。でも……」
 明子の躊躇いが、電話を通して伝わってくる。
「でもって?」
「七瀬ちゃんから聞いてないの?」
「ずっと会ってないし、忙しいっていう話だから連絡を取ってないんです」
「会社のツテで、金星自動車のポスターに載るんですって」
「金星自動車って、ルシファーという車を作ってる会社ですよ。そのポスター?」
「ええ、なんて言うのかな、キャンペーンガールとかイメージガールってあるでしょう。あれよ」.
 ポスターのモデルとまではいかないだろうが、新車が出た時に、あちこちである発表会の仕事だろう。新車を引き立てるために、ステージに立ったりする。
「どうしてまたそんな」
「よくは知らないけど……」
「卒業したら、オーストラリアに行くという計画は?」
「いつでも行けるからって」
 呆れると同時に、羨ましいとも思う。近いうちに行くと言い、亮輔は電話を切った。

第252回

 今年の正月、米子の夏夫の家には行かなかった。だから、かなり長い間、夏夫や明子に会っていないのである。七瀬は、夏夫の家に顔を出しているようだが、知らないことが多すぎる気もしないではない。
 それにしても、とまた亮輔は考える。七瀬は、時々、突拍子もないことを言うので驚かされる。
 もう一年以上も前のことだった。松江の北公園で、サッカーまがいのボール蹴りをして遊んだことがある。そのことのためだけに、七瀬は住んでいた米子から出て来た。
 英会話を勉強するための旅費を作るために、絵のモデルをするというのもそうである。英会話なら、オーストラリアではなく、普通ならアメリカあたりに行くのではないか。考えようによっては、日本国内でも充分間に合うはずだ。一度行ったことがあるとか、発音が特異だからいいのだ、というのが理由だったが、その計画を止めて、今度は車の宣伝モデルである。
 若いというのは、そういうことなのだろうかと思う。それにしても自由でいい。 
 七瀬と年齢は十ばかり違うが、それほど年代が離れているとは思っていない。だが、どうやら、かなりな意識の差がありそうだ。
 七瀬に刺激された訳ではないけれども、外国に行ってみようかと思う。
 千秋は、岩谷賞の記念にフランス辺りへどうかと言っていた。フランスには、一度だけ行ったことがある。五年程前、コートダジュール南フランス芸術祭≠ノ作品を出した時だ。その時には、作品展示もだったが、フランスの画家達との交流は意味があったと、今でも思っている。
 費用は充分にある。時間もだった。
 東洋自動車販売会社に勤めていた頃は、営業という仕事もあって、日取りをやり繰りしてフランスへ行った記憶がある。
 気ままに美術館を見て歩くのもいいかもしれない。どこかの公園で、スケッチをしてもいい。二十日もあれば、何かの収穫はある。
 ルーブル美術館の入場料は、六ユーロだから約八百円ばかりだ。例えば、十日間通い続けたとしても、さほどの費用ではない。
 パリには、約四百軒のホテルがある。安い所もあるから、日本円で一泊一万円を出したとしても二十万円で足りる。
 考えていると、満ち足りた気分になり、七瀬の顔も忘れそうである。勤めていた頃に比べると、まるで大違いだった。
 亮輔は、フランスに行こうと思った。

第253回

 一度行ったことがあるとはいえ、五年前は三日間のパリだった。往復の旅費を何とかして工面したが、長い滞在のための費用を作ることが出来ず、二泊三日の、いわば駆け足であった。
 今度行くとすれば、数日ではもったいないから予備知識も必要である。
 パリのガイドブックを買うために、亮輔は松江市郊外の田和山町にある大型書店に行った。市内では最も大きい店である。東西に入口があるが、亮輔は東側から入った。自動ドアの右側に棚があり、パンフレット類が置かれている。
 端から見ていると、中程に夢の杜美術館 と書かれた葉書大のチラシがあった。手に取ってみると、民家のような和風の建物の写真が添えられている。
――小さな夢がやっと叶いました。日本一小さな個人美術館です。小さな分だけ、より良い展示を目指します。お茶でも飲みながら、ゆったりとした時間との対話はいかがですか。――
 そうも書かれていた。
 展示の内容は、近代や現代の版画のようであった。
 行ってみようかと、亮輔は思った。場所は、米子市の錦海公園の前である。安来市との県境だから、そう遠くはない。携帯の時計を見ると、午前十時半である。高速道を利用すれば、三十分もあれば充分だ。ついでに、夏夫の会社に寄ってもいい。
 フランスのガイドブックを買って、店を出た。
 高速を安来で下り、県境を跨げば米子市に入る。
 祇園町を過ぎると錦海町で、米子医療福祉専門学校の案内板が、国道の左側にあった。それを見て左折すると、目的の美術館は左側にあった。
 気付かずに通り過ぎてしまうような小さな看板が、街路樹に架けられていた。書店で見たパンフレットのとおり、ごく普通の住宅だった。
 玄関の正面には二階へ通じる階段があり、右手のドアに展示室と書かれた金属製のプレートが取り付けられていた。上がり口に揃えられたスリッパを履く。
 二十畳程の部屋の中央にはソファが置かれていた。入口右に小型の机と椅子がある。来館者が名前を記入するのか、一冊のノートがあった。亮輔の顔を見て、ソファに座っていた六十過ぎと思える初老の男が立ち上がり、(いらっしゃい)と声を掛けた。

第254回

 受付の机に置かれたノートの横に、写真立てのような額があり、特別企画料金七百円と書かれている。
 亮輔は七百円を払い、ノートに名前を書いた。
「松江から来られたのですか。遠い所からようこそ。石田です」
 石田というのは、館長としてパンフレットに載っていた名前である。
「どなたの紹介で?」
「紹介ではなくて、松江の書店に案内パンフレットがあったものですから」
 展示してあるのは二十数点だが、全て河内幸成の版画だった。
 河内幸成は、昭和二十三年に山梨県で生まれているから六十歳前である。
 日本版画協会展、ノルウェー国際版画ビエンナーレ展で、それぞれ最優秀賞を受賞したりして、版画の世界ではまさに国際的に名を知られていた。
 河内の版画は、独創的な木版画凹凸摺りで、現代を斬新なイメージで表現しようとする。線の部分は凹版形式でインクをつめて摺り、自在で自由な線と木目を生かす。新鮮な感覚で素材を取り上げ、躍動感溢れるものに仕上がっている。
「河内の版画もそうですが、日本のものは、独特の世界を持ってます」
 奥の部屋からコーヒーを持って来た石田は、話し好きらしかった。
「油絵はなかなか世界に通用しませんが、版画だけは特別ですね」
 亮輔もそう思っている。
「この美術館は、版画だけなんですか?」「ええ、そうです。三つの考えをもとに、五年前に開館しました」
「と言われますと……」
「版画、それも世界的に名の知れたものだけで、それを月に一度というサイクルで展示替えをするということなんです」 
「全てコレクションで?」
「いえ、もちろん、それだけでは展示が難しいですから、借りることもします」
 それにしても、相当な内容のものと点数が必要である。
「凄いお話ですね。それにしても、小さな夢という名前は……」
「いやいや、小さな小さな夢が叶えられたってことですよ」
 石田は、楽しそうに笑った。羨ましい、と亮輔は思う。
「ごめんください」
 玄関に女の声がした。

第255回

 一時間ばかり話し込んでいたのだが、その間、誰も来なかった。
 全国各地から来てもらっていると石田は言うが、来館者の名前を書くノートには日付が書かれていなかった。一日にどれくらいの人が訪れるのか分からない。もちろん、日によって違うのだろうが、わざわざ聞く必要もない。
「どうぞ」
 石田は立ち上がると、ドアを開けた。
「お一人見えています。お入りください」
「失礼します」
 女の(あら……)という声が続いた。
「伊折さん」
 相良美樹だった。
「相良さんは、どうしてここに?」
「紹介って言うのか……」
 石田が、目を美樹から亮輔に移した。
「お知り合いですか?」
「ええ……」
 亮輔と美樹は同時に答えて笑った。
 美樹に会うのは久し振りだった。世の中は狭いと思った。倉敷のことが思い出されたからだ。
 岩谷賞の授賞式で、美樹の妹に会ったのだ。島根日報の学芸記者をしている相良綾子である。
 二人のやりとりを聞いていた石田が、穏やかな笑顔を見せた。
「ここでは、よくこういうことがあるんですよ」 
 お茶を持って来ますよ、と言って奥の部屋に消えた。
「伊折さん、失礼してて済みません」
「いえ、僕の方こそ」
 相良美樹との合同展は、去年の秋だった。忘れていた訳ではないが、美樹の作品をカフェ・ロワールに並べるたらどうだろうかと話をしたことがある。千秋には、未だ相談をしていなかった。
「相良さんは、どなたの紹介でここに?」
「紹介っていうか……。あ、そうだ。綾子に会われたそうですね」
「倉敷で……。妹さんにはお世話になって」
「岩谷賞、おめでとうございました。綾子から聞いたんです。この美術館のことを」
「綾子さんから……ですか」
「綾子は、米子の本山夏夫さんから」
 まるで網の目だと、亮輔は不思議な気がする。人間は互いに見ず知らずであっても、どこかで繋がっている。
「お待たせしました」
 石田がコーヒーを運んで来た。

第256回

 大型のソファに座り、四方の壁面に架けられた版画を見ながらコーヒーを飲んでいると、まるでサロンのようだった。
「特別席のようだわ」
 美樹が呟いた。
「座るとちょうど絵が目線の所に行きますね。ちょうどいい感じではないですか? ゆっくりと見てもらうために、こんな造りにしたんです」
 建物全体が合掌造りのような形になっていて、中央に居住区として使われている二階がある。
 展示室の白い天井には、大きな茶色の梁が露出している部分があった。版画収集の趣味からの出発だろうが、こだわりに亮輔は感心する。
「素敵ですね」
 美樹が、天井を見て言った。
「版画だけ並べられているというのが、ユニークだと思うんです」
 亮輔は、抽象とまでは言えない半具象の版画の何かに惹かれるものを感じた。
 時計を見ると、昼をかなり過ぎている。
 美術館を出て、道路を隔てた駐車場まで歩きながら、亮輔は昼食を一緒にと美樹を誘った。
「私……米子の陶器屋さんに約束があるんです。午後一時半なんで、今日はちょっと無理かと……」
「じゃあ、またいつか」
「紗納さんによろしくお伝えください」
 ホンダの赤いステップワゴンが九号線を東に走り去るのを見て、亮輔は西に向かった。直ぐに県境である。
 日本人は版画が好きなのだなと、改めて思った。浮世絵版画のDNAが残っているのではないか。
 展示されていた『飛べ北斎』は、浮世絵の世界と現代が見事に調和していた。
 悪天候でもなさそうだが、巨大な悪魔の手のようなうねりが砕け散る。藍色の海は同じ色ではない。黒に近い藍、あるいは淡い藍の上に白い波頭が乗っている。
 その波の中から、飛ばないはずの鶏が列を作って飛んでいる。飛ぶというより、飛び出して行く。
 抽象のようであるが、そうではない。
(抽象……具象……半具象……抽象)と、亮輔は声を出して言ってみた。何かが体の奥で動いた。
 車は、東出雲町に入っていた。
 夏夫の会社に寄るのを忘れた、と亮輔は気が付く。 

第257回

 九号線沿いにあるスーパーの駐車場に車を乗り入れ、亮輔は北陽放送に電話をした。
 いつものように報道部の受付が出て、夏夫につないでくれた。
「島根日報に書いてくれた解説文は、なかなかよかった。お礼を言うのが遅くなってしまった」
「ちょっと持ち上げすぎたか?」
「お前らしいよ」
 そうは言いながらも、書かれていた、背水の陣を敷いたのであるとか、人生そのものがアートだというのを読むと、さすがに文章は上手いと思う。報道記者だけのことはある。亮輔は夏夫にその言葉を言ったわけではない。亮輔が話したことの端々から感じ取ったことを書いたのだ。
「知ってるとは思うけれども、県境の所にある夢の杜美術館≠ヨ行って来た」
「ああ、石田さんの美術館か」
「なかなかよかったよ」
「どういうことが?」
 報道記者らしいと亮輔は思う。よかったというのは、何も言っていないと同じである。具体性がない。
「個人で、あれだけの展示が出来るというのがな」
「そうだな。いずれ出雲のギャラリーっていうのか、カフェ・ロワールなんかもそんな方向に行ったらどうかね」
 亮輔は、ソファに座ってコーヒーを飲んだことを思い出した。千秋の考え方も同じだった。くつろぎの空間を演出したいということである。
「展示してある版画もいい」
「河内幸成だったかな?」
「そうだ。飛べ北斎≠チていうのがあって、波の中から鶏が飛び出していくというのも、想像力をかき立てられるし……」
「見えているものの中から、使いたいことだけを持ってきたということか……」
「どういう意味だ?」
 暫く夏夫は黙っていた。
「つまり、イメージを取り出すと言ってもいいかもしれない」
 それとない夏夫の話は、説得力があると亮輔は思った。
「もっと言えば、物の形に頼らないで、描き手の感情を表現するということか」
 夏夫は、抽象画のことを言っている。
「何が描いてあるのか、分からないという人も居るだろうがな」
 夏夫は、そう続けた。
 抽象か……と、亮輔は呟く。

第258回

 抽象の対にあるのは具象である。見えるものに近い絵を描く、具体的な像を目指すという意味で具象と言う。乱暴な言い方をすれば、具体的なものがそれだと分かるように描かれているのが具象であり、そうでないものが抽象ということになる。
 抽象絵画は、二十世紀になってから誕生した。そして、戦後になって大きく取り上げられるようになる。絵の枠組みを拡大するという方向で進んできたものの、あくまでも絵でなくてはならない。テーマも表現の形式も自由だが、そのことから絵とは何かを問いかけもしているのである。
「美術館に行って、よく分からないが何となく別の世界の入口に立ったような気がしたんだ」
「版画をやるってことか? 近頃は悠々だな。羨ましい」
「いや、そうじゃない……」
「河内の版画は、なかなか面白い」
 先週、東京へ行く用事があり、その時に河内展を見たのだと夏夫は言った。
「絵を見ていて、ある一定の方向に、しかも完全に、画面が組み立てられているように感じたんだ」
「見る人によって違うだろうが、そういう見方もあるかもしれない」
「この間、椿の枝を見ていたのだ」
「何だ、また急に」
 亮輔は、雪の中で椿を見て気が付いたことがある。椿に限らないだろうが、小さく分かれて出ている枝の殆どが、規則正しく同じ角度で斜めになって伸びているのである。下から上へと眺めていると、リズミカルに響き合っているようだった。
 枝の間から、その後にある白い雪や花の赤い色が覗いていた。まるで、枝という線の間に多彩な色彩が散りばめられているようにも見えたのだ。
「なるほど、面白い見方だ」
 夏夫が感心したような声を出した。
「版画を見ていたら、そのことを思い出したんだ」
「それがお前の言う新しい世界の話か?」
 そういう訳ではないが、と亮輔は笑った。
「ところで、フランスに行ってみようと思ってる」
「それはまたどうして……」
「時間と金に余裕が出来たし、それこそ何かが見付かるかもしれないと思ってな」
「賛成だね。行って来たらいい」
 計画が出来たら連絡すると言って、亮輔は電話を終えた。

第259回

 国道九号線を松江に向かって走らせた。歩道を二人連れの女が歩いている。何を話しているのか、楽しげである。その背中を見ながら、亮輔は、ふっと心の奥を横切る一抹の不安に気付く。
 このままでいいのかと思う。山があれば、どん底の谷があるはずだ。谷底に墜ちたとしても、いつかは這い上がれるはずだと信じて、これまでやってきた。勿論、これからもそうであることは間違いないが、波に乗っているだけに、次はかなり深い奈落が待っているような気もしないではない。
 描いている絵が、本当に良いものか面白いものかと確かめるために、いろいろな公募に出している。岩谷賞もだが、これまで幾つかの賞を取ってきた。だから、もっと上を目指そうとしている。
 二十代の頃は、絵が好きだという理由だけで描いていた。千秋と出会ってから、絵を取り巻く暮らしは、まるきり変わった。絵もそこそこ売れるようになった。そうなると、意識の底で、今度は世間に名前を知られたい、もっと絵が売れるようになりたいという気持ちが流れる。
 その流れの中に、不安という堰が出来てくる。描いている絵が飽きられるのではないか、つまりは売れなくなるのではないかという怖れのようなものである。
 画家は画商から描いてくれと頼まれるのが普通である。画商から絵に対する画料を貰う。だから、注文がなければ収入がないことになる。千秋は画商ではないが、さまざまな手段で絵を売ってくれている。その点では心配はないが、もし千秋が去ってしまったらどうなるのか。
 千秋という後ろ盾がなくても、画家としてやっていくためには、どこかの団体に所属し、その中で地位や立場を認められていくというのが無難な方法である。そういうシステムを嫌う画家もあるが、余程の能力がない限り安穏として暮らすことは出来ないはずだ。
 倉敷中央美術館の岩谷は力になると言ってくれたが、本当に絵が認められるということは、そういう陰の力だけではなく、作品の価値である。
 亮輔は何かの団体に所属する気持ちは、今のところ持ってはいない。岩谷から、そういう話があるかもしれないが、そうなったら考える。
 ともあれ、もっと力を付けなければいけない。どうしてもフランスに行こうと思いながら、亮輔は車を走らせる。

第260回

 千秋が出雲に帰って来たのは、節分が過ぎて三日後だった。節分荒れという言葉が昔からある。そのとおり雪が降ったが、例年のように数日で消えていた。このところ、年と共に雪の積もる日が減っている。
「萩はどうだった?」
 千秋は半月以上も萩に居たことになるが、それにしてもまた出雲で何週間か仕事をするのだろう。家庭を放り出しておいていいものだろうかと、亮輔はいつも思う。
「心配?」
 亮輔の思いを見越したように言う。
「……というか、家の方は?」
「何それ。主人のことを言ってるの?」
 月の内、半分以上も家に居ないことになるが、それはいいのかと、以前にも千秋に聞いたことがある。
「まあね」
「そんなこと気にすることはないわ」
 二人居るはずの子どものことは、どうなのだと聞いてみる。
「長男は東京、次男は大阪。どっちも大学生だから、どうということはないの」
 初めて聞く話だった。千秋と関係が深まるにつれ、家庭のことを知ったとしても、どうなるものでもないという気持ちがあったから、その話題は避けるようにしていたのだ。
「主人は、焼き物のことだけやってるしね」
「……」
「私は独身みたいなもの」
 独身のようなものとはいうが、亮輔はその辺りのことがどうも不思議である。
 その思いを振り払うように、亮輔は話題を変えた。
「フランスに行こうと思う」
「前から言ってるじゃない」
「二十日間くらいかな」
「もっと長くてもいいかもしれないわ」
「一緒にどう……」
 千秋は、遠くを見るような目をした。
 フランスには、少なくとも三週間くらいは居たい。二人で行くのは、萩の自宅や出雲の仕事のことも考えると無理だろう。
「勉強に行くんでしょう。私と旅行するっていう気持ちは駄目よ」
 千秋が笑った。
「行ったとしても、二週間も三週間もというのは難しいわね」
「それはそうだ」
「二、三日くらいなら大丈夫かもしれない」
 考えておくわよと千秋が言い、その話は終わりになった。

第261回

 三月に入って、二日目だった。フランス行きの準備は終わっていた。
 出雲空港から夕方に出る東京行に乗り、成田空港と隣り合わせのマロウドインターナショナルホテル成田≠ナ一泊する。最上階のレストランから、空港を離着陸する飛行機が見えるというのが売り物のホテルだった。シングルが二万円近い。少しもったいないとは思ったが、空港近くが疲れなくていいと千秋が勧めたのだ。
 千秋は亮輔がパリに着いてから、一週間後に来ることになっている。
 亮輔は二十日ばかり滞在するが、千秋は仕事の都合があり、二泊だけで日本へ帰る予定を立てていた。
 パリへ行くと決めてから、亮輔は忙しかった。何年振りかの海外で、しかも、パスポートの準備も新たにしなければいけなかったからである。松江のくにびきメッセにある島根県パスポートセンターに行き、書類を揃えて受け取った。
 パスポートには、五年券と十年券の二種類がある。何度も海外に行くことはないだろうと、五年のものしか作っていなかったのだ。ちょうど期限切れだった。
 トラベラーズチェックも必要だった。クレジットカードも新たに作った。千秋が持っていた方がいいと言ったのだ。使い方は、日本での場合とほぼ同じで、紛失したとしても再発行が可能である。海外では国際クレジットカードが身分証明書の代わりにもなったりする。両替レートは、トラベラーズチェックと比べても殆ど変わりないし、ともかくカードの方が使い易い。
 そういう利点はあるのだが、申し込んでから出来てくるまでに一か月も掛かった。
 旅行そのものについての面倒なことは、松江のエージェントがやってくれたが、それにしても何かと煩わしかった。
 パリの観光案内を見ていると、窓の外でバイクの音がした。郵便の配達だった。いつも昼過ぎだが、少し早いなと思って時計を見ると十一時半である。
 郵便受けには、葉書が一枚入っていた。七瀬だった。(おや?)と思った。名前だけで住所は書かれていない。時候の挨拶に続いて、大学を卒業したとある。
――卒業前に、いろいろお仕事をしたので疲れました。田舎に帰って少し休もうと思います。絵の方は順調ですか? 頑張ってください。――
 疲れた、という文字が気になったまま、亮輔は葉書を机の抽斗に入れた。 

第262回

 エールフランス国営航空のAF279便は、午前十時十四分に成田を飛び立った。
 フランスは中央ヨーロッパ時間だから、パリと日本の時差は八時間である。
 フランスのサマータイムは三月の最終日曜からで、その時期になると時差は七時間になる。時差の計算は、日本時間から八を引けばいい。
 パリへの直行便は約十三時間で飛ぶから、到着は午後の四時ということになる。
 パリには、シャルル・ド・ゴールとオルリー空港の二つがあり、日本からの直行便は、全てド・ゴール空港に着陸する。エールフランスの拠点になっていて、ヨーロッパ最大の空港である。
 AF279便は、予定時刻に到着した。
 二階にあるターミナル2は鳥が翼を広げたような形で、六つのホールに分かれていた。直行便が発着する二階は、屋根から自然光が入るような設計で、内部はメタリックカラーがふんだんに使われている。洗練されたデザインだった。
 亮輔は入国審査カウンターを通り、荷物受取所でバッグを受け取った。
 ソルティという出口の文字を探しながら出ると、伊折亮輔様と書かれた大きな画用紙を頭の上に掲げている女性が居た。
 前後して歩いていた数人の日本人は、足早に去って行く。慣れているのだなと思いながら、少しばかり不安な気持ちを振り払うように女性に近付いた。
「伊折亮輔です」
 女性の方も亮輔を認めたようだった。様子で分かったのだろう。
「初めまして、森下亜沙子です」
 画用紙を手早く巻いて、頭を下げた。
 千秋が知り合いを通じ、広島にある国際トランスビューロー≠ニいう会社に現地の通訳を頼んでおいてくれたのだ。
 ブロークン英語でも、身振り手振りで何となく通じるかもしれないが、フランス語となると亮輔はどうにもならない。
「お疲れでしょう。パリにおられる間、お手伝いさせていただきます」
 スタンドカラーの黒いジャケットとデニムのパンツに短い髪が似合っていた。
 名刺を交換した。肩書には、通訳と書いてある。エールフランスのバスで、とりあえず凱旋門のあるシャンゼリゼ大通りに行った。小さなカフェに入って亮輔は、思わず溜息を吐く。安心と疲れだった。
「カフェ スィル ヴ プレ」
 亜沙子が手早くコーヒーを注文した。

第263回

 カフェの店先に、飲み物の料金表があった。コーヒーは、二ユーロだった。どちからといえば安い方なのだろう。
「さっきの話の続きですが……」
 亜沙子が手帳を取り出す。
 空港から乗ったバスの中で、おおよその打ち合わせは済んでいたが、明日からのことは未だであった。
「夫は東京タイムズのパリ支局に勤めてるんです。私、フランスに来てから五年になりますが、去年から通訳の仕事してます」
 千秋が頼んでくれた国際トランスビューロー≠ゥらの連絡表にも、亜沙子のことが少し書かれていたから知っている。
「フランス語は、パリに来られてからですか?」
「いえ、大学でフランス語の講座を少しだけ……。だから会話は何とか出来ても、文法なんか駄目なんです」
「専門的な内容の通訳なら別でしょうが、ちょっとした観光客相手だったら、どうってことはないでしょう?」
「そうなんです。パリに赴任した人の奥さんなんかが、私の仲間に多いんですよ」
 亜沙子は二十代の後半だろう。子どもが居なければ、余暇利用ということかもしれない。だが、そこまで立ち入って聞く必要もなかつた。
「カフェ エクスプレス……」
 ギャルソンが、コーヒーを運んで来た。
 見回すと、数人の東洋人らしい客も居た。日本人かどうか分からない。
「伊折さん、明日からの予定はどうされるのですか?」
 予定と言われても、どこへどうということは決めていない。
「とりあえず、幾つかの美術館に行ってみたいのです」
「絵をご覧になるというのも勉強なんですね。でも、羨ましい」
 亜沙子との契約料金は、一日当たり三万円ということになっている。午前中二時間、午後は三時間の合計五時間である。それが高いのか安いのか、よく分からない。
「じゃあ、明日はルーヴルということに?」
 予約していたホテルは、ルーヴルに近いロンドル・サントレノ≠セ。
 カフェを出て、亜沙子に案内してもらう。
 オーナーが日本贔屓ということもあって、フロントマンは簡単な日本語が出来た。
「では、明日の午前十時前に、ここのフロントへお迎えに来ます。ごゆっくり……」
 亜沙子は帰って行った。

第264回

 ロンドル・サントレノホテルは、その名が同じサントレノ通りに面した四つ角にある。ロビーには、十七世紀に造られたという階段があり、ホテル全体が歴史的建造物に指定されている。建物は古いが、ルーヴルへも徒歩数分で行けるから条件はよい。 少し北に行くと、サン・ロックホテルがある。通りの名前がサン・ロックで、その前にはサン・ロック教会がある。
 パリの通りには、それぞれ名前があり、地図を見ても分かり易い。
 九時四十五分にロビーに行くと、グレーのスーツ姿の亜沙子が手を振っているのが見えた。
「おはようございます。夕べはよくお休みになれましたか?」
 亮輔は、黒いコートの襟を立てた。
「ええ、お陰様で。今日は寒いでしょうか」
 亜沙子は、亮輔のコートをちらりと見た。
「いいんじゃないですか」
 フロントの男が、ウインクをした。
「近いですから、歩きましょう」
 寝る前に地図を見たので、おおよその見当は付いている。
 リヴォリ通りへ出て、左に曲がった。ルーヴルホテルの前から美術館に向かう。メトロから吐き出された乗客の半分が、美術館に行く。
「多いんですね」
「ルーヴルは朝九時からなんです。本当は、朝一番に行くといいんですがでも、大丈夫です」 
 ルーヴルやギュスターヴ・モロー美術館などは、特に人気がある。すいている時間帯はないが、早い時間から行くのがいい。午後からでもよいが、いずれにしても余裕をみておきたい。見るのに、少なくとも一時間は必要である。
 亜沙子は、そんな説明をした。そう言われれば五年前に来た時には、駆け足だった。
 ルーヴルに着くと、亜沙子は一般の入口から左へまわった。
「何で?」
「あ、申し上げていませんでした。年間パスポートを買っておいたんですけど」
「誰が頼んだんです?」
「ビューローから、そう言われてたんですけど……」
 亮輔は知らなかった。多分、千秋が手配したのだろう。何も言わずにおいて、後で驚かそうというのだ。
「あ、そうですか……」
 亜沙子が不思議そうな顔をした。

第265回

 亮輔は、会社の者が頼んだでんしょうと口を濁した。
「ルーヴルは年間ですけど、パリの美術館のは五日が最大期限なんです」
 観光案内の本にも、書いてあったような気がする。関心がなかったのだ。
「そうなんですか」
 パリの美術館には、カルト・ミュゼ・モニュマンというフリーパス券がある。美術館だけではなく、凱旋門やノートルダム大聖堂の塔、ヴェルサイユ宮殿など、パリの見所にも利用できる。入るのに長い列が出来るから、時間が掛かる。フリーパス券があれば窓口で行列する必要がないので、いらいらすることはない。
「出入り自由ですから、一度、外に出てもまた入ることが出来ます」
「ということは、ルーヴルに入るためのパス券が二つあるということですか?」
 亜沙子は、軽く首を傾げた。
「……そういうことになりますね」
 ルーヴルの年間パス券はアソシエと言い、五十ユーロである。日本円にして約七千円になる。ルーヴルの入場料は八・五ユーロだから、何度も行けばパスポートの方がよい。
「五日券だと直ぐに期限が来ますけど、ルーヴルに何回も行くことにすれば、年間券の方がどっちかと言えば、よいということになりませんか?」
「そういうことになりますね」
「それに、特別展示も、その券で入ることが出来ますし、月に一回ですが、ルーヴル美術館の通信が送られて来るのです」
「それは、フランス語ですよね」
「そうですけど」
 暫くして亜沙子が、声を上げて笑った。
「僕は読めませんねえ」
 亮輔も笑った。
 笑う二人を見て、周りの何人かが何ごとかと思ったらしく振り向いた。亜沙子が、両手を広げ、首をすくめて見せた。
「伊折さんの会社宛へ送るように、ルーヴルには手配してあるんですけど。読めなくたって、写真もありますから……」
「……まあ、そうですが」
 亮輔もそうだったが、亜沙子の緊張感がほぐれたように思えた。
 窓口に並ぶ行列を横目に見ながら、特別の入口から入る。
 ルーヴル美術館は、かつて歴代国王の宮殿であった。美術館になったのは、フランス革命の後である。

第266回

 ルーヴルは城から宮殿へ、八百年の時を経てきた。一七九三年、フランス共和国によって美術館として姿を変える。
 二百年の歴史を持つ、ヨーロッパでは最も古い美術館の一つとなった。
「二十年前からの改造で、出来たんですね」
 亮輔は、ガラスのピラミッドを見上げた。
 コの字形になった建物は、三つの区画に分かれている。ピラミッドは、抱え込まれるように、中庭の中央に建っていた。
「そうですねえ。でも、なんかそぐわないような気がするんです」
 パリを代表する景観と言われているが、古い宮殿と光に輝く現代的なガラスの城は、調和しているようでもあり、不釣り合いとも言えそうである。
 ガラスのピラミッドの下にナポレオンホールがあり、案内所やチケット売り場が並んでいる。ここでも、入場券を買う列が続いていた。
「地下へ?」
 先を行く亜沙子に声を掛けた。半地階だが、十二世紀の要塞跡である。
「ええ、地下からリシュリュー翼に行きますが、どうですか?」
 亮輔は苦笑する。どうと言われても、何も返事が出来ない。 
 右に曲がり、シュリー翼に行く。古代オリエント、エジプト、ギリシアの美術品が並んでいる。
 亮輔と亜沙子は、ラムセス二世の座像を観て、ミロのヴィーナス≠フ前で立ち止まった。一八二〇年、エーゲ海のミロス島で発見された。ルーブル美術館の至宝とも言われ、ふくよかな輪郭の裸像である。
 それにしても、両手はどんな形をしていたのだろうか。
 発見されて後、修復が試みられたが、いずれの形も満足できるものではなかったという。ミロス島の洞窟から、幾つかの断片として出たのだから、どこかに腕はあるのだろうが、そう考えるといささかミステリーじみてくる。
 左手に林檎、右手は布を持っていたとか、衣服を脱ごうとしている、そうではなく、何かに驚き慌てて下がった衣を上げようとしている、横に居る人に手を差し伸べた形だ、などと言われている。
 亜沙子は観光ガイドの顔になって、説明をした。
「腕の先は無いままの方が、想像の楽しさってことでいいんじゃないでしょうか」
 笑い声が一緒になった。

第267回

 ルーヴルはまさに美の宮殿である。所蔵されている作品は、三十万点を優に超える。
 二階に上がった。
 シュリー翼の中央には、古代エジプトの書記座像≠ェある。その前を通って右に曲がると、ドノン翼である。
 長い廊下のような展示室を行くと、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたモナ・リザ≠フ油絵がある。
 黒い衣装を着た女性が、僅かに微笑む半身の肖像が描かれている。絵画史上最も有名な肖像画であり、ルーヴル美術館の目玉的な展示物になっている。
 かなりな数の人が、暫く立ち止まって観ている。アメリカ人だったが、何かの団体らしかった。
 亮輔は、五年前にも来たことがあるから、それほど心が動くということはない。
「この絵は模写ではないかと言われてます」
 亮輔の雰囲気を感じたのか、亜沙子が声を潜めた。
 絵の両側にアンテルディ デ フォトと書かれた撮影禁止を警告する立て札があるが、カメラのフラッシュが次々と光る。数分の間に、モナ・リザは十回も光を浴びた。
「警備員は、何も注意しないでしょう?」
 少し離れた所に警備員が一人居るが、動こうともしない。
 貴重な絵を湿度や気温に配慮して展示するのは当然だが、更に退色を避けるため、照明を暗くした所に置くのが普通である。ましてや、モナ・リザなら写真撮影用のライトやフラッシュは厳禁のはずである。
「どうして?」
「複製品……」
「複写?」
 亮輔は驚いて、亜沙子を見た。
「そういうことを言う人も居ます。本当かどうか分かりませんけど」
「……」
「警備の人から何も注意がないということは、そういうことかな……なんて」
 亮輔は改めて絵に目をやるが、もちろん、本物かどうか判断の付くはずはない。
「有名な美術館の、それも名画と言われるものは全て複製品だって言う人もあるそうですよ」
 フラッシュを浴びせても、警備員が知らぬ顔をしているのも頷けなくはない。
 絵には素人のはずの亜沙子から説明されて、亮輔は憮然として顎に手をやった。
「昼食にしません?」
 亜沙子に言われて気付く。十二時だった。

第268回

 四日ばかりルーヴルに通った後、亮輔は一人で街に出た。亜沙子が、どうしても都合が付かないと言ったからである。
 パリは、芸術の宝庫とも言われている。ルーヴルやオルセーはもちろんだが、そのほか多くの美術館や博物館が集中している。と言うよりも、街全体が芸術家達の美のシャトーである。
 何気なく建つ建物にも、さりげない美の意識が盛り込まれているのだ。窓枠や手すりの造り、壁面の彫刻などにも、芸術家でない市民の個性が溢れている。
 フランス芸術ばかりというわけではない。平成九年五月、日本文化紹介を目的にパリ日本文化会館≠ェ開館した。伝統的な文化や現代美術の展示をしている。
 亮輔は地下鉄六号線に乗り、ビル・アケム駅で降りた。六階建ての日本文化会館は目の前だった。
 入ってみると、地下は五階になっていた。足し算をすると、十一階になるなと亮輔は呟き、何をつまらないことをと思った。
 益田の高津神社神楽『青の風』のポスターがあった。フランス語で書かれているが、部分的に日本語も書いてある。二日間の上演で、既に終わっていた。神楽をダンスの視点から見直す企画だったようだ。
 鍋島焼とも言われる伊万里の展示室もあった。見事な目録のようなカタログも売られてはいたが、パリまで来て、日本の焼き物を見ようという興味は湧かなかった。
 ロビーを歩き回っただけで外に出る。
 振り返ると、後から千秋が付いて来るような気がした。
 春が近いことを思わせる陽射しが石畳を光らせていた。パリも日本も同じだなと、亮輔は何となく感傷的になる。
 ノートルダム大聖堂のあるシテ島に渡った。東の端から北を眺めると、一六〇七年に出来たポン・ヌフの橋が見えた。直訳すれば新橋だが、セーヌ川に架かる橋では最も古く、パリを象徴する橋である。セーヌ川の観光船が係留されている向こうの北岸には、サマリテンヌ百貨店が巨大な壁面を見せていた。
 北岸を暫く歩き、ホテルのあるサン・ロック通りまで戻って来た。地下鉄に乗るのにも、未だ十分慣れていない。地図さえあれば歩いた方が気が楽だった。
 ふと思い付き、教会の北側に行ってみた。日本の商店や企業が、かなり目に付く。ジュンク堂書店の隣には日本通運の社屋、続いて、ヤマト運輸、日本航空の建物がある。

第269回

 パリに来て、一週間にもならないが、日本名を読み取ることが出来る店や会社の建物を見ると懐かしい気がする。まさにエトランゼの訳語のように、異邦人になった気分である。筋は殆ど記憶していないが、かつて読んだカミュの小説『異邦人』という小説のタイトルが頭に浮かんだ。
 日本航空の前を通って、プティ・シャン通りに出てみる。
 パリに来た最初の日であったか、ルーヴルで亜沙子と話したことを思い出した。
「専門の伊折さんに、こんな話は申し訳ないですけど、美術館もいいんですが、画廊を訪ねられたらどうでしょうか」
 日本を出る時に、詳しい計画を立てた訳ではなかった。千秋が勧めたように、岩谷賞を受賞した記念というのか、骨休めの旅という意味合いが強い。パリに着いてから、行き当たりばったりでもいいとは思っていたのだ。それだけでも何かの糧になるという気持ちがある。
 五年前のパリは、三日間だった。だから、幾つもの画廊を見たのではない。シャンゼリゼ大通りの辺りだったという記憶があるが、モーリス・ガルニエという画廊で、小さな絵を買った。
「そうですね。気ままな旅という気持ちで来たんで、いろいろ教えてもらえればありがたいんです」
 そう言った後で、亜沙子は(羨ましい)と言ったのだ。
 亮輔は、このところ言葉に出来ない何かが頭の中に立ちはだかっているような気がしている。ルーヴルを見飽きたという訳ではないが、美術館ばかりでなく、画廊を訪ねれば、見えるものがあるかもしれないと思う。
「画廊だったら……」
 コーヒーを飲みながら、亜沙子が言った。 パリの画廊は、さまざまである。アンティークの絵を扱う所があり、かと思えば最先端のアートギャラリーもある。そういう意味では、平面の絵が、パリという町では立体になっている。
「面白い見方ですね。日本画廊協会ってのがあるんですよ」
 何度か画廊を使ったことがあるから、亮輔はその辺りのことは分かっている。画廊協会というのは、貸し画廊を経営するギャラリー協会である。そういう組織があるくらいだから、日本では貸すための画廊が多い。
「パリでは、企画画廊なんです」
 亜沙子と、そんな話をしたのだった。

第270回

 プティ・シャン通りのなか程に、古い形の赤いルノーが一台停まっていた。
 パリの街は、どこに行っても何かしら古めかしい佇まいを見ることが出来る。石造りの建物を見上げると、ギャルリー・ビビエンヌ≠ニいう名前が刻まれていた。
 ギャルリーと言えば画廊の代名詞のように思えるが、かつてパリでは商店が並ぶアーケードを指していた。今でもそういうアーケードがかなり残っている。
 亜沙子から、そう聞いていた。
 ギャルリー・ビビエンヌも、アーケードなのである。左隣は、ギャルリー・アネックスだった。旧国立図書館の別館のような所だから、アネックスなのだろう。
 黒いコートを着た背の高いフランス人が出て来るところだった。
「ジャポネ?」
 男がそう言った。もちろん、知らない顔だった。
「ウイ」
 咄嗟に声が出た。
 フランス語が話せる日本人だと思ったらしい。何やら早口で言うのだが、全く分からない。
「ジュ ヌ セ パ パルレ フランセ」
 話し掛けられたら、フランス語が話せないと言えばいいと思っていた。
「ダ コール」
 分かったと言いながら、男は笑った。話せないと言いながら、フランス語を喋ったのではないかというように両肩を上げて首を傾げた。
「ボンヌ ジュルネ」
 男は手を振って通り過ぎた。よい一日をか、と亮輔は苦笑いする。
 気温が低いのに、背中に汗が出た。自分でもそれがおかしく、また一人で笑った。
 ギャルリー・ビビエンヌに入ってみた。いろいろな商品が並んでいる。ブティックやルイニック・オプティークという眼鏡店もある。どちらかと言えば、ファッション系の店が多い。
 見て歩く途中に画材店があった。入ろうかと思ったが諦めた。店員に何かを尋ねようとしても無理だからである。
 奥の出口から出ると、別の通りだった。標示を見ると、ビビエンヌ通りとある。旧国立図書館が目の前である。
 日本にも通り抜けの店があるが、パリのギャルリーも、こんな雰囲気が魅力なのだろう。それにしても、亜沙子という通訳が居ないと困る。

第271回

 ルーヴルには、何度行ったのだろうかと亮輔は指を折ってみる。
「ギュスターヴ・モロー美術館に行きましょう」
「森下さんは、通訳でいつもルーヴルに行くんでしょうから、別の所がいいかも……」
「いえ、そういう訳ではないんですが」
 通訳という仕事で亮輔に付いているのだから、言われれば、どこにでも行かねばならないだろう。だが、亜沙子もいささかルーヴルには飽きたようだった。
 本当はせっかくフランスまで来ているのだから、ねらいを絞り、計画的に美術館や画廊をまわるのが普通かもしれない。亮輔はそうはしたくなかった。贅沢と言えばそうだが、どの美術館に行かねばならないということはない。
 気の向くままに街を歩き、公園でぼんやりと時間を過ごし、時には美術館に行く。そんな日々のパリが、旅行の目的でもあったからだ。
「ホテルからでも、二十分程歩けば行けますから」
 パリは不思議な街である。どこに行っても美術館や劇場に突き当たる。オルレアン・スクエアのショパンが住んでいたという家の前を通り抜けると、モロー美術館の前に出た。サン・ジョルジュ劇場やパリ劇場も近い。
「モローの美術館は、国立なんです」
 入口の前で亜沙子が、説明を始めた。案内人と通訳の顔になっている。
 モローはパリで生まれた。青年時代から癌で死ぬ七十二歳まで住んでいた家が美術館になっている。コレクションと共に国に寄贈したのだ。モローは三十代の半ばから、自分の作品が散逸することを怖れるようになる。ある意味では、被害妄想でもあった。自分が描いた作品の全てを集めることは、死から遠ざかる方法でもある。つまり、作品を手元に残せば、画家としてどう生きて来たか、どんな場所でどんな仕事をしたのかが分かるからと考えたのだ。
 入口で、中を確かめもせず図録を買う。何かに背中を押されたようだった。
 美術館の主な部分は、二階である。どちらかと言えば、大作が展示されていた。
 殉教者の血に染まった百合の玉座の上に聖母が立っている神秘の花≠ヘ圧巻だった。縦が二メートル半、横が一メートル半近い大作である。亮輔は暫く立ち止まって眺めた。米子で見た夢の杜美術館≠フ時のように、体の奥がうずくような気がした。

第272回

 パリに来てから、何かが心の中で動き始めたようだ。何度もそう思っている。だが、それが具体的に何なのか一向に掴めないのである。
 一八九五年に造られた螺旋階段から三階に上がる。窓に面した壁には、ソドムの天使≠ェ幻想の世界を見せてくれる。九十センチに六十センチくらいか。さほど大きくはない。
 二階にある私室も同じだが、三階の接客の間も、まるで王侯貴族が現れそうな豪華な部屋だった。モローが美術館として残そうとした気持ちが分かるような気がした。
「凄い部屋だな」
 亜沙子は久し振りに来たと言う。
「この部屋が見学の順路に入ったのは、二〇〇三年、あ、日本流に言うと平成十五年からだそうです」
「と言うと、二年前?」
「ええ、開館百周年がきっかけなんですって。そう聞きました」
 立ち止まって図録を開いて見た。写真が載せられ、そのことが書いてある。
 モローは、神話や寓話、聖書の世界にモチーフを求めた。ヘロデの前で踊るサロメ≠ニ一角獣≠ヘ、それらの連作の中の一つである。
 亮輔は、出現≠フ前で足が止まった。
 畳一枚に近い巨大な絵の中央に、と言うより空中にヨハネの首が浮かんでいる。
「怖い……ですね」
 亜沙子が呟いた。
 描いてある生首が、指差すサロメに向かって行くようだ。
「血が滴り落ちてるんですもの」
「でも、サロメしか生首に気が付いてる者は居ないんですよ」
「あ、それで出現……ですか」
「多分ね。森下さん、背景はどうです?」 目を凝らすようにして亜沙子は、絵を見ている。
「線だけで描いてある部分がありますね」「そう。幻想的というのか」
 この一枚のために、モローは数多くの習作を描いている。出現≠セけではないが、それらを眺めていると、最後に完成した絵の生成過程がよく分かる。
「逆に辿って行けば……」
 呟きながら亮輔は、習作の多くは余分なものが無いということに気付く。何かに近づいたような思いがした。
 出ましょうか、と亜沙子が言った。好きにはなれない絵のようだ。

第273回

 千秋から、パリに行くという電話があったのは四日前である。
 三日だけだが、仕事の都合を付けたので、行こうと思うがどうかという連絡だった。もちろん、断る理由はない。久し振りに千秋と会える。そう思うと気持ちが弾んだ。
 亮輔の滞在予定は、二十日間だった。既に二週間が経っている。千秋はパリに来て二泊する。亮輔の予定はほぼ終わるから、その後、一緒に帰ればいいと思った。千秋は気に入れば長く居てもいいのではないかと言ったが、亮輔は、早く日本に帰り、
絵を描きたい気持ちになっている。
 シャルル・ド・ゴール空港のターミナル2に、JAL415便が到着するのは、午後三時二十五分である。
 到着口にある電光掲示板が、出発地であるTOKYO NARITAの文字と、到着時刻を標示していた。
 出迎えなのだろうか、到着ロビーは亮輔が来た時より更に人の数が増えている。明らかに日本人だと分かる家族連れも居た。
 電光掲示板には、コリアン・エアーの便が到着したことを示していた。そのせいでもないだろうが、東洋的な顔が多いように思える。
 旅行会社の社員が、小さな旗を持って立っている。亮輔がパリに着いた時のように、迎える相手の名前を書いた大きな紙を手にした人も居た。
 入国審査が始まったのか、何人かが出て来た。待ち受けていた人と、名刺の交換をしている数人がある。よく見ると日本人同士である。
 千秋の姿は未だ見えない。千秋は、ファーストクラスで来るはずだから、エコノミーやビジネスよりは先に降りるのだろうが、荷物のところで手間取っているのだろうか。いずれにしても、千秋がパリに来るのは間違いないのだから、心配することはない。そう思っていると、到着口に千秋の顔が見えた。黒っぽいコートを羽織り、中型のスーツケースを手にしていた。
「千秋……」
 思わず大声で亮輔は呼んだ。
 日本でなら人の目がある。そんなことはしないだろう。千秋がスーツケースから右手を離し、顔の横で振った。
「会いたかった」
 同時に言い合い、軽く抱き合う。
 午後から降り出した雨は、少し強くなった。夕方が近くなり、パリは気温が少し下がったようである。

第274回

 ド・ゴール空港からタクシーに乗った。
「時差ボケで……疲れてない?」
 後部座席に体を沈ませ、亮輔は千秋の手をまさぐる。
「どうってことないわ」
「このままホテルに帰るのも、未だ早いし」 暮れるまで、どこかに行ってみるのもいいかもしれないと亮輔は考える。
「マレ地区に連れてって」
 マレ地区には、十六世紀から十九世紀にかけての中世期以後の建物が多く残されており、古い貴族の館が並ぶ。
「スィル ヴ プレ」
 亮輔は地図を運転手に見せ、ピカソ美術館を指差して、(お願いします)と言う。
 千秋が、やるわねという顔をして笑った。
「ウイ」
 運転手は、小さく呟いて首を縦に振る。
 マレ地区にある美術館に行きたい訳ではない。目標になる建物を言っただけだ。
「何でマレに行きたい?」
「ええ、せっかくだから古い建物が見たいのよ」
「どうしてマレの名を?」
「飛行機の中に雑誌があったのよ。それにマレの話が載ってたから」
「やっぱり建築には興味があるんだ」
「それはそうだけど」
 二週間と言えば短いが、長い間、会わなかったような気がする。千秋は亮輔がパリでどうしていたかを聞きたがった。
「……それで何か描けそうなの?」
 千秋は、亮輔が考えていることを察しているようである。
「ああ、多分……」
 ピカソ美術館の前にタクシーが止まった。五十分近く掛かっている。メーターを見た千秋が、素早く四十五ユーロを払った。
 美術館には入らず、セーヌに向かって歩き出す。美術館は、午後五時半には閉館する。入ったとしても観る時間はない。
「どっちかと言うと住宅街ってとこね」
 千秋が立ち止まった。カーン公園の前に来ていた。
「この建物は、古いわね」
 千秋は、暫く眺めていた。夕暮れの暗い影が建物を覆っている。
 セーヌ川に沿って歩き、ホテルに帰った。 フロントが、千秋を連れている亮輔に素早く片目を閉じて見せる。部屋はシングルからダブルにしておいた。
 四階の部屋に向かうエレベーターの中で、亮輔はやっと千秋の唇に触れる。

第275回

 午前十時に、亜沙子がフロントから部屋に電話をしてきた。
 千秋と一緒に、エレベーターから出ると亜沙子が駈け寄る。もちろん、千秋と亜沙子は初対面だ。
「おはようございます。森下亜沙子です」 亜沙子には、千秋との関わりをそれとなく話してある。出雲のマンションやアトリエのことなどから、千秋の肩書きとして言った後援者の意味を理解したようだった。
 亜沙子にとって、亮輔は行き摺りの旅行者である。おそらく二度と会うこともない。千秋と亮輔の関係を知ってみたところで、何の意味もない。
 平成六年の秋、退任前のミッテラン大統領に隠し子がいると、パリ・マッチ≠ニいう週刊誌が報道した。大統領府のエリゼ宮で、新聞記者が本当かと問う。
「ええ、娘がいますよ。エ・アロール?」 それがどうしたの? と聞き返したという話は有名である。
 恋愛がスキャンダルになるのは、結婚という枠の中に男と女が収まらない場合だ。ごく普通の社会的基準から外れた恋愛が、もし多数派に属していたら、スキャンダルだと騒ぐ者は侮られる。
 結婚という制度が、しだいに意味をなくし始め、永久就職などという屈辱的な言葉を女性に冠した時代は、過去のものになりつつある。結婚のための恋愛ではなく、男と女が一緒に居ることに、愛以外の何も必要ではないというようになってゆく。
 フランスでは、結婚が全てという考え方は少数派である。結婚と恋愛は別だからだ。
 パリに来てから五年になるという亜沙子は、フランスの個人主義に馴染み始めているかもしれない。
「今日は、私がお供しますから、ごゆっくりと……」
 亜沙子の目が、昨日は私が居なくても大丈夫でしたかと聞いている。
「ブーローニュの森に行ってみたいわ」
 千秋が(どう?)と、亮輔の顔を見た。
「観光ツアーって言うのか、バスで見て歩くというのもあるんですが?」
 亜沙子が千秋に言った。
「それは明日にするわ」
「じゃ……、タクシーでブーローニュへ」
 千秋が頷く。
「午後は、画廊に行ってみようか」
「そうね。絵のことで来てるものね」
 千秋がパリの画廊を見るのも、いいことではないかと亮輔は思った。

第276回

 パリは、西と東に二つの森を持っている。西側のブーローニュと東の環状線外側にあるヴァンセンヌである。パリの両翼にあるそれぞれの森が、大都会に新鮮な空気を送っているというのは言い過ぎではない。人間で言えば、肺に当たるかもしれない。大都市の中に、広大で静かな場所があるというのもフランスの歴史と知恵の結果なのだろうか。
「広いですねえ」
 ブーローニュ門の前である。、千秋が驚いて呟く。
「もともと王族の狩猟場だったらしいですから。一日で見ようと思うのは無理ですね。半日なんて、とてもとても……」
「でも、雰囲気だけでも感じることが出来たらいいわ」
 おおよそ東西に二キロと南北四キロの広さだと、亜沙子が言った。
 マロニエ、アカシア、それにフランスのどこでも見ることが出来るカシワの木々が、穏やかな陽を浴びている。
 十五分ばかり真っ直ぐ歩くと、バガテル公園である。
「チューリップが咲いてますけど、本当はバラの花で有名なんです」
 満開の季節には、結婚式を挙げるカップルもあるのだと言いながら、亜沙子が亮輔を見る。
「ムッシュー イオリ?」
 男の声に振り返った。
 ブロンドの髪に、茶色の背広が似合っている。男は(やあ)というように両手を広げた。一瞬、亮輔は誰だろうと思った。だが、直ぐに気が付く。
「ミシュラン!」
 五年前、カンヌ国際絵画祭に出展した時に出会ったパリの画家である。
「ビャンブニュ デュ ジャポン スイロワン……」
 すかさず亜沙子が、(遠い日本から、ようこそ)と囁く。どちらからともなく抱き合い、背中をお互いに叩き合う。大袈裟だと思い、亮輔はいささか恥ずかしい。
「キ エ ボートゥル アコンパニエ?」
 連れの方はどなたかと聞いているが、どう言おうかと亮輔に亜沙子が聞く。亮輔は適当に、と答えた。
 ミシュランに亜沙子が千秋の名を言い、自分は通訳だと紹介した。
「アボン ボートゥル アミ アンティーム」
 恋人なんだな――そう言ってますよ、と亜沙子が笑いながら通訳する。

第277回

 恋人だと言われた千秋は、悪怯れるふうもなくミシュランと握手をした。
「モン ノン エ チアキ」
 自分の名前は千秋だと言っていることくらいは、亮輔にも分かる。
 英語でもフランス語でもいいのだが、外国の言葉が使えるようにしておくべきだったと思うが既に遅い。
 千秋もだろうが、これ以上の会話は無理である。決まり切った簡単な言葉を言うことは出来るが、相手の言っていることが分からない。後は亜沙子に頼るしかない。
 ミシュランに初めて会ったのは、絵画祭が終わった日のパーティだった。旅行会社の何人かが通訳代わりに来ていたが、詳しい話は出来なかったのだ。
 マロニエの木の下に樫の木で作られたベンチがあった。
「もし、よかったら座ってお話をされたらどうですか」
 亜沙子が誰にともなく言う。
 ミシュランは、絵画祭に抽象画を出していた。その衝撃的な色彩の配置と色を包む形が新鮮だったことを記憶している。
 曲線を多く使い、人間の体の一部を思わせるようなフォルムで構成されていた。
 胴体から腰の部分だけを輪切りにしたような形が描かれ、色はビビッドな赤とオレンジ系統だった。一見して、女性のフォルムを追求していると分かった。生彩があった。亮輔が思い出しながら言うと、ミシュランは満足そうに頷いた。
 亮輔の話が、うまく伝わったようだ。
――官能的で成熟した女性の、それも大人の女の香りを出したかったからだ。――
 ミシュランは、専門用語を出来るだけ分かり易く亜沙子へ伝えているらしかった。
 ミシュランの絵は、セクシャルだったが、緻密で、数学の計算式の上に成り立っているように思えた。そのせいか、全体として眺めると不思議な力強さが感じられた。
 亮輔は、絵を支えているものは何かと聞いてみる。ミシュランは、暫く考えていた。
――印象的で刺激的なものなら、全て自分の栄養源にする。例えば、ダンサブルなもの、ついでに言えば異常性のある文学だ。日本の男は、セクシャルなものに罪悪感を持つが、それは間違っている。――
 何かがふっ切れたような気がした。
――自分の可能性を信じることだ。――
 ミシュランは亮輔に言い、予定があるからと腕時計を見た。いつかまた会えるかもしれないと、亮輔は思う。

第278回

 パリの画廊は、三つの地区に集まっている。サン・ジェルマン・デ・プレ、シャンゼリゼ、バスティーユの三箇所である。
 バスティーユには、ポンピドゥー芸術文化センター、また、国立近代美術館もあり、周辺には画廊が多い。
 亜沙子は、そう説明した。
「パリ市庁舎の近くが、いいかもしれません。画廊が多いですから行ってみましょう」
 地図を見ると、ルーヴルの近くだから、ホテルに帰るにも便利だ。
「どっちかと言えば、パリの現代美術の方向を決める有名な画廊があるんです」
「よくご存知ですね」
 千秋が感心したように言う。
「ロフィシェル・デ・スペクタクルっていう情報誌があるんです。毎週水曜に出るのですが、とりあえず、それを見て来たんです。……すみません」
「すみませんって、そんな」
「あんまり詳しくないんですよ。絵の方は」
 亜沙子が言いながら、首をすくめた。
「パリスコープというのもあって、どっちもメジャーなんです。レイアウトが違うだけで中身は似たようなものです」
 水曜発売かと、亮輔は携帯のカレンダーを出して見た。明日の金曜には、フランスを発つ予定である。千秋は昨日来たばかりだが、二泊と言っても、それほど時間があるわけではない。だが、千秋とこうしてパリの街を歩くことが出来るだけでもいい。
 ブーローニュの森からヴィエイエ・デュ・タンプル通りに来た。
 入ってみようということになったのは、デ・ジュールというギャラリーだった。
「土曜の午後になると、地元のパリジャンが、情報誌なんかで話題になってるギャラリーを渡り歩くんですって」
 見回すと、通りに面して大小幾つかのギャラリーがある。
 デ・ジュールは、芸術文化センターに近い。少し奥まった所にあった。
「ボンジュール」
 店の経営者らしい男が声を掛けてきた。亜沙子が、日本から来た画家で、名前はイオリだと言っている。
「モン ノン エ トリュフォー」
 男が答えた名は、トリュフォーだった。
――特定のグループに属さない若手の絵を集めている。ごく一般的なものが多いが、このところ、どちらかと言えば、実験的な作品を並べるようになった。――
 トリュフォーは、店を見回して言った。

第279回

 トリュフォーの言う作品とは、未だ知られてはいないが、これからの活動が期待される新進芸術家のそれである。
――パリを活動の拠点にしているアーティストはもちろんだが、フランス人だけではなくて、アメリカ、イタリア人なども歓迎しているのだ。――
 亮輔は、それは要するに新人に発表の場を与えるということだろうと言った。 
 そうだ、とトリュフォーは小さく呟き、そればかりではないと続けた。
――既に評価を得ているアーティストも取り扱うし、絵画ばかりではなく、写真、彫刻、オブジェなどのジャンルに至るまで幅広く展示している――
 そう言って笑った。
「日本人の作品は、どうです?」
 亜沙子が、亮輔の聞きたいことを察したかのようにフランス語で言った。
「ジャポン?」
 一瞬、トリュフォーは遠くを見詰めるような目を見せた。
――そう言えば、この間、日本の画家から一枚の絵が送られて来た。面白いと思ったんだが、未だ展示をしてないのだよ――
 トリュフォーは、片目を軽く閉じて、奥に入った。
 持ち出して来たのは、三十号の油彩だった。鋭い線で山脈の遠景にも似た形が描かれている。どこかで見たような山だと思った。鳥取県の大山のようだった。
 威圧感には乏しいが、波状に押し曲げられた線が描くそれは、異界の風景のようでもある。
――絵は美術館ではなくて、ごく普通の家に飾られるものだとすれば、一般の美術評論とは違う観点から捉えることも大事ではないか。――
 だから、この絵は好きなんだ。それに題名がいい。風の詩≠ネんて素敵だと、トリュフォーが言った。
 亮輔はそのことよりも、何か見えないものが見えてくるような絵だと思った。世の中には、見えないものと、そうでないものがある。心の中は視覚では見えない。それが表現されているように思えた。
「どなたの絵ですか?」
 亜沙子が聞いている。トリュフォーが(日本・鳥取県・榊竜司)と、絵の裏に貼ってあるラベルを見て読み上げた。
 おそらく具象も抽象も描きたいという思いの作品だろう。(具象から抽象か……)と、亮輔は二度、三度と小さく言ってみる。

第280回

 サントレノホテルの最上階には、ラ・トゥール・ブルーという名のレストランがある。窓際の席に座った亮輔と千秋は、ワインで乾杯する。
「疲れたなあ」
 思わず亮輔は呟いた。
 一日中、パリの街を歩き回ったせいかもしれないと思う。だが、気怠い疲れではなかった。二十日の充実した日々を過ごした安堵が背中にある。
「パリの収穫は?」
 ボルドーの赤が入ったワイングラスを手にして千秋が聞いた。赤いマニキュアが、ワインに溶け込んでいる。
「見えないイメージを表現してみたいと思うようになったことかな……」
「風景なんかの具象から抽象にということなの?」
「そうだね。外の世界とは違うもの、つまり、心を描くということじゃないかと思うようになったんだ」
「もちろん、風景を描くことに行き詰まったってことじゃないんだから、あなたの新しいテーマとして賛成するわ」
 千秋は、そう言ってワイングラスを赤い唇に持っていく。
 具象的な形を抽象的なものへと変えていく技術は、難しいのではないかと考える。
 だが、そう思えば思う程、やってみようという強い気持ちが増してくる。
「具象から積み上げてくる抽象……とでも言ったらいいのか」
「難しい話ね」
「今日の絵を見て思ったんだが、完全な抽象でなくて、具体的な抽象とでも言うか、感情を持った抽象とでも……」
 亮輔は言葉を組み立てながら、考えが整理されていくような気がした。
「そう……。よかったわ、あなたがパリに来て何かを掴んで帰ることが出来て」
 それだけでもパリに来た意味がある。
「明日は、どうするかな?」
「そうね。午前中の半日は、観光バスに乗って、午後の便で帰りましょ」
 運ばれてくるままに、エスカルゴ、スモークサーモンやニース風のサラダなどを食べ、何種類かのワインを飲み、とりとめのない話をしているうちにパリの夜が過ぎていく。
 壁に掛けられた古めかしい振り子時計が、午後十時を指していた。エールフランスAF276便は、明日の午後一時十五分、ド・ゴール空港を飛び立つ。

第281回

 四月になっていた。
 出雲市の平田町にある愛宕山では、例年のように桜祭りが始まり、松江でも周辺の町村との合併を記念して、お城祭りが沢山の人を呼んでいた。
 日曜日であった。亮輔は久し振りに、夏夫の家を訪ねた。フランスの土産を持って行こうと思ったからである。
 正月にも会っていない。米子にある夢の杜美術館に行き、その帰りに夏夫の家に寄るつもりだったが行かなかった。だから、もう数か月も会っていないことになる。
「随分とご無沙汰だったな」
「ああ、忙しくて」
 パリから帰って、直ぐに電話をしたのだが、詳しい話はしていなかった。
「フランスは、どうだった?」
「収穫はあったね」
「そりゃあ、そうだろう。二十日も居たら何かはある」
「あちこち見て歩いただけだが」
「それにしても、羨ましいよ」
 明子が出掛けているので、何もないがと言って、夏夫は缶ジュースを出した。
「奥さんは、どこへ?」
 明子には聞いてみたいことがある。
「金曜日から二晩泊まりで、仁多の家に帰ってる」
 明子も夏夫も実家は仁多だったな、と亮輔は思い出す。
「そうか……」
「何かあるのか?」
「いや、別に」
 七瀬がどうしているか知りたいのだが、夏夫に聞くのはなぜか憚られる。
「ところで、お前のパリでの収穫の話だが」「あるギャラリーに、珍しい絵があった」
 亮輔は画廊で見た絵の話をした。
「榊さんか……」
「知ってるのか」
「当たり前だ。鳥取市の人だ」
 榊竜司は高校の数学教師で、抽象画専門である。五十代で定年が近いが、国内の展覧会には、なぜか一度も出したことがない。だが、海外では高い評価を得ているという評判だ。
 榊のことを夏夫は、そう説明した。
 公募に出品しないというのは珍しい。何かの信念があるのだろう。しかも日本以外で知られているというのも面白い。
「変わった人だな」
「そういう訳ではないが」
 孤高の人だな、と夏夫は言った。

第282回

 孤高の人か……それもまた一つの生き方だろうと亮輔は思う。
 考えてみれば、榊ばかりではない。会社を辞めて絵だけに専念している自分も、事情を知らない者から見れば、いわば変わっていると言える。(変わった人だな)と、自分で口に出した言葉に亮輔は苦笑する。
「榊さんの絵を見て、それでどうした?」
 夏夫が、話を戻す。
「その絵ばかりじゃないが……」
 亮輔は、ミシュランという男に出会ったことを話した。夏夫は相槌を打ちながら聞いていた。美術評論家を自認するだけあって、不用意に口を挟まない。
 もちろん、亮輔は千秋と一緒だったことも、ミシュランが、(アボン ボートゥル アミ アンティーム)などと言ったことは黙っている。
「なるほどね。パリに行った収穫のひとつかね」
 言われて亮輔は、パリの日を思い返す。
「転機にしたいのだ」
「お前は、順調だよ。転機ということではないだろうが、観点というか視点を広げるということだろうな」
「軌道に乗ってると言えば、そうだが……」
 亮輔は千秋とのことを危うく夏夫に言いそうになって話を変える。
「街を描けば街という具象を描いている。あるいは、七瀬君のような人物を描けば、それは人物でしかない」
「それで?」
 七瀬の名を出した時に、夏夫の表情が少し動いた。
「静物や人物を描くばかりじゃなくて、もっと自由な表現の場があると思ったのだ」
「つまり、具象の街の風景なら、それをじっくり描かなきゃいけないだろうが、それが辛いってことか?」
「いや、そうじゃない。一つの素材にこだわるんじゃなくて、いろんな可能性を探すってことだ」
「哲学的だな。イメージ、感覚、もっと言えば霊感か? それで、表現の世界を広げるってことだろ?」
「何だ、それ」
「要するに、抽象が描きたいということだろうが、お前の言うのは」
 抽象表現ならば、描かれたものが花であれ裸婦であれ、そう見えようと見えまいと、自分が考えた、思った、感じたままに好きなように描けばいい。出来上がった絵をどう見るかは、鑑賞する側の自由である。

第283回

 抽象が描きたいのだろうと、夏夫ははっきりと言ったが、亮輔にしてみれば、もっと新しい別の道を歩いてみたいということである。
 以前から、そういうもやもやとした気持ちを自分で感じてはいたのだが、パリでその方向が見えたということである。
「抽象に行くには、素質も必要だよな」
 夏夫が亮輔の顔を窺うようにして言う。「素質が無いということか?」
 亮輔は少し絡んでみる。
「そうは言ってない。経験の積み重ねから、その方向に向かうということだ」
「ある意味で型にはまりたくないということでもあるんだ」
 亮輔は夏夫と議論をしたくはない。
「それは分かる。俺は実際に絵を描いてないのだから、大きなことは言えないのだが」
「ともかく、自分の心の中にあるものを出すという点では、抽象も一つの方法だという考えに行き着いたということなんだ」
「なるほどね」
 亮輔は、パリのブーローニュの森でミシュランが言った言葉を思い出した。
「パリで出会ったミシュランの言ったことが、追い討ちをかけたということさ」
「どういうことだ?」
「自分の可能性を信じることだと、ミシュランがね」
「可能性か……。お前が会社を辞めたのもそうだよな」
 言われるまでもなく、それも同じだった。ただ、思い上がっているのではないかという気持ちが入り込み始めたことも知っている。それはそれでいいのではないか。何にしても、やってみなければ分からない。
 亮輔は、そう言った。
「それにしても、お前は立派だよ。いつも言うが、羨ましい。やりたいことをやればいい。応援するよ」
「ところで……」
 亮輔は話題を変える。聞いてみたいことがあるのだ。
「七瀬君は、どうしている?」
 夏夫が、知らないのかと言いながら怪訝な顔をした。
「どうしたのだ?」
「オーストラリアに行ったよ。何も言ってないのか……」
 忙しかったので連絡を取ってなかったのだと、亮輔は辻褄の合わないことを呟く。
「そうか。また葉書でもくれるだろう……」
 亮輔が、松江の家に帰ったのは夜だった。

第284回

 アトリエに続く階段に、葉書が一枚置かれていた。
 伊折亮輔様と書かれた左に、小さく差出人の名がある。
 淡い明かりのライトにかざして見ると、相良美樹だった。
――桜の花も散り、少しずつ新しい季節に向かっていくようです。ますますご活躍のことと思います。――
 そう書き始められた文面は、美樹の陶器展示のことだった。
 美樹の作品を出雲のカフェ・ロワールに、並べたらどうだろうかという話である。
 千秋に相談しなければと思いながら、言い出す機会を失ったままだった。
 亮輔の絵と併せて並べる。それも一時的なものではない。常時、そうしようという意味だった。
――以前、提案していただいた私の作品展示のことは、その後、どうなったのかと思っております。――
 背中を汗が流れた。
 どうしたの? 忘れたの? 薄情な人なのねと言われているようである。
 忘れていた訳ではない。明日でもいい、その次の日でもいい、特に急ぐ話ではないのだからと、先延ばしにしていた。
――紗納さんにご迷惑はかけないようにしなければいけませんが、私も出来るだけ多くの発表の場が欲しいのです。――
 美樹のその気持ちは、よく分かる。かつて自分がそうだったのだからと亮輔は思い返す。
――紗納さんには、お話していただいていると思いますが、どのようにおっしゃっているのでしょうか。――
 穏やかな書き方だが、問い詰められているようだ。
――このところ、何度かお電話をしましたが、繋がりませんでした。――
 パリに行っていたからである。美樹は、その間に連絡を取ろうとしたのだろう。
――もし、ご迷惑でなかったら、一度、お会いしたいと思います。いつかの夢の杜美術館の時が、いい機会だったのですが、私の方に用事がありまして失礼しました。日時をご指定いただければと思います。――
 時計を見ると、午後九時である。今から美樹に電話をしてもいいが、いかにも慌てて掛けたように思われそうだ。
 ともかく、明日のところで美樹に連絡を取らなければいけない。
 亮輔は、そこまで考えて葉書を置く。

第285回

 亮輔が美樹に会ったのは、葉書が来ていら一週間目、土曜日の午後だった。出雲空港へ友人を送るために、邑智郡から出て来るというのだ。美樹の住んでいる所は羽須美の口羽で、三次に近く、静かな村と聞いていた。羽須美は、この四月に瑞穂町と石見町の三つが合併して邑南町になった。
 午後二時四十五分の東京行きJALが、空港を飛び立ったのを駐車場に停めた車の中から見た。巨大な飛行機は、一旦、西に向けて上がり、日本海方向に機首を変えて直ぐ雲の中に消えた。
 美樹との約束は三時である。
「申し訳なかったです。失礼していて」
 空港ビルの二階にあるレストランで、美樹は待っていた。
「いえ、私こそ。突然に葉書なんか差し上げて……」
 襟の大きい黒いシャツ、白いパンツのコントラストが鮮やかだった。米子で出会った時、髪は長かったはずだが、短く刈り上げられていた。若いな、と思った。ふっと、自分の年齢を数えてしまう。
 美樹は高校を出ると直ぐに、三次の窯業訓練校に行き、岡山の窯元に八年間居て、それから口羽で上田窯を開いた。だから、三十には未だである。
 いいでしょう? と目で聞きながら、メニューを手に美樹がコーヒーを頼んだ。
「パリに行ったりしてたものだから……いろいろ忙しかったんです」
 言い訳がましいなと自分でも思いながら、亮輔は謝る。
「そうだったんですか。一流ですね」
 そう言われると、面映ゆい。
「そんな……誰だって行きますよ」
「私なんか、お金もないし無理だわ。外国はソウルだけなんです」
 亮輔は、コーヒーカップに目を落とす。パリの費用は必ずしも自分だけが出したものではない。
 亮輔は、パリで出会ったミシュランや絵の話をし、別の方向を探ってみる気持ちになったことを言う。
「そういうことってありますよね。きっかけなんて、どこにあるか分からないわ」
「どう自分のものにするかですが」
「ソウルで見た青磁の青さが素敵でした。それが私の原点なんですが」
 美樹が二人展に出していた青釉薬を使った食器や花器を思い出した。
「相良さんの作品のことですが……」
 千秋に話したことを言わねばならない。

第286回

 作品を並べたいという相良美樹の希望があると話した時、千秋は一瞬戸惑いの表情を亮輔に見せた。
 暫く、遠くを見詰めるような目をしていたが、(……いいわよ)と言ったのだ。
 二人展ならばともかく、亮輔の作品と常に一緒にというのはどうだろうと言っているようにも思えた。
 亮輔はそれが気になっている。だが、自分から言い出したことだ。千秋が駄目だと言えば困る。
「紗納さんは、承知してくれました」
 美樹が(おや?)という顔をした。
「てっきり、紗納さんが断られたのだと思っていました」
「いえ、それは……」
「だって、伊折さんが私におっしゃってから随分と日が経っていたものですから、それで」
 きつい表情だった。
 言われるまでもなく、亮輔が話を持ち出してから、もう半年が過ぎている。
「私からお願いしたのならともかく、伊折さんからのお話でしたから、心待ちに……」 忙しいということもあったが、何となく千秋には言い出しにくかった。(カフェ・ロワールに展示するのは、あなた一人で十分でしょう。その上に、二人展をしたからといって、相良さんまで引き込むことはないわ)と、千秋が言いそうな気がしていたのだ。そのことが、ずっと心の奥に引っ掛かり、意識の底で相談を先送りにしようという気持ちが働いていた。
 いくら関係が深まっているとは言え、千秋に莫大な援助をしてもらっているという、いわば弱味がある。
 去年の秋の初めのことだ。七瀬をモデルにして描いていると千秋が知った時、(私がモデルを探すから、その学生バイトモデルの佐木さんという人、止めなさいよ)と言ったことがある。
 千秋が、七瀬の代わりに京都から呼んだのは、プロのモデル深田由香里だったのだ。
 七瀬と体の関わりがあるということは、千秋は知ってはいないはずだ。だが、女の勘で、何かあると思ったに違いない。
 七瀬を排除するために、かなりな費用を掛けて由香里を亮輔のモデルにした。プロであり、しかも京都からである。モデルの仕事が済めば、それで終わりである
「どうなんですか。伊折さん」
 亮輔は黙った。美樹に、そこまで言われるとは思ってもみなかった。 

第287回

 どうなんですか伊折さん、と言われると叱られているようだ。と言うよりも、詰問に近い。言い訳じみてはいるが、考えてみれば亮輔は軽い気持ちで美樹に話したように思う。
 何かを頼まれて、考えておきますとよく言うが、それはプラス方向ではなく、駄目だに近いと同じである。
「私……ずっと待ってたんです。ご返事がいただけないのに、あまり催促するというのもどうかと思ったりして」
 美樹の目の奥が少し笑っている。
「すみません……」
 亮輔は素直に謝る。
「ご返事がないのは、ご迷惑だからかなと。せっかく、伊折さんの絵を展示するという計画を立ててやっておられるのに、絵とは関係のないものを並べるんですから」
 その話を千秋にした時、少し間合いがあって(いいわ)と言ったことを亮輔は思い出す。
「二人展の時も、面白いと言ってたんですから、いいじゃないでしょうか」
「ともかく紗納さんが、ご承諾されたってことで、安心しました」
「となると、展示をどうするかという打ち合わせをしなきゃいけませんね」
 いつか三人で話さなければいけない。
「お願いします。でも、時間がかかるかもしれませんね」
 美樹の言い方が、またきつくなる。
「いえ、打ち合わせが早く出来るようにします。言っておきます」
「伊折さんは、紗納さんといつも一緒なんですか?」
 一緒とは、どういうつもりで言っているのだろうかと、亮輔は美樹の顔を見る。
「一緒って……」
「あら、ごめんなさい。変な意味じゃないんですよ」
 言いながら、美樹が首を少し傾げてまた笑っている。
 年齢は七か八歳くらいしか違わないはずなのに、翻弄されているような気がする。
「紗納さんは、いい後援者なんですね。私も援助していただこうかしら」
「……」
「伊折さんは、男だから……羨ましいわ」
「男も女も関係ないですよ」
 亮輔は憮然とする。まるで、千秋と何かあると言わんばかりではないか。もっとも、実際にそうだから仕方がない。
 美樹の言い方は、何か気になる。

第288回

 大阪行きの飛行機が出発してしまったらしく、見送りの客が神名火≠ノ入って来た。静かだったレストランがざわめく。
「でも、紗納さんって、ほんとにいい方なんですね」
「まあ、そう言えば……」
 亮輔は、美樹の真意を図りかねている。
「だって、アトリエを提供してもらっておられるんでしょう?」
 以前、千秋と亮輔の関わりについて画商の林から聞いたようなことを言っていた。深い意味でないだろうが、(スポンサーということ?)と、確かめたことがある。
「借りてるんです」
「そうなんですか。失礼ですけど、お家賃はどれくらい?」
 実際は一円も出してはいないが、そこまで言う必要はないと亮輔は思う。
「事情があって、公開しないことになってますから」
「事情……ね」
 何を聞きたいのだろうかと思うと同時に、いささか煩わしい気持ちにもなる。
「どうして、そんなことを?」
 美樹は、暫く口を開かなかった。
「ん……そうですね。焼き物を造るのは、羽須美でもいいんですけど、大きい町での、何というのか、拠点が欲しいんです」 
 それで、カフェ・ロワールの話に魅力かがあるのだと言いたげである。展示をして、売れるかそうでないかは別として、知名度を高めるには効果があるだろう。ましてや既に亮輔の絵も展示してあり、一定の客も付いている。
「相良さんは、川本の方でも展示されているとかって」
 川本か、大田市のことであったか忘れたが、道の駅に出していると聞いていた。
「ええ、ですけど、私の……というようなお店が欲しいんです」
 どの程度の資力があるかどうか分からないが、出雲なら、かなりな経費が掛かる。
「羽須美では、地元の陶芸ということで根付いて欲しいということも言われますし、土探しにも適してるんです。自然も豊かで、感性も磨けるような気もするし」
 そうでしょ? というように美樹が亮輔の顔を覗き込む。微かに化粧が香り、亮輔は千秋の匂いを思い出した。
「直接、紗納さんと話してみようかしら」 わざとらしく美樹が言った。
「……まあ、いずれ」
 それを潮時に、亮輔は伝票を手に立つ。

第289回

 レジの前で押し問答になった。
「いろいろお願いをしたんですから、私が払います」
 美樹が財布をバッグから出した。そう言われて、亮輔は(じゃあ……)とは言えない。
 どちらが誘ったのか。美樹のようでもある。電話でどんな言い方をしたのか。
 食事をした訳ではないから、金額的にはどうということはない。だが、美樹のことで会ったとしても、やはり払ってもらうのは、気に入らない。
「僕が払うから……」
 最近はデートをしても、いわゆる割り勘というのが多いらしいが、美樹との間には微妙な距離感がある。
「伊折さんに出してもらえば、私、お金目当てと思われそうだから」
 亮輔は唖然として美樹の顔を見る。そこまで考えているのではない。
 美樹との立場が何であれ、女性を誘った場合、相手にもよるが、男はエスコートしたい、自分の翼の下に囲っておきたいというような思いがある。それが男の満足感を刺激する。亮輔は美樹を押しのけるようにして、支払いを済ませた。
「お金に関して、伊折さんはシビアなんでしょう?」
「それって……どういう」
 聞きようによっては、何かにつけて千秋に費用を出してもらっているのだろうという嫌味な言い方に取れなくもない。
「……」
 取り出していた財布を美樹は黙ってバッグに入れた。どうでもいいようなことだが、ちょっとした諍いを亮輔は、苦い感じで飲み込んだ。
「伊折さんのモデルさん……佐木さんていうお名前だったかしら」
 階段を並んで降りながら、美樹が聞いた。
「ええ、佐木七瀬です」
「変なこと聞きますけど、絵を描かれる人とモデルさんが深い関わりになっちゃうことってあるでしょうね」
 亮輔は立ち止まった。
「何で、そんなことを?」
「知らない世界だから、興味があって」
「人間だから、時には……ありますよ」
 つまらない問いだと思いながら、亮輔はそう吐き捨てた。
 美樹は、出雲市で買い物をすると言い、赤いワゴンで西に向かった。
 後味が悪い。亮輔は、車を乱暴に発進させながら思った。

第290回

 春の終わりから初夏にかけて、亮輔は美樹へのわだかまりを捨て切れなかった。いつもというわけではないが、何かの時にふっと頭の中をよぎる。
 下種な見方をすれば、喧嘩を売っていると言えなくもない。一体、何を考え、何をしようとしているのか、よく分からない。
 美樹が、独りで粋がっているようでもある。もし、そうだとしたら、可哀相だ。
 あるいは、中国山地の奥深い羽須美の村で孤独で淋しいせいもあって、考えが偏るのか。いくら都会地から遠いといっても、今どきのことである。隔絶された所という訳でもないだろう。それはともかく、考えてみれば、亮輔は美樹のことについて、詳しく知らないことが多いのに気が付く。
 出雲空港で話をした後、美樹は千秋に何度か会ったようだ。面倒になった亮輔は、展示のことを二人の話に任せたのである。
 カフェ・ロワールには、亮輔の絵と一緒に美樹の作品が並んだ。ほんの数点だったから、目立ちはしない。絵の点景のような感じになっていた。それはそれで、亮輔には何の問題にもならなかった。
 ともあれ、千秋が請け合ったのだから、差し出がましいことを言う筋合いはない。
 千秋は、山口での新しいビルの建設に関わり始めたこともあって、殆ど萩市の会社で仕事をしているようである。
 萩へ千秋が帰っている間は、出雲に居る必要もない。亮輔は、松江で過ごすことが多くなっていた。
 パリから帰った三月以来、亮輔は憑かれたように抽象画を描いた。殆どそれは、松江のアトリエでの仕事になった。出雲のアトリエでは、大きいものは描けない。千秋が最初に言ったように、狭いのである。
 キャンバスは、最初から百号を使った。
 画架に向かうと、描きたいものがキャンバスの裏から溢れ出るような感じがある。 絵が、どこか知らない未知の世界からやって来るような気もした。
 これまで描いてきた風景、人物が何かを生み出せと言っているようだった。
 一日に何度かだが、七瀬のデッサンが、七瀬の顔が浮かぶ。(いいものを描いてね)という声が聞こえてくるような気がした。
 何枚か描く中で、亮輔はテーマが見えてくるように思えた。 
 七瀬と千秋に出会ったのも運命である。天命であり、宿命だったかもしれない。自然に決まっていた運命である。
 亮輔は、キャンバスの裏に成命と書いた。

第291回

 成命とは、生まれながらにして人に定められた運命のことである。運命とは、幸せ、不幸や喜びと悲しみなどを人間にもたらす超自然の力である。
 男と女の出会いも、自らの人生を決定する生き方も、全て超越的な力を持つ何者かが握っている。それは、運命という巨大な手であると言っても間違いではない。
 心の奥底から自然に湧き上がった成命≠ニいう文字をキャンバスに書いた。
 その成命という文字に、亮輔は更に2005≠ニいう数字を追加する。
 亮輔が期せずして到達したテーマは、運命であった。テーマを見付けた記念すべき年の数である。成命2005のシリーズを今年は書き続けようと、亮輔は心に決めた。
 亮輔は夏夫に、成命第一作をカラー写真に撮って送った。
 これまで具象を描いてきた亮輔にとって、抽象としては、習作ということになる。完成したものだとは思っていないが、とりあえず夏夫の意見が聞いてみたかった。
 数日して、夏夫から電話があった。
「成命というタイトルがいい」
 最初に言ったのは、その言葉だった。
「どう受け取った?」
「何の意味かと思ったが、辞書を引いてみたら、なるほどと」
「何と書いてあったのだ?」
「お前の造語だとは思ったが、念のために国語辞典を見たが無かった。妙な言葉だから、手元にあった古い辞典を見たのだ」
「古い辞典?」
「ああ、大阪の立川書店の辞典だ。立川文明堂ともいうらしいが、そこから大正十四年に出た漢和大辞典にあった」
「八十年も前のものだな。それに何と?」
「ちょっと待て。成命というのは、何かで調べた言葉じゃないのか?」
 亮輔は、その言葉が書かれている書物を見た訳ではない。
「違うね。不意にその言葉が出て来たのだ。知らない熟語だ」
 暫く考えているような夏夫の気配が、受話器から伝わって来た。
「てっきりお前が作った言葉だと思った。辞典には、自然にきまりたる運命≠ニ書いてあった」 
 亮輔は、背中の皮膚が硬直するのを感じた。生み出した文字が、夏夫の見た辞典にあったからだ。
 どこかで見た言葉の連想からだったかもしれないが、記憶にはなかった。

第292回

 成命第一作は、ともかく絵筆を動かしていたら出来ていたというのが、本当だった。何をどう描こうとしていたのでもない。
 白いキャンバスに向かって、最初に使った色は、カドミウムレッドの、それもディープだった。チューブから出したままの絵具を叩きつけた。
 次に使ったのは、カドミウムイエローのディープ、コバルトブルーである。絵筆を使い、時にはペインティングナイフで、色を塗り重ねた。
 油彩画のダイナミックさは、絵具による厚塗りで作られる。別の言い方をすれば、描かれた勢いのある筆跡や迫力のある盛り上げ、タッチのきいた厚塗りである。
 混色はしなかった。原色を使った。チューブから出した色は、実に美しい。亮輔は色を濁らせまいとした。色を重ねるとしたら、隣同士の色が混じり合った微妙な色で、それを出したかったからだ。
 アトリエは空調が効いているはずなのに、顔から汗が滴り落ちた。
 何かに押されるようにして、筆を、ペインティングナイフを動かしていた。なぜか分からなかった。
 神秘的ですらあった。
「成命2005は、お前の抽象画としては、まずまずだ」
 亮輔は目を細めた。二人でコーヒーを前にしていたら、(何だ、それ)と、カップを投げつける真似をしたかもしれない。
「まずまず……ね」
 亮輔は繰り返した。
「俺は描いたことはないが、抽象というのは、心の中が表れたものだと思うな。当然のことだけれども」
「心の中か」
 夏夫の言葉を再び反復する。
「ああ、そうだと思う。内なる現実というやつだろう」
 心の内実だと、夏夫は言っているが、確かにそうだった。溢れて来たものがあったからだ。まだ茫として掴めないものも幾分かはあった。だが、絵筆がそれを全て捉えたのだろう。
「お前の絵がいいか悪いかは、別の問題だ。つまり具象と抽象は、見方が違うからな」
「言われなくても分かっている」
「暫く描き溜めて、抽象の個展をやったらどうだ?」
 それもそうだと呟く。
「ところで、七瀬君のことだが」
 夏夫が不意に話題を変えた。

第293回

 七瀬のことだがと聞いて、亮輔はぎくりとする。七瀬は、夏夫の妻、明子の知り合いの娘である。
 その七瀬と関係があったということを夏夫も明子も知ってはいない。だが、何となく、それを咎められているような気になる。 もちろん、若いとは言えないにしても、それなりの大人である亮輔と七瀬が、余程、妙なことでない限り、それぞれ何をしようと問題にすることはないはずである。
 いつか夏夫が言ったように、仁多から松江の大学に入る時、親代わりをしてくれと七瀬の両親に頼まれたからな、と言ったことが心に刺さるからだ。
「七瀬、いや、佐木君がどうかしたか?」
「オーストラリアに行ったってことは話したよな」
 そのことは、四月、夏夫の家に行った時に聞いていた。
「やっぱり、お前の所には何も言ってこないのか?」
 どういう気持ちの変わりようか知らないが、七瀬の方から避けているように思える。夏夫にそれを言いたくはない。言えば、七瀬とのこれまでのことを話さなければならないからだ。
「連絡はないね。忙しいんと違うか? 独りで外国に行って、戸惑いもあるだろうし」
「だったら、お前に何かあってもいいんじゃないのか」
 また話が戻りそうである。
「ま、それはいいが、佐木君が何?」
「うん。オーストラリアには語学研修ということで行ったんだが、それはそれなりに成果があるらしい」
 七瀬は、シドニーのオーストラリアン・カソリック大学付属語学学校に入った。選んだ理由は、学生数百二十人のうち、日本人が三割も居るということからだった。
「元気でやってるということかな?」
 亮輔は、七瀬の整った顔を思い出す。
「あちこちの家でホームステイをしながら、学校に通っているそうだ」
「一年間ということだったが、ずっと同じ学校か?」
「いや、一校で数週間単位らしいな。だから、学校も替わるだろう」
 授業料が週に三百ドル、ホームステイが二百ドルだと夏夫が言う。亮輔は、それを聞いて心配になる。一年なら、かなりな出費ではないか。
「アルバイトもしてるらしいよ」
 亮輔は、またもや気になる。

第294回

 費用が潤沢にあるなら、アルバイトをする必要もないはずだ。
「結構、日本人の若い者がそんな生活してるらしい」
 亮輔は七瀬に詳しく聞いたのではないから、よく分からないが夏夫の言い分によると、どうやらかなり積極的にやっているようである。若いな、と思った。
「学生ビザで行ってるんだが、一週間の仕事の時間が二十時間までと決まってるようだ。まあ、そんな感じなら、ゼロで行ってるわけじゃないから何とか出来るだろう」
「どういう場所で働くのだ?」
「免税店、日本食のレストラン、土産屋なんかで、探せばいくらでもあるらしい」
「英語は、どうなんだ?」
「ほかの仕事なら、かなりの英語が必要だろうが、日本人相手の店なんか、それほどでもないようだ」
 そう言えば、パリでも日本人が働いているのを何度か見た。
「佐木君からは、手紙でそういうことを?」「携帯電話だ」
「携帯……」
「よく知らんが、オーストラリアで使うために、現地で手に入れたらしい。それに超小型のパソコンを持って行ったらしいから、Eメールで連絡が取れるだろうな。俺はインターネットをやってないのだが」
 インターネットか、と亮輔は虚を衝かれた。ケーブルテレビが松江の家に入った時、インターネットも契約した。だが、パソコンは持ってはいるものの、そのうちインターネットに接続をと思いながらそのままにしていた。必要ではなかったからだ。
 七瀬とも、そんな話をしたことはなかったが、オーストラリアに行くと決めてから、通信手段として使い始めたのだろう。
「お前は暇だから、インターネットを使えるようにしたらどうだ?」
「余分な時間があるという訳でもないが」
 そうだな、そうしようと呟きながら、亮輔は頷いた。夏夫は、暗に七瀬とメールでどうだと言ってるようだ。携帯は持っているが、亮輔はメール機能を使ったことがない。あれば便利だろうなと思わないこともないが、あの小さいキーを打って文字を出すのは面倒だった。分厚い説明書もよく読まないと分からないからだ。
「そうだ。七瀬君は、スケッチ程度だが、絵も描いてるって言ってたぞ」
 絵か……と亮輔は、七瀬をモデルにしていた頃のことが頭に浮かべる。

第295回

 暫く離れているうちに、七瀬のことで知らないことが多くなった。亮輔の方から疎遠にした訳ではない。何となく七瀬が、避けるような様子を見せたのだ。
 パリに行く前だった。七瀬から葉書が来た。机の抽斗に入れたままになっているが、それは、田舎に帰って暫く休むという意味の内容だった。更に、絵の方は順調かとあり、頑張ってくださいとも書かれていたことを覚えている。
 葉書を出した後、四月のいつか分からないが、七瀬はオーストラリアに行ったのだ。
「英語を勉強したいと言ってたなあ」
 亮輔は、もう随分前のことになったなと、初めて出会った日を思い出す。夏夫と話しているこの部屋だ。
「オーストラリアに行って、目的が見えてきたらしい」
「というと?」
「日本に帰ったら、英検を受けると言っていた」
「英検か……」
「オーストラリアで英語漬けになっていたら、十分だろう」
 英検は、日本英語検定協会が主催する資格試験である。毎年、受験者は二百五十万人くらいで、一級から五級までのランクがある。合格率はそれぞれの級で違うが、中学生程度の五級から、大学の上級とでもいえる一級までだ。一級になると、受験者の一割しか合格しない。
 パリに行ってつくづく思った。外国語、特に英語が自由に操れるようなら面白いだろう。
「通訳でもするつもりなのかな?」
 亮輔は、そう言いながらパリで出会った通訳の森下亜沙子が、生き生きとしていたことを思い浮かべた。
「さあね。ともかく、いろんなことをやってみるのもいいことだな」
 夏夫の声はいつものことだが、自分の方向を見せてくれるような気がする。
「七瀬君のメールアドレスが分かるか?」 亮輔はそれだけは聞いておきたいと思う。住所も分かっているはずだが、メールなら書き易いように思える。
「明子が電話で聞いてメモしたはずだ。役に立つかもしれないな。ちょっと待てよ」 暫く待った。
「いいか? 言うよ」
 手帳に書き留めたアドレスを見ながら、亮輔は(七瀬)と呟き、インターネットをやろうと決めた。

第296回

 電話を切って、亮輔はぼんやりと窓の外を眺める。
 今年は暑い夏だと言われているが、島根半島の北山から吹き降りる風は涼しい。
 七瀬がこのアトリエに来て、亮輔のためにモデルになってくれたのは、もう随分前のような気がする。
 亮輔は振り返った。アトリエに続く部屋は寝室である。絵を描き始める前、七瀬はいつもそこで着替えた。ベッドが置かれている部屋を更衣室にというのはおかしいが、七瀬だからそれは許せた。
 その部屋で、何度か七瀬を抱いた。(暗くして……)と、いつも言っていた。
 モデルとして裸になっているのに、今更恥ずかしがることはないだろうと亮輔は言うのだが、それとこれは別だと七瀬は口を尖らせた。男と女の違いなのだ、などと言い合ったこともある。
 そんなことを思い出していると、たまらなく七瀬が恋しくなる。
 千秋が居るのに、その上にまた七瀬のことが気になるというのは、自分でもどうかと思う。だが、それは理屈であって、男というものはいい加減なものだと、亮輔は自分で自分を笑ってみる。
 千秋は、暫くの間、萩の会社で仕事をすると言って自宅に帰ったままである。それはそうだろう。もともと千秋は、出雲に住むつもりで来ているのではない。本社から支社への出張という形だからだ。
 夏夫の電話で、七瀬が亮輔の気持ちの中に大きな場を占める。こんなことでいいのかと、亮輔はまた苦笑する。
 暇だからインターネットくらいはやったらどうだと、夏夫にけしかけられた。
 暇だとは言わなかったが、それくらいの時間は十分にある。
 アトリエにはケーブルテレビが入っている。インターネットは、契約すれば直ぐに使えるようになる。それは、出雲も同じだった。特に、出雲は大々的にインターネットキャンペーンを始めた。
 出雲のアトリエにはパソコンはないが、買ったところで安いものだ。工事費もさほどのことはない。すぐに準備は出来る。
 七瀬のアドレスも聞いた。インターネットに接続さえすれば、七瀬と連絡が取れるはずだ。
 やはり、使わないでいるパソコンを動かしてみようと、松江のケーブルテレビ局の電話番号をプッシュする。テレビ局の営業担当の声が聞こえた。

第297回

 八月に入り、出雲の街は盆の季節を前にして暑さがひときわきつかった。
 だが、高瀬川の灯ろう流しが終わると、夏の暑さも終わりである。暦は既に秋になっているが、盆を境目に季節は間違いなく本物の秋に向かう。
 少し話があるんだけど、と千秋が言ったのは萩から出雲に帰り、一週間経った日の夕方のことだった。
「ねえ、相良美樹さんは、どういう人だと思う?」
 ビールのグラスを手に、千秋が言った。
 外は未だ暑さが残っているが、空調の効き過ぎた部屋は寒いくらいだった。亮輔は、どちらかと言えば、後から室温を上げるにしても、最初はきつめの方が好きである。
「どうって……」
「カフェ・ロワールに、作品を展示させて欲しいって、かなり強引だったわ」
「というか、あれは……」
「あなたが提案したんでしょ?」
 二人展をしたこともあって、関わりが付いたと思ってのことだった。だが、考えてみれば、前もって千秋に相談を持ちかけた形にするのがよかったかもしれない。
「カフェ・ロワールは事業でもあるんだけど、あなたのために考えたことだから」
 千秋の言いたいのは、やはりそのことなのかと亮輔は思う。
「店に来た人に、目新しい展示があるって思わせるのもいいかもしれないし……」
「分かってる。それはそれでいいの」
「というと?」
 千秋は、ビールのグラスを飲み干す。
「亮輔さん、あのモデルやってた人と、今も何かあるの?」
 あのモデルというのは京都のそれではない。七瀬のことを言っているのだろう。
「佐木……七瀬?」
 今も何か、と言った千秋の言葉を亮輔は図りかねている。
「相良さんが、そう言ったわ。あなたと佐木さんという子は、今も関係があるって」
「今も……って」
 関わりがあったというのは、間違いはない。モデルを止めてからは、いわば立ち消えになった。美樹がなぜ? と考えた途端、(絵を描かれる人とモデルさんが深い関わりに?)と聞いたことを思いだした。
 あの時は、美樹の言葉にいらいらしていたこともあって、(時には、ありますよ)と答えたのだ。言ったのは、想像であって、自分のことではない。

第298回

 美樹のつまらない質問に正面から答えることはないと亮輔は思った。そんなことは、よくある話だと言っただけである。
「いつだったか、相良さんが私の所に来てね。伊折さんという人は……って言ったわ」
「くだらないことを」
「そうね。確かにつまらないこと、どうでもいいことを相良さんは言ってる。でも、佐木さんとの間に関わりがあったということは、私、分かってる」
「それは……」
「いいのよ。私の想像だけれど当たっているでしょう?」
 そうだ、とは言えない。千秋も確かめたい訳ではないだろう。
「いつか言ったわ。佐木さんというモデルは使わないでと」
「去年の秋から、モデルにはしてない」
「だから、京都からモデルを呼んだのよ。私の目の届くところで、知らないことがあるのは許せないの。それだけのことよ」
 七瀬とのこともそうだが、美樹に作品を並べたらどうかと言ったのも、千秋が知らないことだったのだ。
「ただね、さっきも話したんだけれど、佐木さんをモデルにしなくなってからも、二人だけで会ってると言うの。相良さんは」
「それはない。佐木君は四月からオーストラリアに行ってるから、そんなことが出来る訳がない」
 千秋が、一瞬(おや?)という顔をする。
「そうなの? そう言えば、モデルをするというのは、留学費用のためだったわね」
 出雲市駅に近い飛天≠ニいう料亭で千秋と飲んだ時、そんな話をした。
「オーストラリアに行ってから、連絡を取ったことはない」
「そうなの、それは残念だわね」
 本当かな? という目である。
 亮輔は目をそらす。七瀬にメールを出すために、松江のアトリエにインターネットを入れることにしているが、局の都合で少し先になるはずだ。
「相良さんは、亮輔さんが邪魔だと思っているかもしれない……」
「まさか……」
 邪魔だというのは、どういうことか。千秋に取り入って、援助をしてもらいたいということなのかと言ってみる。 
「そうかも。ちらりと、そんなことをね。適当に、はぐらかしたけど」
 千秋は、(話しておきたかっただけ。もういいわ)と、亮輔の言いたいことを遮る。

第299回

 パリから帰り、夏、そして初秋にかけて亮輔はかなりな数の作品を描いた。三十号程度の小さいものから百号の、いわゆる大作とでもいえる抽象画に専念した。
 夏夫が、(抽象画としては、まずまずだ)と言った最初の作品は納得がいくものだったが、後が続かない。これだ、と思うものに仕上がらないのである。
 そんな時に限って、パリの画廊で見た絵が頭に浮かぶ。デ・ジュールというギャラリーにあった榊竜司の作品である。
 榊は鳥取市に住んでいるが、国内ではあまり知られていない。なぜなら、日本の展覧会に出さないからである、と夏夫が言った。作品は、大山がモチーフになっていたように思えた。具象と抽象が入り交じったような描き方だと思った。
 高校の数学教師という取り合わせも、不思議である。
「亮輔さんの絵、私にはどうも分からないところがあるのよね」
 アトリエで、亮輔が描いた絵を見ながら千秋が言った。
「どこが?」
「どこと言われても、うまく説明がつかないのだけれど」
「つまらないということ?」
 千秋は、直ぐに答えなかった。
「そうではないけれど……」
 言い渋るのは珍しい。いつもなら、切るような言い方をする。
「言ってくれよ」
「そうねえ……売れるのかなと思うのよ」
 千秋の立場からすれば、そうであろう。展覧会で賞を取り、その絵が飾られているばかりでは意味がない。
 小説を書く作家も同じだが、書いた作品が売れなければ生活することも出来ないのである。小説作家は、それで生業をたてている。
 千秋が亮輔に投資しているのは、絵を売ってそれなりの利潤を上げるためだ。
「売れる、売れないというよりも、いいもはいいということもある」
「趣味で描く人ならいい。少なくとも、亮輔さんはプロよ。プロの絵は、買う人がいなければ駄目なんだと思うわ」
「必ずしも、そうばかりとも……」
 数年前まで、亮輔は絵が好きで描いていた。儲けようとか、出世しようという思いはあまりなかった。
 このところ、千秋と意見が食い違うことが多くなったような気がする。 

第300回

 絵は楽しんで描くものだということは、間違いではない。自分で思い通りに、気持ちよく描いたと思える絵は、それを鑑賞する側にも伝わるはずである。
 だが、絵について千秋と関わっている以上、そればかりではいけない。
 亮輔は、パリのデ・ジュールで出会ったトリュフォーとの話を思い出す。
 絵は美術館などに飾られ、沢山の人の視線に晒されるだけではなくて、普通の家の壁にも掛けられる。となると、絵画評論でどうのこうのということとは、別の視点で考えなけねばいけない。そんな話をしたのだった。
 千秋の言うのは、そういうことでもあるのだろう。
「亮輔さんの描いている抽象が、絵画的価値からみて悪いということはないと思うのよね」
 幾枚か描いたが、公的な場での評価については未知である。
「そう言ってもらえれば嬉しいが、抽象は描き始めたばかりだから」
「そうかな? 数をこなしたからいいというものでもないでしょう。ただ……」
「ただ……って?」
「うーん。例えば、自分の家にね、アクセサリー的に絵を置いておこうという時には、やはり風景なんかにするでしょうね」
 亮輔もそう思う。
「それにね、十号程度までの小さいのはいいかもしれないけれども、百号の絵を掛けるというような普通の家はないわ」
 描かれている内容によって、つまり人物や風景によって違うのだが、百号というのは、おおよそ百六十と百十センチ程度の大きさである。それだけの絵を掛ける場所のある一般の家庭は、多くはない。
「売れる絵を描き、それとは別に自分が納得できるもの、それはそれで描くということになるか……」
「売れる絵は、だから小品ということになりそうね」
 大作の場合は抽象で、小さいものは具象ということかと、亮輔はいささか憮然とする。それも一つの行き方である。
 ただ、それで自分の気持ちがすんなりと通るかどうかでもある。
「描き屋か……」
「そんなこと、言っちゃ駄目よ」
 千秋が取りなすように言う。
 思い通りの絵を描きたい。売れる絵を描くことに時間を費やす意味があるかだ。