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  笛の音 第91回〜第130回    
            平成15年7月31日〜平成15年10月30日

 松島は二百六十ばかりの島が点在する浦戸諸島で、日本三景の一つである。美音子は上空から見たことはないが、高い場所からならともかく、陸地からではさほどのことはない。むしろ、宮島か天橋立の方がいい。しかし、それよりも更に美しいのは、やはり出雲の宍道湖である。
 二か月程前、松江に帰った時もそうだった。バスが宍道湖大橋を渡る時に見た夕暮れ近い湖のあまりの華麗さに、声もなかったのだ。久し振りということもあったが、それにしてもである。
 松島海岸駅まで、JRなら仙石線を使えば三十分くらいだ。美音子は仙台セントラルホテルの駐車場からセドリックを引き出す。国道四十五号線を約三十キロばかり走ると松島海岸駅前である。
 浪打浜無料駐車場に車を停めて、瑞巌寺まで歩いた。
 瑞巌寺は奥州随一の禅寺で、伊達政宗の菩提寺、と案内板にある。美音子は何度か来たことがあるのだが、いつ見ても桃山様式の粋が尽くされた建築物だと感心する。かつての奥州の覇者が五年の年月をかけて作り上げた意気込みが伝わるようである。
 美音子と有司は、伽藍まで歩いた。かなりな距離があった。
「出雲大社も大きいが、ここもなあ」
「本堂の壁が崩れたんだって。それって五月の地震でね」
 五月には宮城県沖で地震があり、続いて夏の七月二十六日には、宮城県北部で起きた。震度六の強い地震だった。
 午前七時過ぎに美音子は揺れに気がついて目が覚めた。後で知ったことだが、仙台市内でも震度四だったという。
 宮城県沖は、約四十年間隔で大地震を繰り返してきた場所である。
 政府の地震調査委員会は、マグニチュード七程度の地震が起こる確率は九十八パーセントだと言っていた。それが的中したかどうかは別として、四か月前の夏は、そのニュースで持ちきりだったのだ。
 宮城県北部地震の被災地ではボランティアを名乗る不審な人物が現れたりもした。避難所で(手伝うから食べ物をくれ)と要求したり、(片づける)と言って作業をし、後から報酬を請求したりと、いわば弱みにつけ込む者がいた。
 美音子は、東北日日新聞に掲載されていた記事を覚えている。
「そんな奴がいたのか」
 有司が、呆れた顔をした。
「そうなの。いろんなこと考える人がいるんだよね」
「それはそうと、ここの松島は、地震はどうだった?」
「被害もあったらしいけど、さほどのことはなかったらしいって聞いてた」
 松島町は、地震の震源地と隣り合っていた。七十ほどの家が壊れたが、それは震源地に近い町の北側が主で、太平洋岸沿いでは大きな被害は出なかった。
「本堂は、壁が崩れたって書いてある」
 有司が指差した先に、掲示板があった。 五月の地震で本堂の松の間≠フ壁が崩れて修復中だったが、新たに国の重要文化財墨絵の間≠ニ隣り合う羅漢の間≠竍菊の間≠フ三つの部屋も壁が崩れている、と書かれていた。
「松江の方は、地震があまりないのよね」
「そう言えば、そうだな。出雲大社のせいだろ」
「何それ。御利益ってこと?」 
 美音子は、冗談めいたことを言う有司の顔を見て笑った。
 瑞巌寺から五大堂を回った。中央広場の辺りには土産物店が並んでいる。
「有ちゃん、お土産買って帰ろ」
 松島の代表的な土産物といえば、イワタケとも呼ばれる瑞巌寺石斛の花や達磨こけしなどである。美音子が選んだのは、ガラスコップだった。
「なんでそんなもの買うんだ」
 有司が不思議そうな顔をした。
「今夜、これでお酒を飲んだらいいんじゃないかと思って」
 美音子は、ついでに松島の吟風≠買った。松島の地酒である。一升瓶にしようかと思ったが、あれば全部飲んでしまう。ビール瓶くらいの大きさのものにした。二つのグラスに入れれば、それで空になるかもしれない。
「でも、それどこで飲むんだ?」
「私んとこ」
「……」
「今日はホテルを予約してないでしょ。だから私のマンションに泊まればいいよ。狭いとこだけど」
 美音子の住まいがあるのは山田という町で、仙台南部道路のインターが近くにある。仙台市の中心ではないが、何かと便利な場所だ。マンションは仙南サンヒルズと洒落た名前が付いているが、そう新しくはない。ただの賃貸だが、高台にあるので眺めだけはいいのである。
「泊めてくれるのか?」
「いいよ。有ちゃんさえよければね」
「文句言う筋合いはないだろ」
 昨日の夜が、ある馴れを作っていた。
「じゃ、決まりね」
 来た時と同じ国道四十五号で仙台まで帰って来た。長町駅の前にあるスーパーで夕食の買い物をし、マンションに着いたのは夕方だった。
「どっかで食べてもよかったんだ」
「そんなわけにはいかないわよ。せっかく、私のとこまで来てるのに」
「それはそうだけども」
 女の、それも一人暮らしの部屋が珍しいのか、有司は部屋に入ったなり突っ立っている。
「いいところじゃないか」
「そうでもない。ただ蔵王が見えるというのがいいのよ」
 秋の暮れは、駆け足でやって来る。蔵王は既に暗い影の中にあった。
「ちょっと待ってて。夕食の支度するから。でも、何もできないけど」
 美音子は自分でもおかしいと思う程、気持ちが浮き立つのに気付いていた。 
 夕食は鍋にした。十一月も終わりに近くなると、秋から冬になるのだというように空気の冷えが感じられる。そんな季節には鍋がいちばん似合う。
 美音子は青葉通りのどこかの店で、伊達鍋というのを食べたことがある。鶏肉はもちろん、白菜、大根などの野菜が沢山入ったものだった。格別、何の料理法があるわけでもないだろうが、とにかく具は多かった。それを思い出したのだ。
「美音子は、いつもこんな鍋するのか?美味いよ」
「どうってことないけどね。ま、仙台で食べるから伊達鍋かな」
 松島で手に入れた地酒を飲んだ。熱燗が鍋に合う。
「有ちゃん、学校に行くって言ったわね」
「そうだよ」
「勉強してるの?」
「少しずつだけど」
「立派よ。私、素敵だと思う」
 このところ、介護施設や病院などで新しい職種と言われているのは、言語治療関係である。有司が行こうとしている学校には、言語聴覚の科がある。福祉関係の専門学校はどこでもそうなのだが、理学療法士、作業療法士課程などが医療専門課程としておかれていた。福祉専門ということで介護福祉科もあるが、これらは高校卒業の資格があればよいことになっている。
「言語聴覚士になりたいと思ったけど、その科だけが大卒じゃないと駄目なんだよ。それに……四年制出てないと」
「受験資格ってこと?」
「そうなんだ。大学に行っとけばよかったと思うな。今じゃ遅いけども」
 美音子は酒の入ったグラスを両手で包むようにしながら、高校の頃の有司を思い出した。勉強よりもスポーツに熱を入れていた。
「でも、なんだっていいじゃない。福祉の仕事に関われるんだから」
 あまり飲んでいないのに酔いが早い。
 頬が熱い。少し開けた窓から入って来る夜の風が心地よかった。
「俺のことはともかく、美音子はどうするんだ」
「どうするって……」
「帰る気はないのか」
 有司の(帰る気にはならないのか――)という言葉をこれまで何度聞いたのだろう。いつの頃からか、美音子の気持ちは少しずつ揺れが強くなっている。
「そうねえ……」
 微かな音がして電話の呼び出し音が鳴った。出ようか出まいかと躊躇いながら、緑色に点滅するデジタルの灯りを暫く見ていた。(出たら――)というように有司が顎をしゃくった。声を出すと、誰かに聞かれるのではないかというような顔が美音子には可笑しかった。
 電話は母からだった。ついこの間、松江に帰ったばかりなのに、ひどく懐かしい気がした。
「元気なの? 音沙汰がないからどうしてるのかと思って」
「……ああ、元気よ」
 美音子は自分でも言い淀んだことに気が付いた。
「誰か居るの?」
「え――、ああ、ううん。誰も」
 有ちゃんが――と危うく言いかけて美音子は思わず送話口を押さえた。
 ひとしきり、どうでもいいような話をした後、(お正月は帰るよね?)と母が念を押すように言った。
「うん、また考えとく」
「考えとく、なんてそんな……」
 母は、何か言いたい様子だったが、美音子は(じゃあ)と言って受話器を置く。
「家からだろ?」
「ええ、お正月には帰って来いって」
「どうする?」
「決めてない」
「そうか――」
 有司の声が小さく聞こえた。
「寝ようか? 有ちゃん」
 宮城学院大学に入った時から住んでいる美音子の部屋は2LDKで、狭いけれども洋間と和室がある。
 有司を先に入らせた風呂からは、湯を流す音がする。美音子は、二つの布団を少し離して敷いた。ナポレオンのコニャックと小さなグラスを二つ枕元に置く。
 不意に日向の顔が浮かんだ。
 日向に出会い、笛に興味を持った。取材というつもりもあったのだが、笛を作ってみたい、吹いてみたいという気もないではなかった。そのこともあって、仁多にある日向の家を訪ね、思いがけず夜を過ごした。
 だが、なぜかあの時が遠いことのように思える。二か月程前のことなのに、曖昧な記憶の中に沈んでいるような気がした。あの夜の暗闇のように、ヴェールを剥がさないと見えないようにも思える。
「お先に――」
「何よ、真面目に」
 言いながら振り向くと、腰にバスタオルを巻き付けた有司が立っていた。
「あ、ごめん。寝間着ない……」
「いいよ。これで」
「いいと言っても」
 美音子は、志乃をつれて、深川へいった、という書き出しで始まる小説を思い出した。大学生が志乃という薄倖の女に巡り会い、そして結ばれる純愛物語だった。二人の初めての夜、雪国では何も身につけずに寝るんだよ≠ニ、大学生が言う。その科白が浮かんだ。まあ、いいか、と思いながら美音子は湯に浸かる。
 風呂から出ると、有司が布団に腹這いになってグラスの酒を飲んでいた。離して敷いたはずなのに、隙間のない二つの布団が並んでいる。掛け布団から有司の両肩がはみ出していた。
「有ちゃん……布団」
 指差した美音子を見て、有司が笑った。
「いいじゃない。どうせ――」
 それもそうだと思って、美音子はバスタオルを外し、有司の隣りに滑り込む。
 美音子もグラスに手を伸ばした。二万円以上もしたコニャックで、陶器の小さな器に入っている。買う時、どうしようかと迷った。だが、一人暮らしで何の贅沢もしていないのだから、せめて酒くらいはと思って手に入れた。
「美音ちゃん……」
 呼び捨てだったのが、(美音ちゃん)になっていた。
「なに?」
 有司の裸の肩が触れ、抱き寄せられた。「帰っておいで――」
 美音子は右手の人差し指で、その言葉が出た有司の唇を撫でた。
「うん」
 自分でも思いがけず、素直な言葉が出たことに気付いた。(美音ちゃん)と言われたからなのか。(うん)と、もう一度反芻しながら、そうではないと思った。多分、さっきの電話のせいだ。秋祭の夜、お父さんも私も、だんだん歳取るからねえ――と台所で母が言った。いましがたの電話で(お正月には帰るよねえ?)と念を押したのだ。返事は曖昧のまま、受話器を置いたのだが、やはり胸の中に残っていた。それが、帰って来いという有司の誘いに、そうする、と逆らいもせず答えさせたのだ。なぜか、頬を涙が流れた。
「どうした?」
 有司が、それを指でぬぐい取る。
「んん、何でもない。明日は、どうするの? 帰るでしょ」
 樫の樽で、どれだけの期間、熟成されたのか。掌の温もりで暖められた琥珀色の液体から芳醇な香りが立ち上がる。
「八時過ぎ。ANAの成田行きで」
 午前八時か、と美音子は思った。遅くとも七時にはここを出なければいけない。
「ねぇ……」
 美音子は有司に体を預ける。
 風が出て来たのか、窓ガラスが小さく鳴った。雪が近いかもしれないと、美音子は思う。夜はどこまでも深かった。


 松江しんじ湖温泉駅から、七つ目の駅は津の森である。津という文字が使われているように、その辺りは、かつて船津であり、水上交通の要所でもあった。
 古文書によると、津の森に角森という文字をあてた頃もあり、八岐大蛇の角が流れついた場所だともいう。駅の近くに大野津神社があるが、そこには大蛇の骨が納められているらしい。
 津の森駅から十分ばかり歩いた北の山麓に、山陰総合福祉医療専門学院が出来たのは平成十年である。元は内野中学校があった場所で、長江干拓地に新設された中学校へ統合され、いわば廃校になっていたところである。中学校がなくなると閑散とするのではないかと懸念されたが、三百を超える学生や教職員が出入りするようになった町は再び活気を取り戻した。学校行事などで地域との交流が図られたこともある。
 有司は冬晴れになった十二月十三日の土曜日、何度か開かれ、今年最後になったオープンキャンパスに参加した。施設や設備を使った授業体験や受験相談もあると聞いたからだった。
 有司の住む中江の里から、車で十分もかからないところである。中学生の頃、対抗競技などで何度か来たことはあるが、平田市の農業高校に行くようになってから以後、特別の用事もない限り訪れることはなかった。学校が出来たと聞いて、湖岸や農道から遠目に見ることはあるものの、直接訪ねるのは初めてである。
 中江から農道を西に向かい、内野に入ると湖岸に向かって左折した。
 有司は学校を見て驚いた。かつての中学校の姿は殆ど残っていなかったからだ。元の校舎は何とか原形をとどめてはいるが、東側にあるのは六階建てのビルだった。北側にあった正面玄関は南に移されている。体育館はそのままで、校庭だった場所に三百台分ほどもあろうかと思える大駐車場が作られていた。ここに通うのかと思うと、鳥肌が立ち身震いがした。


 オープンキャンパスでは、最初に学科の説明があった。有司は作業療法士科に行くつもりである。作業療法はOTというのだが、身体的な問題のある人だけではなく、発達障害などにも対応しなければならない。老年期のそれにもである。
 有司は、中学校の工作室と同じ部屋があるのを見て、そのことを納得した。陶芸や手芸、木工などの作業を通して身体機能を取り戻す、もしくは残っている能力をそれ以上悪くしないようにするのが作業療法士の役目だ、と説明を聞いた。
 試験は、十二月二十四日が最初で、三月までに四回ある。一回で駄目なら受け直す。学科は英語と数学から一つを選び、後は、小論文と面接である。有司は英語で受けることにした。広島のコンピューター関係の専門学校に二年間通った時、かなり英語を鍛えられた。平田の農業高校では、授業をそっちのけで運動部の活動ばかりしていたが、広島で初めて勉強をしたような気がしたのだ。それが役に立つとは思ってもみなかった。
 学費は、高校に比べると格段に高い。それはそうだろうと有司は思う。私学ということもあるが、そこで一生の間、使える専門的な資格を手に入れる出発点になる。そう思えば、高くはない。
 入学手続きに五十万円、授業料は一年で九十万円である。他に実習費などが必要で、最初の年には二百万を超える金額になっている。作業療法士科は三年間の課程だから、卒業までに軽く五百万円を超えてしまう。
 家族の誰にも言ってはいなかったが、貯金をしていた。独立してコンピューター関係の仕事をしてもいいと思ってのことだった。だが、出雲市で起きた父の事故で考えは変わった。父の面倒を自分の力で見ようと思ったのだ。しかもそれが自分のこれからの仕事にもつながるはずだ。貯金はその額には満たないが、学校の合間には農業をし、コンピューター関係のアルバイトをすればいい。
 これから行こうとしている山陰総合福祉医療専門学院を出さえすれば、それで資格が取れるわけではない。理学療法士などの資格もだが、国家試験を通る必要があるのだ。
 試験は毎年三月、北は北海道から南は沖縄までの八県で行われる。
 科目は解剖学や臨床医学などの筆記、更には実地の問題もある。受験科目の名前からすると、とてもではないが通りそうにない。だが、合格率は全国平均では九十パーセントを超えているから何とかなるだろうと有司は思う。言語聴覚士はそれより低いが、もし落ちたとしてもどこかに勤めながら、また受ける。それはともかく、大学を出ていないから入学資格はなかったわけだが、もしそうだったとしても自分には無理か、とも思う。
 そういうことからすれば、作業療法士を選んだのは正解だったかもしれない。
 オープンキャンパスで予定されていた在校生との懇談を終えて、有司は車を中江の朝日神社に向けた。
「神頼みか……」
 呟きながら長い石段を上がる。重なった落ち葉が、歩く靴の下でカサと音を立てる。静かだった。
 石段を登りきると、拝殿の前に思いもかけず人影があった。
「あら、有司さん。どうしたの?」
 美音子の母、紗保だった。
「ちょっと……」
 有司は、仙台で過ごした美音子との三日間を思った。もちろん、紗保が知っているはずはないのだろうが、何となく面映ゆい。
「お父さんの祈願?」
 そう言われて、有司はほっとした。試験の合格を祈りに来たとは言えない。そんな話をすれば狭い里のことだから、たちまち広がる。聞かれて悪いことではないが、不合格になった時には恥ずかしい。「え、まあ、そんなことで……」
 紗保が鈴を鳴らし、柏手を打つ。
 有司も美音子の母と並び、奮発した五百円玉を賽銭箱に投げ入れた。
 どこの社でもそうだが、拝殿には必ず鈴と賽銭箱がある。鈴の音には、魔を遠ざける力があるという。鈴を鳴らしてから、貢ぎ物、つまり賽銭を捧げる。
「有司さんは優しいねえ。今どきの若い人は、あんまりそんなことしないから」
「……おばさんは、何でここに?」
 困ったような顔があった。
「ええ、美音子がね……」
「美音ちゃん どうかしたんですか?」
 言った言葉が、何か空々しい感じがしないでもない。
「こっちに帰ってくれないかと思って、お詣りにね」
 仙台で美音子が(帰る)と言った言葉が浮かんだ。だが、それはいつのことになるのか、そこまでは聞いていなかった。 美音子の気持ちをここで言うわけにはいかない。帰るとは呟いたが、確かにそうだというわけでもない。それに、仙台まで訪ね、一緒に過ごしたと言わなければいけないことにもなりかねない。
「そりゃ、美音ちゃんのことだから、いずれ帰るでしょうけど」
 当たり障りのない返事になった。
「そうだといいんだけどねぇ。あの子、何考えてるんだか」
「仙台に行ってから、もう十年、いや、もっとかな」
「そうなの。高校出て仙台の大学へ入ってからずっとだもの」
 美音子の母と朝日神社の石段を降りながら、いつか水本の家に行き、美音子と一緒になりたいと言わなければいけないと思う。だが、美音子が同じ気持ちを持っているとは限らない。松江に帰るということと、それは美音子の中では別問題かもしれない。
 正月には美音子は帰って来るだろうか。もう一度、話がしたいと思った。(帰る)という言葉の出た美音子の赤く滑る唇を有司は思い出していた。
 道路と神域を区切る境目に鳥居がある。石段を下りながら、何の役目をしているのだろうと有司は思った。
鳥の居やすいという意味なのか、通り入るという言葉なのかなどと、どうでもいいようなことを考えていた。
「じゃ、さよなら。うちにも来てくださいね」
 美音子とのことを水本の家に行って言わなければ、などと思っていたことを見透かされたような気がした。
「はあ、ありがとうございます」
「お父さん、お大事に」
「送って行きましょうか?」
「いいですよ。だって直ぐそこだもの」
「じゃ、また」
 確かに、車で送るほどの距離ではなかった。背中に向かって声を掛けた。
 正月に美音子が帰れば、そのことを確かめてみたいと、また思う。美音子には、自分の気持ちが分かっているはずだ。そうでなけねば、仙台で一緒に過ごす時間を作るはずがないではないか。
 仙台での最初の夜、居酒屋で飲んだ。その時に有司は、美音子に(好きなんだ)と言い、(帰ってもいいかな、でなくて、帰らなくちゃいけない)という意味のことも重ねた。だが、その後、なぜか美音子は黙り込んでしまったのだ。
 居酒屋から美音子の部屋に帰り、寝ようとした時に電話が掛かってきた。美音子の母からだったが、どんなやりとりがあったのか知らない。いましがたの話からすれば、おそらく松江に帰って欲しいという話だったのだろう。
 何の電話? と聞いた有司に美音子は、正月には帰って来いということだったとだけ言った。
 それにしても、と有司は思う。美音子は何かに迷っているような気がする。仕事のことなのか、それとも他に何かあるのか、有司には分からない。
 車のライトを点けた。黄色い光が狭い道を照らした。
 冬の夜は駆け足で来る。
 仙台の冬は、東北だからといえばそれまでだが、確かに寒い。最高気温が五度ならば暖かいという感じになる。最低がマイナスになるのは当たり前だからだ。
 雪は、さほど多くはない。十センチほどの積雪があるのは、年に数回である。
 これも経験で分かったことなのだが、冬の冷蔵庫は冷やすのではなくて、凍らせないためにあるものだということだった。それだけ寒いということなのである。 美音子がセドリックのタイヤをスタッドレスに履き替えたは、十二月になってからだった。だからと言って、運転は安心だということにはならない。夜はマイナスの気温になり、雪が少しでも舞った夜だと、道路はがちがちに凍る。あちこちの坂道には、砂を入れた箱が置いてある。滑り出したら、砂をタイヤの周りに撒けば何とか脱出来る。
 濃いブルーのズボンにキャメルのジャケットを羽織った美音子は、久し振りに夜の定禅寺通りへ出てみた。例年のように、光のページェントと呼ばれるイベントが始まっていた。毎年、十二月の初めから新年のカウントダウンまで、青葉通りと、定禅寺通りにある二百本ばかりの欅並木に灯りが点く。このところ、冬の風物詩として定着してきた。本当にそうなのか分からないが、約六十万個の電球が木々に吊されているという。時折、輝いていたライトを一度に消して、再び点灯する。スターライト・ウィンクと言われるが、その美しさには美音子ばかりでなく、誰でも歓声を上げる。
 松江にもこんな風景があれば、冬は陰鬱で暗いという山陰のイメージが払拭出来はしないかと思ったりもする。
 美音子はその光のトンネルを歩きながら、今年の正月は、やはり帰ることは止めにしようと思う。十年も同じ街で暮らすと、そこから抜け出すのが億劫になる。
 そう思いながらも、有司はどうしたのだろうと考える。松江に帰ってから、何の連絡もない。
 有司から電話もないというのも、気にかかる。父の体調がすぐれないのか、それとも福祉の専門学校を受験するための準備で忙しいのかと思いながら、定禅寺通りから仙台駅の前に出た。
 ビルの壁面を背景にして、トナカイのネオンが輝いている。クリスマスイブも近いのだ。
 駅を背にして、青葉通りを真っ直ぐに行く。光の海だ。
「よーお。美音ちゃん」
 突然、背中から呼ばれた。振り向くと勤めている東北日日の学芸部長だった。二人の若い男の連れがある。知らない顔だった。
「どうした? 浮かない顔をして……」
「別にそんなんじゃ」
「おっ、今日の夕方、美音ちゃんが帰ってから電話があったぜ」
「誰からですか?」
「ん? 島根の……、えっと何とか言ったなあ。珍しい名前だとは思ったけど。ヒミコ――じゃなくて、何だっけ。男だからな」
 あっ、と思った。多分、日向だろう。
「それで」
 催促するような言い方になった。
「気になるか?」
 部長は、意味ありげに笑った。
「居ない、と言ったら、そうですかって、すぐ切れた」
 美音子は、仁多へ日向を訪ねた日のことを思い出した。あれから電話もせず、葉書も出していないことが気にはなる。 どちらかというと美音子は、几帳面である。取材をした後や何か貰ったら、必ず直ぐに礼状を出す。葉書にちょっと書いて出すだけだが、そうしないと気が済まない。もちろん、取材した記事を載せた新聞は届ける。それが礼儀だと考えている。だから、そうしない人に出くわすと黙ってはいるが、不快だ。ならば、朝の別れが奇妙だったということもあるが、日向には、どうなのだと振り返る。
 日向の家を訪ねたことについては礼状を出すべきなのだろうが、この場合は少し違う。そんな思いが潜在的にあって、気にはなりながらも打ち捨てていた。
 もし日向に電話をしたとすれば、まず最初に何を言えばいいのだろう。ごく普通に近況を話すのか。もっとも、そういうことを言う必要があるのかどうかだ。それで何なのだ、と問われたらどう返答するのか。そういうことは、深く考えることでもないのかもしれない。
 部長の言葉で、思いは切れた。
「美音ちゃん。その辺りで一緒にどう?」
 酒を飲もうと言うのだ。こんな夜は、どこの酒場に行ってもお祭り気分でざわついている。たいていの酒場は、喧噪の中にある。美音子は、騒がしいのは好きでない。カラオケも嫌いだ。静かな所と言えば、古くさいようなバーである。ひと歳取ったバーテンが、たった一人でやっているようなところは、いつも深閑としている。客が来なくても、それがどうしたというような雰囲気がいい。
「いえ、少し歩きたいので――」
 部長は、強いてそれ以上誘わなかった。男の三人連れは、光の中に消えた。
 美音子は、その光の下を歩き出す。
 昭和六十一年から始まり、もう二十年近くになる光のページェントは、師走に華やかさを持って来る。殺風景な冬の欅並木が生き返り、年の瀬がドラマチックに過ぎて行くようにも思う。
 美音子は、不意に立ち止まった。
 反対側の歩道を背中を見せて歩いている男が、日向のように見えた。黒っぽいコートを着て、人の流れに逆らいながら、ゆっくりと足を運んでいる。
 まさか――と思った途端にその影は狭い路地に入った。部長に会う前、日向のことを考えていたからかもしれない。それにしても、日向はどこから掛けたのだろう。美音子は携帯を取り出し、思い切って日向のメモリー番号を押す。呼び出し音は、鳴り続けるばかりだった。
 母には正月に帰るようなことを言ったが、結局、ずるずるとそのままにしてしまった。
 有司に(帰る)と言ったのは、仙台を引き上げる、という意味だ。正月にというつもりではなかった。だが、周囲からじわりと締め付けられるようである。
 十年も居た仙台には、何がというわけでもないが、未練のようなものがある。
 仙台の大崎八幡神社は一月十四日に、どんと祭が行われる。正月の松飾りなどを焼いて納めるという行事だ。その火に当たると一年中、無病息災、家業繁栄だと言われているらしい。その炎の中を進む裸参りは、勇壮な神々を思わせる。
 松江にも「とんど」と呼ばれる行事がある。以前は十四日の夜だった。少しずつ早くなって、この頃は五日だとか七日になっているところもある。いずれにしても歳神を送る儀礼なのだ。
 どんと祭から帰り、ビールを飲んでいると電話が鳴った。有司だった。ひどく電話が近い。興奮気味の声のせいだろう。
「俺さ、俺、合格した」
 有司は、(合格した)と三度繰り返した。よほど嬉しかったらしい。それはそうだろうと美音子は思う。
「あのさ、今日の午後だったけど、合格通知が来たんだ」
 予定通り、作業療法士科を受験した。十日が試験日で、学科と小論文、面接だった。小論文は、バリアフリーやノーマライゼーション、福祉機器などについての意見文があり、それに対する論評をするというのだった。その中に、パソコンをどう福祉に取り込むかというのがあり、それについて書いた。
 有司は、咳き込むように話す。
「そりゃあ、有ちゃんはパソコン専門だから、いろんなことが分かってるから」「学科の英語もどうってことなかったし、自信があったんだ」
 顔が見えるようだった。美音子は、もう一本、缶ビールを追加した。
 有司はやりたいこと、決めたことを着実に進めている。それに比べて自分はどうなのだ、と美音子は思った。
 大学を出て新聞社に入り、それなりに仕事はやって来た。松江の高校を出て宮城学院大学が四年、東北日日新聞社が来年の三月で八年だ。仙台に来てから、既に十二年が過ぎることになる。それで自分には何が残るのか。というよりも、何をして来たのだろう。
 元日に(ああ、年か。ハイミス……)と、口に出したことを思い出した。来年は三十になる。定年を六十とすれば、年数だけは半分まで来た。折り返しだ。
「どうした?」
 黙ったままでいたらしい。有司の不思議そうな声が受話器の底で響いた。
「ん、なんでもない。有ちゃんが、頑張ったから感心しちゃって」
「まあな。でも、考えてみると、高校出てから入学試験ってやつを受けたのは、二度目だもんな」
「二度?」
「そうだよ。最初は、広島のコンピューター専門学校に行った時」
 あっと思った。そうだった。有司は農業高校を出てから専門学校に行ったのだ。大学ではないけれども、いわば高校の上級学校に二度も行くことになる。
 有司は、中学生の時もそうだったが、平田市の農業高校に行ってからもスポーツばかりしていた。勉強などやりたくもないし嫌いだと、言ったことがある。
 その有司が、三十歳を前にして、また学校に行くというのだ。考えてみれば、その通りなのだが、(二度も)と聞いたのは衝撃だった。打ちのめされたような気がした。背中の皮膚が冷たくなり、粟立つのを感じた。
「有ちゃん、私……」
「なんだよ」
「私――、帰る」
「当たり前だろ。だって、この間、そう言ったじゃないか」
 帰るとは言ったが、松江で何をしようと考えているのだろうと、美音子は自分に問いかけてみる。具体的にどうこうするということがあるわけではない。ただ、日向に触発された笛のことは、気持の中に残っている。笛を吹いてみたい、出来れば笛を作ってみたいという気持はある。もちろん笛を作ることなど、簡単に出来るはずがない。しかも、それを生業に、ということは無理ではないか。
 母から帰って欲しいと言われていることも気にはなる。だが、とりあえず何かをしなければ、というものもない
 社の仕事についてはどうなのだ。祭の夜に日向に出会った。そのこともあって、勤めている東北日日新聞に、笛の記事を書こうと思ったが、その思いは既に消えた。書いてしまえば、それで終わりになるような気がしたからである。
 毎日の記事に追われていると、その日暮らしになってしまう。本当は、それではいけない。書いた記事に対して追跡調査をし、自分でレスポンスというのか、検証をすることは大事なことだと思っている。だが、どうしても次から次へと出て来る仕事に流されてしまう。
 これまで、学芸部記者としてのテーマを持ってやって来たのだろうかと美音子は振り返ってみる。記者の顔が見える記事を書いていたのかどうかということでもある。自分の仕事を掘り下げるということから言えば、テーマを見つけ出さなくてはいけない。だが、七年経ったいまになっても、出来ていないのである。
「それで、いつ?」
 有司が性急に言葉を継ぐ。美音子は、その言葉で我に返る。
「決めてない。でも……」
「でも――何があるんだ?」
 有司の声が、受話器の中で苛立っているように聞こえた。
「来月には……でも、誰にも言わないで」
 思いもしなかった言葉が出た。そんなことが出来るのか、と別の声が囁く。
 じっくり考えた結果ではなかったが、来月には帰る、と言ってしまった。
「えっ、本当にか?」
「ええ、新聞社を辞める」
「そんなことが出来るのか?」
「わかんないけど……」
 美音子の勤める新聞社は、採用や退職は年度で区切っている。三月ならば切りがいいのだが、年度の終わり前の二月では、いかにも中途半端である。
 入社以来、新聞記者として育ててもらった東北日日新聞には、いわば恩義がある。病気や事故で退職するならば、それはそれで理屈が通るのかもしれないが、そうではないのだ。四月以降の来年度採用予定者は既に決まっている。もちろん、美音子が退職するからということなど予定にない。そのための採用など考えてはいないはずだ。だが、巨大な組織の中で、学芸部の一記者が辞めるの辞めないのというのは、さほど問題ではないのかもしれないと、美音子は自分で自分を納得させようとする。
 それにしても、どういう理由にすれば、いいのかと思う。それはともかく、胸の中でくすぶり続けている得体の知れないものをどこかではっきりさせるには、あえて何でもない時期を選んだ方がよいかも知れないと、有司に話しながら考える。
「美音ちゃんが松江に帰るんなら、俺、もっと頑張る」
 有司の声が弾んで聞こえた。
 帰るというのは、たったいま決めたことだ。母に聞かせれば、どう思うだろう。七年も八年も、そのことから話をそらして来て、突然、社を辞めるなどと言ったら、今度は逆に(せっかく勤めてるのに……)と愚痴を聞かされるのではないか。(松江じゃ、就職口なんかないわよ。そんなことより、早くお嫁に行きなさい)と言われるかもしれない。暫く考えてから社には退職のことを言おう、と思いながら電話を切る。
 冬の大橋川が、目の奥に浮かんだ。
 松江の街を南北二つに分ける大橋川には、四つの巨大な橋が架かっている。その中で二番目に古い橋は新大橋と呼ばれる。北詰の河畔には船着き場があって、美音子は通っていた松江高校からの帰り、よくそこに寄った。雪の降る日、合羽を着た漁師が蜆や魚の始末をしているのを見るのがいちばん好きだった。
 漁を終えた漁師が、川岸に船を舫う。船縁に積もっていく雪が黒々とした船を白いそれに変えていく。どこから来たのかと思うほどに群れる鴎が、捨てられる小魚をねらって舞う。数人の男達が、押し黙ったまま、魚を分け、青い幾つかの籠に落とし込んでいく。
 その風景は、いかにも冬の湖都を象徴していた。飽かず眺めていると、すぐに時間が経った。
 有司と電話で話しながら、久し振りに思い出したのだ。懐かしかった。
 この冬には、どうしても松江に帰ろう、と美音子は思った。そうしなければ、何かが失われていくような気もする。
 新聞社には、出来るだけ早いうちにそのことを言わなければいけない。役職も肩書きもない一記者だが、突然に(明日から辞める)というわけにもいかないだろう。何かの落ち度があってというなら、それはそれで確かな理由ではあるものの、それもない。自分で言うのもおかしいが、よくやって来た方なのだ。勿論、辞めたいとか、転職したいなどと一度も口にしたことはない。
 学芸部長に、理由をどう言えばいいのか。辞めると決めたものの、これという具体的なものがないからだ。
 もっともらしいのは、家族の病気だろう。松江のことなど、誰も知りはしないのだから、無難な理由だ。いい加減と言えばそうなのかもしれない。
 ビールをブランデーに変えて飲みながら、美音子は、不思議な気持ちで自分を振り返り、求めたことではあるが、去年の秋から続く展開の早さに驚きもする。
 一週間前に退職願を出した。学芸部長を通じて出したそれは、総務部の人事課にすんなりと受け入れられ、美音子はあまりのあっけなさに驚きもした。慰留をされることもなかった。
「美音ちゃん、なんで辞めるの?」
 辞表を手に取りながら、部長は怪訝な顔をした。
「ええ、郷里でどうしても家族の面倒を見なければならなくなって……」
「誰か病気なの?」
「母がちょっと。それもあるし、いろいろと……」
「そうか。一身上の都合というわけだ」
「まあ、そうですけど」
「結婚するのかい?」
「それは――ないです」
 嘘だろう、というように部長は小さく笑った。
「出来るだけ早い方がいいぜ」
 デスクの電話が鳴った。部長は受話器を取りながら、右手の指で丸を作って見せた。それで終わりだったのだ。電話に応答する声にかぶせて、(失礼します)と言いながら部長室を出た。(それで本当にいいの?)と、誰かの呟きが聞こえたような気がした。
 半日かけて、引き継ぎを同僚の若い男にした。企画記事の予定、取材ファイルや担当が替わった時に挨拶に行っておく必要がある名刺の整理をして渡すと、ほかには何もなかった。引き継ぎというよりも、これまでの仕事の結果を確認しているようなものだった。七年にもなる仕事のまとめが半日で済むというのは、何か虚しい気がしないでもない。
三日後、財務課で僅かばかりの退職金をもらい、送別会を終えると、何もすることはなかった。
 二月下旬にしては、暖かい日の午後だった。関係の各課に挨拶をして社を出た。
 振り向くと、七年間暮らしたビルが冬の陽に輝いている。少しばかり、泪が流れた。入社の日のそれとは違っていた。
 冬の仙台は、住んだことのない人からみると、いつも寒い日が続くという印象が強い。東北という文字のイメージがそうさせるのだろう。確かに平均気温は低いかもしれないが、冬場は暖かい日が多いのである。
 茶色のレザージャケットのファスナーを途中まで上げて、美音子は仙台駅に向かって歩く。ジャケットは、駅に近い仙台アメ横で買ったものだ。
 仙台は人口が百万だが、駅前には地下商店街がない。更に、高架になっている高速道路もない。東京や大阪などではごく当たり前の風景が、仙台には皆無である。その代わり、巨大な人工構造物に遮られない空と木々がある。
 欅並木が続く青葉通や定禅寺通は、オープンカフェやアートギャラリーなどが並び、緑の並木道と降り注ぐ陽の光がよく似合う街である。
 美音子は、そんな仙台が好きなのだが、松江に帰れば、おそらく二度と訪れることはないような気がする。
 美音子は去年の暮れの夜、路地を曲がって消えた日向によく似ている男の後ろ姿を思いだした。日向であったような気もするが、まさかそれはないだろう。
 その時、思いついて、日向の家に電話をしたのだが、誰も出なかったのだ。
 元日に年賀状が来た。仙台に行ったなどとは書いてなかった。雪に埋もれた藁葺き屋根の家と黒褐色の笛が鮮やかに描かれていただけだった。
 美音子は携帯を取り出し、日向の電話番号を押した。いつまでも呼び出し音が鳴っている。雪に包まれているのか、その音は残響を伴って聞こえた。
 年末から、この二月まで、ずっと留守なのだろうか。美音子は、なぜか不思議な気がした。
 仙台を離れるのは、三日後の東北新幹線である。ほとんどの荷物は送り出した。
 松江に帰るまでに、日向の家を訪ねてみようと美音子は思った。
 仙台を出たやまびこ一〇二号が東京に着いたのは、午前九時半だった。乗り継ぎの博多行のぞみ九号を待つ間に、日向の家に電話をした。だが、いつまでも呼び出し音が鳴るばかりだった。
 山陽新幹線に乗り換えると、窓から見える風景が少しずつ古里に近くなるような気がした。思い付いて家に電話をする。「今日、帰るのね?」
 母の声が、なぜか近くに聞こえた。
「ううん、ちょっとやり残した用事があるんで、一週間ばかりしてから」
「どこに行くの? 待ってるのよ」
「分かってる。帰るまでにやっとかなきゃいけないことがあって……」
「そう? なるべく早くね」
 美音子が帰ってくるということに安心しているのだろうが、何の用事でどこに行くのかと問い質しもしなかった。十年もの間、家から離れていると、何を考え何をしているのか、いくら母でも疎くなるのだと、勝手に決める。
 美音子は、電話でレンタカーを予約した。車種はカペラにした。日向の住む仁多の三津に行くつもりである。雪道である。少しでも大きい方がいい。チェーンも用意しておいて欲しいと頼んだ。
 社を辞めたということを言わねばならないし、笛の話をすれば、何かが掴めるかもしれないのである。それにしても、電話をしても出ないというのが気になる。考えてみれば、晩秋のあの日以来、日向の声を聞いていない。祭の日からたった二度の出会いだったが、美音子の暮らしを変える要因の一つだったことには間違いがない。
 美音子は、広島駅の山陽新幹線十一番ホームから地下連絡通路を通り、駅前広場に出た。駅ビルのガラスに、午後の冬の陽が鈍く反射していた。
 駅前大橋の南詰めが城南通りである。その交差点から、ホテルセンチュリーを左に見て右に曲がる。マツダレンタリースの広島駅前店が左に見えた。
 カペラが登場したのは、昭和四十五年五月である。ロータリーエンジンを搭載したクーペとレシプロ車があった。風のカペラ≠ニいう宣伝文句で売り出され、スタイルは当時としては斬新だった。美音子は昭和四十九年生まれだから、それより四年も前ということになる。
 レンタカーだから軽自動車の四駆でもよかったが、少し大き目の方がいい。カペラというのは雌の小ヤギという意味で、星の名でもある。ちょっとした遊び心もあって選んだのだ。
 紙屋町の交差点まで行き、右折して五十四号に乗る。広島と宍道を結ぶ幹線道路で、車は意外に少なく走り易い。道の駅や登坂車線も整備され、周りの風景にも変化がある。平成元年からは出雲神話街道≠ニも呼ばれるようになった。
 広島は晴天だが、仁多は雪があるはずだ。仙台を出る時に見たテレビの天気予報は、山陰はかなりな積雪があると言っていた。多分、二十センチは積もっているのではないか。
 日向の家で夜を過ごした翌朝だった。目覚めて、日向が居ないことに気付いた。どことも言わずに出た後だった。
 仙台に帰るため、車を走らせて広島空港に行った。三次から世羅町へ出て、河内町を通り本郷町の空港までたどり着いた。その逆の道を走りながら、あれからもう四か月経ったのだと美音子は思う。
 三次から布野辺りに行くと気温が下がり、赤名に近づくにつれて国道の両側に広がる田圃が白くなり始めた。
 県境の赤名峠は、五十四号線の冬の難所だが、チェーンを付けるほどのこともなく通り過ぎた。赤名を越えると一気に下りになる。掛谷に入る手前で右折し、吉田村から四三二号に出る。そこから、仁多町へは十キロである。
 三成の町を過ぎ、三津に入ると途端に雪が多くなった。除雪車の跡があるが、それでも轍に沿って行く。
 日向の家も思った通り、雪に埋もれていた。久し振りだった。懐かしかった。
 三津は三成の町から少し離れていることもあって、積雪が多い。予想した通り、確かに二十センチはありそうだった。
 日向の家は、やや小高い所に建っている。見上げると、家に続く狭い道はどうやら雪が掻かれてはいないようだ。日向は一日中、外に出なかったのだろうかと美音子は思った。
 車のトランクから用意してきた長靴を取り出して履き替え、足で雪を掻き分けるようにして坂道を上がる。振り返ると、微かな冬の陽が夕景山にかかる雲の中に隠れようとしていた。
 家の周りには、屋根からずり落ちた雪が美音子を拒むようにうず高く積み重なっている。あの夜、日向の吹く笛を聴いた庭も雪に埋もれていた。夕闇に包まれ始めた家は、暗い影を落とし灯り一つない。入り口の戸は固く閉まったまま開かず、物音もしなかった。
 裏に回ってみた。同じことだった。あちこちの窓や戸に手を掛けてみた。ぴくりともせず、人の気配はなかった。
 美音子の背に冷たい空気がのしかかって来た。逃れるように、表に戻った。
「おーい」
 突然、下の道から男の声がした。
「善生さん――か?」
 その声は、日向の名を呼んでいた。 
「あ、いえ……」
 薄暗い坂を足早に下りる。
 七十ばかりの男は近在の農夫のようだった。灰色のタオルで頬被りをし、厚手の袖無しを着ていた。手には一升瓶を下げている。少しばかり、酒の匂いがした。
「帰って来たのかと思った」
 男はタオルを頭から外し、顔を拭った。
「あの、日向さんはお留守なのですか?」 当たり前のことを聞いたと美音子は思った。
「私、日向さんを訪ねて来たんですけど、鍵がかかってて……」
「ああ、正月明けから出掛けちょられえがなあ」  
 一月から日向は家に居なかったのだと、美音子は気付く。
「じゃあ、ずっとお留守です?」
「そうさな。ありゃあ、とんどさんが済んでからだから、一月の中頃だったか」
「……」
 既に二月も終わりに近い。二ヶ月近くも日向は家を留守にしていたということになる。どこに行ったのか。
「確かなあ、九州の……何とか言ったけど。ほら、あんた知らんかね。平家がどうとかと言ったが、なんか山の中だとか」
 歳を取ると、物忘れがひどくてね、と男は笑いながら、思い出そうとしている。
 平家、九州、山の中――、あっ、と美音子は思った。
「それって、椎葉ですか?」
「ああ、そうそう。それ。椎葉つうとこに行くって言ってた」
「何しにです?」
「何って……」
 男は訝しげな顔をした。
「知らんなあ。あの人は、いつも出掛けるときに、どこに行くってことなんぞ言わんから。で、あんたは?」
 見掛けない女が訪ねて来て、根掘り葉掘り聞く。妙だなと思われるのは当然だった。
「あ、いえ。新聞社の者ですけど」
 社を辞めてはいるが、つい口に出た。それにしてもちょうどよい理由だった。取材だと言えば、たいていのところでは疑いもせず話してくれる。経験的に分かっていた。案の定、男は安心したような顔をした。
「善生さんは、そりゃあ笛作りじゃ、有名なんだけん」
「で、椎葉には笛のことかなんかで――行かれたのですか?」
「いや、そりゃあ知らんが。それにしても、行く先を言ったのは初めてだなあ」 椎葉のどこにと聞きたかったが、男が知るはずはない。
「それになあ。よく出掛ける人だが、今度に限って、えらく長いこと留守にしちょるような気がせんでもない……」
 男は(せっかく来られたに)と言いながら、夕闇に消えた。
 夕景山の頂上に微かに残っていた残照の帯も、いつしか見えなくなっていた。振り返って見上げた灯りのない日向の家は、その暗さのせいで、まるで廃墟のようだった。
 家というものは、一日や二日ならまだしも、何十日も人の気配がないとなぜか荒れる。どこがどうというものでもないが、しだいに朽ちて行く。夏ならば草が生い茂る。季節が変わり、いつしか軒が傾く。雨漏りがして屋根が落ち、壁が崩れて土塊になるのである。
 そんなことを考えていると、不安になった。日向がもうこの家に帰って来ないような気がなぜかした。
 いくら独り暮らしで気ままだとしても、そんなに長い間留守にするものだろうか。(今度に限って、えらく長いこと留守にしちょるような気がせんでもない)と、さっきの男も言ったではないか。 美音子は、椎葉に行ってみようと思った。一度も行ったことのない椎葉だが、小さな村だろう。聞き合わせれば、日向がどこに居るかくらいは直ぐに分かるはずだ。
 新幹線の中から、母に一週間ばかりの予定があると電話で言ったのも、日向を探すことになりそうな予感がしたからである。だが、日向を尋ねて、それでどうするというのだ、とも思う。
 美音子は三成の町に出た。凍結した夜の道を広島まで走るのは危険だった。
 町はずれの、亀嵩に抜けるトンネルの近くにある山水≠ニいう名の小さな宿に空きがあった。旅館というより、食事処がついでに人を泊めるというような雰囲気である。
 去年の秋、日向を訪ねた夜は、こんなところで泊まるはずだったのだ。
 案内された部屋は、斐伊川に面していた。流れる水の中に、雪を被った幾つかの巨大な石が黒い影を見せていた。
 椎葉の村は、もっと雪に埋もれているのではないかと美音子は思う。
 朝早く三成の宿山水≠出た美音子は、広島駅前でレンタカーを乗り捨て、山陽新幹線と小倉からは日豊本線を乗り継いで、日向市に着いた。
 駅の構内に、宮崎県北協議会のポスターが貼られていた。美音子は、心臓を手で掴まれるような気がした。
 ポスターには、ひむか神話街道≠フ文字があったからだ。日向市のひゅうが≠ナはない。仮名でひむか≠セった。 椎葉に居るはずの、いや、確かに居るのだろうが、その日向に手の届きそうな気がした。
 ひむか神話街道は、宮崎市から少し北にある西都市を起点にして、国道二六五号線沿いの町が、ルートになっている。南郷村から椎葉村、五ヶ瀬町と北上し、最後が高千穂町である。ポスターを眺めながら、椎葉の二文字を繰り返し呟いた。遠い所に来たと思った。もう直ぐだと、そこに行くのだとも思った。
 宮崎交通バスセンターから、美音子は椎葉村行き午後二時二十分発のバスに乗った。二十人ばかりの乗客が居たが、東郷町で十人ばかりが降りる。西郷村を過ぎて諸塚村のバス停で、残っていた年寄りの夫婦とみえる二人連れが降りてしまうと、美音子一人になった。
 窓の外はしだいに薄闇の中に包まれ、風に舞った雪が窓ガラスにへばり付く。
 椎葉村役場前のバス停で降りると、五時前だった。椎葉は海抜三八〇メートルである。山も道も雪に埋もれていた。
「日向さん――日向善生という方を訪ねて来たんですが、どこに泊まっておられるか、お分かりでしょうか」
 村民生活課の那須里子という名札を付けた若い女子職員が首を傾ける仕草をしたが、知らないという顔になった。
「日向さん……。何をしに椎葉に来られた方なんですか?」
 そう言われても、美音子には答えようがない。那須の後ろに座っていた年配の男が振り向いた。
 椎葉は世帯の数が千ばかり、人口が四千人に足りないくらいの小さな村である。村の中心部といってもひとかたまりの家が道路沿いに並んでいるだけだ。
 人を尋ねるなら、駐在所がいいのだろうが、バスを降りたら目の前に役場があった。それにしても、見も知らぬ土地に、いわば当てもなく来て人を探すなどというのは無謀だったかもしれない。
「その人なら……この近くの――」
 男は、カウンターから身を乗り出すようにして入り口の辺りを指さした。
「えっと、役場から右に行くと平家屋敷≠ニいう飲み屋、というか飲食店があるんで、そこで聞いたら分かると思いますが」
 美音子は平家と聞いて、ひどく遠い所に来たような気がした。
「五十メートルほど行くと、ひえつき≠チていう宿があって、その先ですから」
 意外に早く分かりそうだと安心して、役場を出る。民宿ひえつき≠ニ書かれた看板の前を通り過ぎると二軒先が、飲食店だった。
 客は一人も居ない。店主らしい初老の男がテレビを見ていた。美音子を見て、不思議そうな顔をした。若い女が冬の夜、それも未だ早い時間に一人で入って来たからだろう。
「すみません。人を探してるんですけど、教えていただけないかと思って」
「誰なんですか?」
 よくある造りの店だった。十人も座ればいっぱいになるカウンターがあり、四人がけの机と椅子が三箇所に置かれている。奥の方には三畳ばかりの小部屋があった。
「日向さん、日向善生という人ですが。椎葉に来ておられると聞いたもので」
 店主の息をのむ気配があった。 
「汚いとこですが、そこの机に、どうぞ」 リモコンが押され、テレビが消えた。店主の顔には、なぜか困惑したような表情があった。  
 風が強くなったのか、窓ガラスが小さな音を立てた。
「実は――善生さんが、あ、いつも名前を呼んでるもんですから。ともかく日向さんが、このところどこに行ったのか見えないんです」
「見えないって、どういうことです?」
 いきなり咎めるような言い方になった。掌の平に汗が滲んだ。また、ここでも日向が居ないのだと思った。
「で、あなたは?……なんで善生さんを訪ねて?」
 どこの誰とも未だ言っていなかったと、美音子は気付く。
「私……、日向さんの、いえ、あの新聞社の者なんですけど」
 バッグの中から美音子は、東北日日新聞社の名刺を取り出した。辞めた者が使ってはいけないだろうが、日向との関わりを説明するより、取り敢えず新聞記者だと言った方が納得してもらえる。もう使うことはないから、捨てようと思っていた名刺が役に立った。
「東北日日新聞社……。仙台から来られたのですか?」
「私、日向さんと同じ島根県なんです」
 店主は納得したらしく、カウンターの奥から自分の名刺を取り出した。食事処平家屋敷 那須宏太郎≠ニ明朝体の太字で印刷されていた。
「お茶でも、というより、寒いですから、お酒――飲まれますか?」
 石油ストーブが、赤い炎を上げているが、そう言われれば空気も鋭く、冷たい。
「あ、注文もしませんで。気が付かなきくて済みません」
「いえ、お茶代わりですから」
 味噌田楽と焼酎が並んだ。
「ここらじゃ、酒と言えば焼酎なんで」
 宏太郎が手早く、焼酎の湯割りを作る。
「これ、椎葉の里って言う銘柄ですが、、甘みがあって口当たりがいいのです」
 日向もこの焼酎を飲んだのだろうかと美音子は思う。 
 訪ねて来ているからそうなのだが、何でも日向と結びつけてしまう。
 美音子には、宏太郎が日向の話題を避けているように思えた。見えない≠ニいう言葉が気がかりだった。宏太郎は焼酎のラベルに描かれた絵を見ながら、鶴富姫と大八郎の話をしていた。
「それで日向さんは?……」
 話の腰を折るような気がしたが、美音子は口を挟んだ。
「あ、そうでした。遠くから来られる殆どの人が、椎葉の伝説を聞かれるので」
 焼酎の瓶が半分ほどになっていた。未だ客は誰も来る気配がなかった。
「一月の中頃だったかな、善生さんが来たのは――。で、あの人は、椎葉に来ると一週間とか半月とか、かなり長いこと居るんです」
「何をされてるんですか」
「何って言っても……。そうですね。笛を吹いたり、神楽の時期には村の者と一緒に舞ったり」
「日向さんは、いつからここに来られるようになったんですか?」
 宏太郎は、天井を見上げて指を折った。
「十年になるかなあ」
「十年――」
 日向は、もう十年も前から来ているのかと美音子は驚く。初めて聞く話だ。
「最初は、確か、ひえつき節の大会があった時だったな」
 毎年九月の初めには、ひえつき節日本一の大会がある。主に九州からだが、二百名を超える参加者がある。正調の部、一般の部と少年少女の部に分かれていて、それぞれにチャンピオンが決まる。 参加者には若い者も多いので、いつもこの時期になると村は若々しさを取り戻すのである。
「全国大会というわけですか?」
「日本一大会って名前が付いてるから、まあそうですかね」
「で、日向さんは、どこの宿に泊まられてるんですか」
 二つのグラスは空になっていた。黙ったまま宏太郎は焼酎の湯割りを作り、美音子の前に出す。
「旅館でなくて――というか、近くの家に、いつも」
「家って?」
「言っていいのかどうか、分からんのだが、まあ、ここらじゃ皆が知ってることだしなあ」
「言っちゃいけないことなんですか?」「そういう訳でもないんだが……」
 日向は椎葉に来るようになってから暫くして、『鶴姫』という料理屋を経営している那須純子の家に泊まるようになった。多い時だと、月に三度くらいは椎葉を訪ねてくることがある。
 美音子は宏太郎の話を聞きながら、日向が夜の明ける前、置き手紙をして出て行ったことを思い出していた。
 日向は、椎葉に行くことを美音子に言えなかったのだ。何かの拍子にいずれ分かることではあるにせよ、それは日向の優しさではないかとも思う。
 優しさの大きさは、どれだけ人のことを思うかというのと同じだけの量だ。
「純子さんて、どういう方ですか?」
「親戚回りになる娘でね。親が居ないのですよ。どっちも早くに亡くなっちゃって。今年で三十五になるのかなあ」
 美音子は、純子に会ってみたいと思った。日向のことも教えてもらえるかもしれない。
「日向さん、一月の中頃に来られたって言われましたよね。で、いつ頃から見えないんですか?」
「もう、ひと月になるんです」
「えっ、ひと月も? そんなに……」
 事情がよく分からないが、誰も探さないのだろうかと美音子は思う。
「でも、島根に帰っちゃったということもあるかもしれないし」
 そんなはずはない。鳥ならば簡単に行き来をするのかもしれないだろうが、日向は黙ってそんなことはしないだろう。
 日向は椎葉へ行ったのだと、三津で出会った男から聞いたから、ここに来たのだ。それが、もう何日も何十日も見えないという。
 日向は椎葉の人間ではないからか。旅人だから、いつ帰ろうが、どこに行こうが関係はないと誰も思っているかもしれない。だが、宏太郎から聞く限り、純子という女性は日向と関わりを持っている。それも、十年になると言うのだ。心配をするのが当たり前ではないか。
 美音子は、日向の家に泊まった夜を思い出す。日向は、純子という女性が居るのに、自分を抱いた。酒の上での出来心だったのだろうか。だから、疚しいという思いがあり、夜の暗闇の中へ封印をするために、黙ったまま椎葉に行ってしまったのだろうか。
 少しずつ、いろいろなことが分かってくると、そうに違いないという確信のようなものが、湧き上がってくる。
 それはともかく、純子なら知っているかもしれない。探さないということは、行き先が分かっているからということなのだろう。美音子は、宏太郎にそうではないかと聞いてみた。
「純子もね、どこに行ったのだろうとは言ってたのですが」
「でも……」
 宏太郎は酒が強いらしく、かなり飲んでいるはずなのに、赤い顔もしていない。
「善生さんは、不意に来て、知らぬ間に島根に帰ってることが、今までにもあってねえ。姿が見えなくったって、誰もあまり不思議に思わないのですよ」
「純子さんという方に会ってみます」
「右へ行くと、角っこの所に鶴姫≠ニいう看板が出てますから、直ぐ分かります。でも、今夜は居るのかな?」
 訪ねるのを明日にしようと思う。料理店なら、客が来ていることもあるかもしれない。こみ入った話なら、何かと都合も悪い。その夜、美音子は役場で聞いた民宿ひえつき≠ナ泊まることにする。
 宏太郎に教えられた鶴姫≠ヘ、狭い村のせいでもないだろうが、小さな店だった。看板に墨字で書かれた鶴姫≠ニいう文字は、いかにも深い山里で語られ続けている伝説とよく似合っている。
 暫く眺めていると、店のガラス戸が開き、女が顔を出した。手に、雪かきをするのだろうか、小さなスコップを持っている。白い鉱石とも思えるような雪が、朝陽に光った。眩しかった。
「あ、おはようございます。純子さんでしょうか」
 美音子がそう言うと、挨拶を返しながら女は怪訝な顔をした。いきなり名前を呼ばれたからだろう。
「そうですけど……。何か?」
「あの――、平家屋敷≠フ那須宏太郎さんからお聞きしたんですけど、日向さんが、こちらに居られるそうで」
 端を細く剃り込み、夜明けの月のようにも見える女の眉が小さく動いた。
「あなたは?」
「実は私、新聞社の――」
 日向との関わりを言えるはずもなかった。話すとすれば、どう説明すればいいのか。それにしても自分は日向の何なのだろう。美音子は、とりあえず新聞社の取材だということにする。純子は納得したらしい。
 中に入ると、こぢんまりとした造りの店だった。カウンターの反対側には三畳くらいの小上がりがある。囲炉裏があった。埋められていた炭が掘り起こされると、赤い火が少しずつ大きくなった。
「どこに行ったか、分からないのです」
 はっきりとした輪郭の顔に、大きな目がよく似合っていた。日向の好きな顔なのだと思う。美音子は囲炉裏の中で、赤い炎が不意に燃え上がるのを見ていた。
「一月の中頃だったのですが、出掛けてくると言って――。あの人、黙って出て行くことがよくあるのです」
 美音子は、(あの人)という言葉を純子に聞こえないように呟いてみる。
 宏太郎は、日向が椎葉に来るようになってから十年になると言った。そして、純子と知り合った。ということは、それだけの間、日向は純子と暮らしていたことになる。だから、純子にとって日向は(あの人)なのだ。初対面の美音子に名前を言わず、自然にそういう言い方が出来るということが何よりの証しである。たとえ、月の内に何度か出会うにしても、そういう男と女の間に横たわる長い年月というものは、重いのである。
 美音子はそう思いながら、束の間、目を閉じる。
「雪の降る中で、笛を吹くのが好きなのです。だから、危ないというのに、山の奥の方まで、時々行くらしいんで」
「危ないって?」
「ええ、雪庇なんてのがあるのです。山の素人には分からないですけど」
「雪庇――」
「よく屋根の雪が、ずり落ちるようになって庇のようになっているでしょう。あんなのが、谷の上の道にあったりすると、危ないですよね。そこに足を乗せたりしたら」
「でも、日向さんが、そんな……」
「誰も居ない雪の山の中で笛を吹くと、音が冴えるって言ってます。だから……」
 そう言われて、美音子は、あの暗闇の中で聞いた笛を思い出す。
「出掛けた日は、笛を持って行きましたから。それから、用事があるので、九州のあちこちをまわって来るとか言って」
「連絡は?」
「無いんです。そのまま島根に帰ったのかな、と思ったり。あの人、そういうところがありますから」
「……」
「仁多って言うんですか、家があるところですけど。そこに行ってみようと……」
 いくらなんでも、純子と一緒に行くわけにはいかない。
 何か分かれば知らせて欲しいと、松江の住所を教え、鶴姫≠出た。 宏太郎は、日向が椎葉に来るようになってから十年になると言った。そして、純子と知り合った。ということは、それだけの間、日向は純子と暮らしていたことになる。だから、純子にとって日向は(あの人)なのだ。初対面の美音子に名前を言わず、自然にそういう言い方が出来るということが何よりの証しである。たとえ、月の内に何度か出会うだけにしても、男と女の間に横たわる長い年月は重いのである。
 美音子はそう思いながら、束の間、目を閉じる。
「雪の降る中で、笛を吹くのが好きなのです。だから、危ないというのに、山の奥の方まで、時々行くらしいんで」
「危ないって?」
「ええ、雪庇なんてのがあるのです。山の素人には分からないですけど」
「雪庇――」
「よく屋根の雪が、ずり落ちるようになって庇のようになっているでしょう。あんなのが、谷の上の道にあったりすると、危ないですよね。そこに足を乗せたりしたら」
「でも、日向さんが、そんな……」
「誰も居ない雪の山の中で笛を吹くと、音が冴えるって言ってます。だから……」
 そう言われて、美音子は、あの暗闇の中で聞いた笛を思い出す。
「出掛けた日は、笛を持って行きましたから。それから、用事があるので、九州のあちこちをまわって来るとか言って」
「連絡は?」
「無いんです。そのまま島根に帰ったのかな、と思ったり。あの人、そういうところがありますから」
「……」
「仁多って言うんですか、家があるところですけど。そこに行ってみようと……」
 いくらなんでも、純子と一緒に行くわけにはいかない。
 何か分かれば知らせて欲しいと、松江の住所を教え、鶴姫≠出た。
 中江の里は、久し振りだった。と言っても、去年の秋祭りから五か月しか経っていない。美音子は、この数か月の出来事を思い出して、不思議な気になる。
 仙台で過ごした十年をこんな形で終わろうとは思ってもみなかった。祭りの夜に日向に会った。それが全ての始まりだったのだ。
 椎葉から帰って来た夜、(歓迎会をしようじゃないか)という父の言葉で酒になった。高校を出て以来、手元から離れていた娘が帰って来たことに嬉しさを隠しきれなかったのだろう。
 父と母の三人で飲む二合近く入る徳利が半分になるかならない内に、顔を赤くしていた。
 もともと、かなり飲む方だが、年齢のせいだろうかと美音子は思う。
「もっと早く帰って来てくれればねえ」
 わざと愚痴っぽく言う母の言葉が、可笑しかった。
「いいじゃないか。帰って来たのだから」
 美音子は、父の盃に酒を満たした。
「それで美音子は、これからどうするつもりなの?」
 母が一番聞きたいのは、そのことかもしれない。もともと何をしたいから仙台を引き上げる、というのではなかった。
 去年の歳の暮れ、有司が仙台まで訪ねて来た。福祉の学校に行くと聞いたことが引き金と言えばそうである。母はことあるごとに帰って欲しいと言っていた。そのこともあるのだが、それとて、真剣に考えた結果ではなかったはずだった。ただ、何かにせかされるような気がしたことは間違いない。(美音ちゃんが松江に帰るなら、もっと頑張る)と、言った有司のはずんだ声が思い出された。
「どうするって――決めてないよ」
 父が盃を空にし、自分で酒を注いだ。
「また考えるさ」
「そうね。暫くゆっくりすればいいわよ」
 母は美音子が居るということだけで、とりあえず安心している。
 十年も家から離れていたのだと、美音子は今更のように思う。それで自分に何が残ったのか、何を手に入れたのかと考える。仙台で費やした二十代が終わり、来月の誕生日が来ると三十になるのだ。
「美音ちゃん、有司さん、福祉の専門学校に行くらしいわ」
 母に言われなくても知っている。有司が仙台に来た時、そう言った。試験を受けて合格したことも分かっているが、まさか母に仙台でのことを言うわけにもいかない。話してもいいのかも知れないが、今になってというのもおかしい。
「へえー、そうなんだ。でもなぜ?」
 焼酎の湯割りに替わったグラスの中を覗き込む。何となく、母の顔を見るのは、面映ゆい。
「偉いわね。いいところに勤めてたのに、そこを辞めて」
 美音子は、やっと帰って来たと、自分のことを言われているような気がする。
「だから、何で」
「お父さんが、事故に遭われて……。それで勉強して、介護っていうのか」
 狭い村のことである。誰がどこでどうだったということなどは、直ぐに分かる。
 母の話は、有司に聞いたこととさほど違わなかった。それはそうだ、直接に話してくれたのだからと、笑ってしまう。
「笑いごとじゃないのよ。大変らしいんだから」
「……」
「田圃や畑のこともあるし、お父さんの面倒も見なきゃいけないからって」
「有司さんが話したの?」
「直接には聞いてないけど、あちこちからね。そうそう、去年の十二月の初めだったか、朝日神社で出会ったわ」
「神社?」
「お父さんの祈願とかって。いい人ね」
 父のこともだったのだろうが、多分、試験のためではなかっただろうか。
 母に言われるまでもなく、有司のそういう優しさを美音子は好ましいと思う。
「その話じゃないけど――この間、松江の智裕さんがね。美音ちゃんにどうかって写真持って来られたんだけど」
「写真?」
「当たり前でしょう。幾つだと思ってるの。もう来月で三十よ」
 去年の祭りの夜、義兄の智裕が来て酒を飲んでいた。その時、(嫁に行かにゃあ)と言ったのだ。美音子の顔を見るたびに、義兄はせき立てる。松江に帰って来るようにと、母が言うのもそのこともあってのことである。
「見合いってことなの? そんなのいいわよ」
 いらぬお節介だと思いながら、母に顔をしかめて見せる。
「いいって、そんなわけにはいかないの。ねぇ、お父さん」
 父は黙って酒を飲んでいる。目は笑っていた。(好きなようにすればいいさ)と言っているようでもある。
 仙台で勤めようと決めたのは、いずれ出て来るはずのそういう話を煩わしいという思いがあったからだ。
「同級生の人は、たいていお嫁に行ったんじゃないの? 適齢期というのがあるのよ――」
 時代が変わったとはいえ、中江の里では若い女であれ、男であっても、独身のままでいると、何かと噂の種になるのだ。
 適齢期というが、それはどういうデーターから考えられたものか。十代で結婚して子どもを産む者もいる。四十歳過ぎても独身で仕事をしている人もある。三十を過ぎるから遅いと言われるかもしれないが、結婚したくなったときが適齢期だと美音子は思う。
「同級生ねえ、どうだかな。お父さんとお母さんだって結婚したの遅かったんでしょ」
「そういう問題ではないの。それとも好きな人でもいるの?」
 母は何とか決着を付けたいらしい。好きな人と言われると、どうなのだろうか。 美音子が手紙を受け取ったのは、松江に帰ってから半月後だった。椎葉の那須純子からである。
 ――椎葉の里にも、少しずつ春の気配が感じられるようになりました。この間は、わざわざ遠いところまで来ていただきありがとうございました。さぞ、お疲れではなかったかと思っております。あれから一週間待ちましたが、日向からは何の連絡もありません。
 実は、あなたがお帰りになってから、日向の家、つまり島根の仁多に行ってみたのです。そのことを簡単にご報告しようと思います。
 結論を言いますと、日向は居ませんでした。私の家に残していた荷物の中に、鍵を見付けましたので、それを使って家に入りました。
 人の気配もなく、住まいは長い間留守にしていると、何となく冷たいような感じがしますが、黴の匂いがする空気が漂っていました。日めくりのカレンダーが壁に掛かっており、それは一月十六日のままになっていました。ですから、その日か、あるいは前日までは家に居たということになります。私の家に来たのは、確か中旬でしたから、日向はその日以来ずっと家には帰っていないということだと思います。――
 美音子は、日向の家を訪ねた時、通りかかった男からもそう聞いた。椎葉に行くと言って出たと、その男は教えてくれた。(出掛けるときに、どこに行くということを知らせないが、なぜか今度は……)と、付け加えたのだ。
 ――家の中をあちこち探しました。何か書き置きや手掛かりになるものがないかと思ったからです。何もありませんでしたが、あなた宛の封筒が、客間というのでしょうか、床の間のある部屋にありました。――
 日向と酒を飲んだ部屋だ。そして、そのまま日向と夜を過ごしたあの場所である。純子が、そこに立っていたのだ。