小説「笛の音」もくじにもどる    トップにもどる

  笛の音 第41回〜50回    平成15年4月5日〜4月26日

 表の座敷は十畳だった。来たときに見た大きな飛び石が、暗い闇の中に佇む魔物のように見えた。夜のせいだが、どこまで続いているのかと思えるほどの奥へ広がる黒い樹木があった。その木々を背景にして石灯籠がある。
「灯籠に灯を入れますから、暫く待ってもらいます」
 灯りは必要ないのではないかと美音子は思ったが、聞かなかった。日向のその言葉には有無を言わさぬ強い響きがあったからだ。
 灯籠は来待石で作られ、かなり大きく思えた。暗いための、あるいは錯覚かもしれなかったが、日向の口調と同じで厳ついものに見えたのだ。
 灯がともった。薄ぼんやりとした光は、確かにこの庭には必要に思えた。陽光の中では別の味わいもあるのだろうが、灯りを一つ入れただけで、濃い色の苔とともに、夜の庭を幻想的なものに見せている。こういう庭は、一か所から全てを見渡すことは出来ない。視点を移し、あるいは歩きながら、突然開けてくる視界を通して、それぞれの部分を見るのである。庭は一日の時の流れ、さらには四季によって刻々とその有り様を変えるが、それは突然ではなく、ゆっくりとした時間の流れの中で知らぬ間に動き、無限に続くのである。
 不意に、闇の中から笛の音が聞こえた。いつ日向がそこに行ったのか分からなかった。
 いま闇の中から聞こえてくる音色は、この間、中江の里で聴いた神楽のそれとは全く違っていた。似ていると言えば尺八かもしれない。だが、そうでもなく、それ以上に音は複雑で、女人が纏う衣擦れの音の中で翡翠が立てる鋭い羽音のようでもあった。
 風が出て来た。それに乗った笛の音色は、どこか遠くへ去るように思えた。悲しい音でもあった。 
 笛を吹く日向が闇の中から現れた。
「いまの曲は、黒い空洞の中に閉じ込められて、体中の血管が泡立つという感じだったんです」
「闇の中に生きる人間の怖れ、虚無を表現したつもりです」
「……」 
「私はね、その場の情景や雰囲気で曲を作るのです」
「楽譜――ないんですか?」
 笛の楽譜はどういうものか、見たことはなかった。
「楽譜は縦書きの数字を使っているから、西洋風の五線の譜が読めないっていう人には抵抗がないかもれしません」
 数字譜であっても、日向は自分には必要がないと言う。もともと、伝統芸能の中での笛は、ほとんど口伝だから、楽譜を使うことは、あまりない。教えてもらう人の技を真似たり、盗んだりというのが最良の練習方法だった。
「唱歌……しょうが、と言って、譜を歌って覚える、つまり、人から人へということになる」
「しょうが?」
 伝統芸能というのは、地域によってそれぞれ違うために、そういう方法でしか伝えられなかったのである。
 作務衣の日向は、灯籠の近くの石に座った。灯りを背にし、表情は定かではなかったが、目は荒涼とした原野にひとつ煌めく光にも似て美音子を見ていた。
 次に奏でた曲は、神話の里仁多をイメージしたものだった。大渓谷に立ち並ぶ奇岩の間を急流が走る神秘的な大自然の魅力を曲にしたと日向は言う。
 遙かな太古の原風景が、ゆったりと静かに流れる旋律の中に浮かんでいた。日向にしか出せない音色だった。
「楽譜がないから、そのイメージはあるんだが、二度と同じ曲はできないです」
 ならば、日向は毎日生まれ変わっている、と美音子は思った。
「水本さん、酒を飲みませんか――」
 黒い夜が、庭を包んでいる。
 美音子は、自分の瞳が黒い夜に溶け込んでしまったのではないかと思った。暗い夜は、どこまでも続いているはずだが、漆黒であるために、まるで夜はそこだけにしかないように思えた。灯籠の蝋燭も尽き、笛の音が消えた庭は、時折ざわと重く鳴る風の呼吸しか聞こえなかった。濡れたような夜の闇があった。
 美音子は日向に酒を飲まないかと言われ、ここが仁多の奥深い里であることを不意に思い出した。
 明日のうちに仙台に着けばいい。広島空港から仙台空港までのフライト時間は、一時間半にも足りない。車で走るわけではないから、疲れることもない。もともと明日は、休暇を終えて久し振りに新聞社に出る前の休日にしていたのだ。
「三成で飲んでもいいですが、とりあえずここでどうですか。宿をとるなら街まで行けばいい」
 日向が座敷の灯りを点けた。縁側に座り、暗い庭を見つめていた美音子は、そのあまりの明るさに驚いた。日向の話をもう少し聞きたいという思いが、それと重なった。
「じゃ、そうさせてもらいます」
「美味い酒があるのです」
 美音子は酒が好きである。それも、洋酒よりは日本酒がいい。東北で暮らしていると、よけいにそうなるのではないかと思う。
「仁多は、というか奥出雲がそうなんだが、冬は東北並の寒さになるんです。松江の方では雪が全くない時でも、ここら辺りじゃ、かなり積もる」
 日向は手早く酒の用意をした。手慣れていると思えた。小皿に盛って来たのは、椎茸の酢漬けだった。
「だから、どうしても日本酒、それも熱い燗酒が欲しくなる。というのは言い訳か……な」
 更けて行く夜に、人里離れたところで男と二人で酒を飲む。美音子は、盃を手にしながら有司の顔を思い出していた。
 美音子は有司が嫌いではない。三瓶の宿で後ろから抱きすくめられたのは、つい数日前のことだ。その時は、笑ってごまかしたものの、その時の気持ちとは裏腹に、心地よい感触として残っている。
 いまこうして日向と酒を飲んでいるのだが、有司のステディでもないのだから、別にどうということはないはずだ。だが、何となく後ろめたい気もしないではないのだ。
 三瓶からここまで来たあの日の帰り、有司が不意にホテルに誘った。有司には、もともとの予定であったかもしれない。厭だとは言ったが、それが少しばかり気にはなっている。
「どうしたんです?」
 日向の声で、暫く黙って盃を眺めていたことに気付いた。
「美味しいお酒だったもので……」
「仁多郡ってとこは、いい酒があるんですよ。さっきも言ったように、山が深いということは冬はかなり寒いです。だから――」 
 寒い中で諸味を一ヶ月くらいかけて、ゆっくり発酵させると、肌理の細やかな味になる。地元で穫れる酒米の五百万石≠竍神の舞≠ネどを使うのだが、それが酒の質を安定させている。だから、味がいいのだ、と日向は言う。もっとも、酒はその人の好みだから――とも言って笑った。美音子もつられて頬が緩み、更に酒が回ったように思えた。
「日向さんというお名前は、この辺りに多いのですか?」
 美音子は、珍しい名前のことをいつか聞いてみたいと思っていたのだ。
「いや、私のところだけです」
「日に向かう……いいお名前ですね」
「日当たりのよい土地ということで、ひなた。ひなた、ひがた、にっこう、とか」
 日向という文字が付く地名や河川の名前は、全国で四十を超える。
「横田の大馬木は、俗称で日向原とも言うのです」
 日向が酒を注いでくれた。かなり飲んでいるはずだ。もう止そうという気も起こらなかった。夜が更けて行くのが分かる。美音子は、このまま夜が明けてもいいとも思った。
「日向原――日が向かう原と書いて、ひなたのはらと読むんですか」
「日向というのは誰でも知ってるんですが、宮崎と鹿児島の辺りの旧い国の名で、別の名を日州とも言うらしい」
「にっしゅう……。」
 美音子は、日向が九州の辺りに妙にこだわっているように思えた。
「私の先祖がどうだったのか、分からない。だが、笛を吹くときに、何か遠い昔が思われのです。もう少しで、その過去から何かが現れる、手が届きそうだというような感じもすることがある」
「そういう世界に思いを込めるということですか?」
「そういうことかな。目を閉じると遙かな神話の世界が見える。その思いで笛を持つ、――ということか」
 不意に日向が、たたらの話を始めた。 横田という土地は、古くから鉄山師によってたたら製鉄が行われた土地である。いまでも日本刀の材料になる玉鋼を作るために、しかも、古代そのままの形でたたら製鉄が続いている。
 日向は、炉の中で燃える砂鉄と木炭の炎が好きだという。暗い闇を咬むように立ち上がる金色のそれを見ていると吸い込まれるように思うのだとも言った。
 それを聞きながら、雪見障子の硝子を通して、美音子は炎を見たような気がした。美音子は立ち上がり、障子を開けて縁側に出た。雨になっていた。音もなく降る秋の雨が、夜を更に深くしていた。
 頬に手を添えると熱かった。冷えた夜気が心地よい。飲み過ぎたと思って目を閉じた。途端にぐらりと体が揺れた。(危ない)――遠くで小さく声がして、後ろから抱き留められた感触があった。美音子は、そのまま長く奥深い闇の中に堕ちた。

 一週間の休暇を終えて帰って来た美音子の勤める東北日日新聞社は、何も変わってはいなかった。学芸部は、いつもの通り慌ただしい時間が流れていた。ひっきりなしに電話が鳴る。ファックスが軋むような音を立て、パソコンのキーを打つ音があちこちの机の上から聞こえる。
 美音子は喧噪の中で、日向と過ごした時を思った。既に三日経っている。あの時間は、非日常の世界ではなかったか。そんな気がしないでもない。
 だが、体に、ある種の感覚が残っているのは確かである。
 日向とかなり酒を飲んだ。言われたようにタクシーならば直ぐだから、日向の家のある三津から三成まで出て、旅館に泊まればいいと考えていた。しかし、更ける夜の流れの中で、それはどうでもいいことのように思えてきた。
 日向が語った笛の話と遠い太古を思わせる笛の音を聴き、闇の中で赤い炎を見た。酒ではなく、笛に酔ったのだ。日向と一緒に、笛の音に乗って漆黒の夜を歩いてみたくなったのだ。
 夜が明け、朝の光が、雨戸の隙間から障子を透かすようにして部屋に入っている。静まり返っていた。物音一つしない。 隣りに寝ていたはずの日向の寝床は空だった。
 深い眠りがあったはずなのに、美音子は雨の音、日向が寝返る衣擦れの音や軽い寝息をずっと聞いていたような気がする。日向に抱かれたことも、その後の微睡や、ふいと甦る意識の底にある覚醒も全て記憶にありながら、それは現実のことではなかったような気もする。だが、右の乳房に掌を当てると、軽い痛みがある。日向の唇に吸われた跡だと美音子は気づく。
(九州へ竹を探しに行く)と書かれた置き手紙があった。顔を合わせない気遣いではないかと思った。初めて夜を過ごした男と女の朝の顔には戸惑いにも似たものがあるからだ。
 夜が明け、一つの床にくるまっているのなら、さほど気恥ずかしさはないのかもしれない。あるいは、微笑み合って、それで通じる二人、たとえば馴れ親しんだ夫婦なら別である。だが、行きずりに近い形でそうなって、朝になったら先に起きている相手の背中に、どう声を掛けるのかと逡巡する。誰でもそうではないかと美音子は考える。そういうことを思うのは、古い人間ということなのかもしれない。もっと若い人なら、遠慮のようなものはないのだろう。
 学芸部のパソコンの前で頬杖をつき、あの朝、寝床の中で、そんなことも考えていたことを思い出した。
「美音ちゃんよ。月末の新刊紹介だけど、どうなってる?」
 輪転機の騒音に混じって、部長の声が幾つかの机を越えて飛んできた。
「あ、直ぐ書きます」
 書く、と答えて気が付いた。笛の記事だ。朝日神社での神楽の夜、書きたいと考えたが、その思いは既に消えていた。記事にすると、それはそれで歩き出す。書けば、日向が遠くへ離れて行くような気がした。それより、美音子は笛を吹きたい、できれば笛を作りたいと思う。
 仙台市の晩翠通りの中ほどに、音塾笛工房という篠笛や能管を専門に作る店がある。その笛師は、日本でも数少ない女の笛作りだ。そこに行って教えてもらおうかとも思うのだが、美音子は日向の笛がどうしても頭から離れなかった。適当に、どこかに行けばいいというものでもないだろう。日向の所に行って教えてもらいたいが、そうなると新聞社の勤めはどうするのか。仙台から島根の仁多まで通うことなど出来はしない。
 日向が、いわば弟子のような形で教えてくれる気持ちがあるのかどうかも分からない。
 いずれにしても日向と出会ったことで、何か新しい世界が開けそうである。もう少し考えてみようと美音子は思った。

 日向が降りたのは、JR日向市駅だった。宮崎交通バスセンターから椎葉村行きのバスは一日に三本である。午後の最初は二時二十分だった。上椎葉が終点で、そこまで二時間半かけてバスは走る。市街地を抜け、国道三二七号線に入ると、静かな川沿いの道になる。やがて道の両側に山が迫り、連なる山が雲をまとい、墨絵のような風景が続く。
 宮崎県の北西部、熊本県に近い椎葉村は、平家落人の里とも呼ばれ、山と森に
囲まれた隠れ谷である。八百年前、平家の落人は、鎌倉の追っ手から逃れるために道なき道を辿ったに違いない。
 村に近づくにつれて、しだいに険しい山道になる。崖と谷に挟まれた道は狭く、そこまで来るとまさに秘境への入り口そのものだった。
 日向が宮崎県東臼杵郡の椎葉村に行くようになってから十年になる。八回目の「ひえつき節日本一大会」を聞きに行ったのが最初だった。庭の山椒の木、鳴る鈴かけてよ――で始まるひえつき節は、八百年前の物語を歌う日本の代表的な民謡であり、山深く険しい里で暮らす村人の労働歌でもある。ひえつき節を歌いながら、落人とその末裔は厳しい農耕作業を切り抜けて来た。
 日向は民謡もそうだが、椎葉の神楽に惹かれていた。地理的、文化的に閉ざされた椎葉の村では、自然と民間信仰、山岳信仰や神道が結び付き、それが神楽という形でいまにある。
 三千人ほどが住む村には、二十六の集落があり、宮司を中心にして神楽を受け継いでいる。担い手は、神楽子と言われる青年達である。神楽は十一月から十二月の初めにかけて行われる。未だ神楽の音は聞こえない季節だ。 笛に使う竹を探すという目的もあって月に一度は来ているが、神楽の季節が迫ると心が騒ぐ。仁多から遠く離れた九州だが、日向はこの土地に生まれ、そして生きているような気がする。
 国道三二七号線は、日向市を出て十数キロで耳川と平行するようになる。この道路は、耳川水系を利用した電源確保のために住友が椎葉村に寄付した百万円を使って昭和八年に出来た道路で、今でも百万円道路と呼ばれている。
 その耳川の源流は、椎葉村と熊本県矢部町の間にある三方山中腹である。川は、隣り合わせる高岳からの流れを集めて日向灘へ注ぐ。
 日向の乗ったバスは、日向市から七十五キロの距離を走り、役場前の停留所に着いた。千メートル級の山に囲まれた村の左手は耳川の谷底である。そそり立つ絶壁の斜面へ張り付くように民家や旅館が軒を並べている。三百メートルばかりのメインストリートには、土産物屋や食堂などが寄り添うように立ち並ぶ。
 日向がバスを降りた途端に、役場から出て来た男が声をかけた。
「やあ、善生さん。お帰り」
 役場の近くで『平家屋敷』という飲食店をやっている那須宏太郎だった。日向は(お帰り)と言
われ、一瞬戸惑いの表情を見せた。
「純子さん、元気だよ。待ちくたびれてるかもなあ」
「あ、いや――」
 日向は月に一度は必ず椎葉に来る。それが二度になり、時として三度になることもある。宏太郎が言うように、帰って来たということかもしれないと思う。そう言われるのは、那須純子とのことがあるからだ。
 日向が純子と知り合ったのは、初めて椎葉に来た年の暮れだった。
 明日は仁多に帰ろうと決めた日の夜、定宿にしている『ひえつき』という民宿にほど近い宏太郎の『平家屋敷』で飲んでいた。夜更けて外に出ると思いもかけず、かなりの雪が積もっていた。
「明日は、バスは出ねえよ」
 振り返った日向に、宏太郎が店の中から声を掛けた。
 宏太郎は、バスが動かないという。空を仰ぐと黒い闇の中から、何千、何万とも思える灰色の雪片が渦を巻き、日向の顔に突き刺さった。
 雪は翌日も止まず、宏太郎の言った通りバスは出なかった。
 日向市に向かう道は国道とは言うものの、耳川から立ち上がる崖は直角にそそり立ち、道幅は狭く、車が擦れ違うことの出来ない場所が幾つかある。ましてや、積雪があればスリップの危険性が増す。早く仁多に帰らねばならないという差し迫った用事もない。
 毎年のように冬になると、谷底に落ちる車がある。危険を冒してまで椎葉を離れる理由もなかった。
 日向はその夜も、宏太郎の店に行った。秋のひえつき節日本一大会を見に椎葉に入って以来、何度か酒を飲みに訪れている店である。顔馴染みになった。宏太郎は日向と同じ齢だという。そのことからというわけではないが、何となく気が合うものを感じたからだ。
「笛を作るって言われたよねえ」
 宏太郎が酒を注ぎながら、不意にそう言った。
 初めて来たとき、なぜ椎葉に――と聞かれ、答えたことがある。笛の材料になる篠竹の古いものを探しているのだと。
「小さな店だが、『鶴姫』という料理屋があるんですよ。ほら、ここを出て右へ百メートルばかり行った角のころにね。そこの女将、と言っても親戚の娘で、那須純子。私と同じ姓でして、竹ならその娘の家に……」
「那須純子……」
「ああ、ここらは誰も多少は縁者なんですよ。まあ、それはともかく、鶴富姫の話から、店の名前を付けたって言ってたんだが」
 椎葉には、那須姓の家が世帯数約千三百の内で二百五十軒、椎葉は三百五十軒ばかりある。初めてそれを聞いたとき、日向は平家との関わりの深さを思った。当然だが、那須だけでは区別がつかない。