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  笛の音 第21回〜31回    平成15年2月18日〜3月11日

 ルームさんって何? と聞いた美音子に有司は不思議そうな顔を見せた。そんなことも知らないのか、と言いたげだった。新聞記者のくせに、とまでは言わない。美音子は、なぜこんなことに有司が詳しいのだろうと思う。
「つまり、客室係ということさ。ホテルとかで言い方が違うらしい――」
「そうだろなとは思ってた。そうなんだ。ルームなら部屋のことだもんね」
「いまに料理を運んでくるだろうけど、その仕事をしてる人は仲番なんだ」
「そう言えば、仲居さんという人もいるよね。それにしても詳しいなあ」
 職業の話をしながら、不意に美音子は、有司が何の仕事をしているのかまるで聞いていなかったことに気がついた。久し振りに会い、高校時代の続きのような気もしていたし、田舎のことだから、農業をしているのだろうと、ごく自然にそう思っていたのだ。
「有ちゃん……」
 美音子は、有司をそう呼んでいた。これからも、ずっとそう言うだろうなと思う。美音子の代わりに、窓際の椅子に有司は座り、午後の陽が斜めに射す三瓶の山を眺めていた。
「いま何の仕事してるの?」
「俺か? 米子マシンサービスって会社に勤めてる」
「何するとこ?」
「パソコンで使うプリンターの、何って言うか、アフターサービス専門会社さ」
 有司は農業高校を出ている。それでパソコン関係か、と美音子は不思議な気がした。
「いろんな仕事して来たけど、結構、性に合ってる」
「パソコン、詳しいんだ」
「そうでもないが、高校出てから広島の専門学校に二年行ったんだ」
「そう」
「でも、本当は、福祉の仕事がしたいと思ってる」
 美音子は、有司の口からそういう言葉が出るなどとは想像もしていなかった。
「なんで? いまのパソコン関係を止めるわけ?」
「会社が米子で通うのに大変なんだ。休みの日は田んぼや畑の仕事もあるし、それになあ……」
「それに?」
「うちの親父なんかも、歳だしなあ。そんな仕事してた方がいいかなって」
 美音子は、母が呟いたことを思い出し
(お父さんも私も、だんだんと歳取るからねえ――)――昨日の夜、台所で、確かにそう言った。
 島根は、全国一の高齢県と言われている。六十五歳以上の人口が、二十五パーセントである。十五年経つと、それは三割を超える。
 母がそんなことを言ったときの淋しげな顔が浮かんだ。有司は黙りこみ、ぼんやりとした表情を見せた。
「お邪魔します……」
 廊下にキャスターの音がして、料理が運ばれて来た。
 山菜釜めしとホロホロ鳥の山椒煮などだった。部屋の中央に据えられた小ぶりの黒檀と思える座卓に、料理が並べられた。ホロホロ鳥などという名前からして何やら気味が悪いと最初は思ったが、有司は平気らしかった。恐る恐る食べたその料理を美音子は旨いと思った。味は淡泊だった。
「三瓶特産で、ほんとはアフリカのキジらしいよ」
 ホロホロ鳥の料理は、ローマ時代から食鳥の王様と言われていたが、フランス料理で広く使われるようになってから、最高級の食材になった。
 このところ、三瓶では放し飼いにしている。鍋にすると普通の鶏肉に比べて少しばかり味が濃くなる。だが、カロリーは低く、牛肉のような味わいがある。有司は、そんな説明をした。
「どんな鳥なの」
 ホロホロ鳥の名を美音子は初めて聞いたのだ。
「だから――大きさは、キジくらいかなあ。黒い柄で白い水玉が付いてるみたいな羽だよ」
「飛ぶの?」
「見かけはね。だけど、それこそ鶏程度なんだ」
「よく知ってるのね」
 美音子は、三瓶という名が四国にあると言った有司の話を思い出した。愛媛もここにも誰かと来たのではないかと思った。そんな感じがした。女かもしれない、とまた思った。そんなことはどうでもいいとは思うが、なぜか気になった。
 窓から見える三瓶の風景は美しく、いかにも豊穣だった。その豊かさは風土の持つ様々な顔のせいから来ているのだろうと、料理を食べながら美音子は思う。 島根の海岸線は長いせいもあって、陸と海、山と川がほどよく調和している。 仁多郡横田の東に位置する船通山から流れ出た水は亀嵩川や馬木川、さらには三刀屋川などを合わせて斐伊川となる。下流で出雲平野を作りだしたこの川は、古事記に「肥川」、「肥河」と書かれ、古くから季節の移ろいや食の多彩さを生み出した源でもあった。
 三瓶の山並みに囲まれた豊かな土壌と水が、ホロホロ鳥独特の味を作り出してもいる。この鳥は、気が強く運動量も多いことから、身は鶏よりも弾力があって野性的な風味がある。それにもかかわらず、野性特有の臭いや癖もない。その上に肉の柔かさもあって、食通には好まれているのである。
 美音子はビールでも飲みたい気がしたが、有司の手前、そうもいかない。
「ねね、仁多に行かない?」
 美音子は、日向のことを思い出していた。三瓶から仁多まではそう遠くはない。国道五十四号を横切り、吉田村を通り過ぎると、上阿井になる。そこから日向の住む三津までは十キロばかりだ。
 日向は、いつでもどうぞと言ってくれた。ただ、約束も取り付けないで行くのはどうかと思う。それに取材をするなら、それなりの準備がいる。そのつもりで来てもいない。近くまで来たから寄ったということもあるが、さすがに昨日の今日である。ふらりと遊びに来た、と言うには早過ぎる。
 美音子は、東北日日新聞学芸部経験が七年になった。政治部や社会部記者とは多少は立場が違うものの、ある時、(取材に女を利用しているのではないか)と言われたことがある。(女を利用とは何だ)と怒ったが、男の記者では出来ないことをするので得だという意味だった。
 県庁や市役所の記者発表で、(この部分は、後で知らせる――)と約束があったのに、別にひとりで行き、それを教えてもらい、特ダネにしたことがある、それは女だからだというのだ。
 そんなことはない、と美音子は反論した。相手が取材を渋ったならともかく、受けて話してくれたからいいではないかと考える。
 取材というのは、学芸部であろうと政治部だろうと、大袈裟に言えば記者生命をかけてする。女や男というのは関係がない。そんなことを言うのは、男の見栄ではないか。記者発表だから誰もが同じことを同じように取材した。分からない部分があったので、もう一度聞きに行きたい。それがどうしてもできないというのは見栄を張るからだ。美音子はそう思ったのだ。
「どうする?」
 窓際の椅子で向き合ったまま美音子は、また聞いた。
「何で仁多なんだ」
 有司は腕時計を見ていた。ちらりと覗くとカシオのG・SHOCKだった。黒と白の落ち着いたフェイスで、美音子は同じ形の赤のMTG700が欲しいと思っている。電池寿命が五年のものだ。
「笛の人のとこよ」
「笛の人? あ、名前は日向――」
「そう。いつか訪ねますって言ったの」
 日向という名は、記紀に登場し、宮崎県の辺りに位置する古い国名である。神社などで使われる祝詞のうち、天津祝詞には『筑紫乃日向』と書かれている。どの地域を指すのかということは非常に難しいものの、ともかく九州には十箇所以上もその地名がある。
 日に向かうという言葉から想像できるように、神話にいう天孫降臨とも関係があるかもしれない。
 笛を作る日向の住む仁多は、須佐之男命や八岐大蛇神話の源である。日向という名も、そのあたりから来たものだろう。美音子は日向の家を訪ねたら、それを聞いてみたいと思った。
「いま、何時?」
 有司はのぞき込んでいた腕時計から顔を上げた。
「二時だけど……」
「まだ早いじゃない。行ってみようよ」
「四時くらいまで居ていいって言われたよ」
「なにするの。ここに居て。食事も終わったし」
 ふてくされたような表情の有司の顔が目の端に見えた。
「さあ、行こう」
 美音子は、座っていた椅子の肘掛けを両手で大きく叩いて立ち上がった。開けてあった窓ガラスを締め、振り向いた途端に抱きすくめられた。
「いや……」
 後が続かなかった。唇を吸われた。体を捩ろうとしたが、背中に廻った有司の両腕は意外に強く動けなかった。そうされたまま、美音子は無数の星で埋め尽くされた夜空に、流星が一つ消える風景を見ていた。抱かれた背中の血が熱かった。
「ごめん――」
 有司の腕が緩んだ。美音子は、そんなことをされて怒るよりも有司のその言葉に笑った。
「なんで笑うんだよ」
 美音子は、両手で有司の胸を押し戻した。
「だって……」
 有司は、悪さをした子どものような顔で(ごめん)などと言う。それが、可笑しかったのだ。
 久し振りに会ったのが昨日の夜で、それから何時間も経たないうちに、二人だけで食事をした。何年かの時を巻き戻したような気もする。しかも、高校生の頃から好きだった有司がようやくそんなことをした、などと思ったから笑いが顔からはみ出したのだ。美音子は、そう思ったのだが黙っていた。
「仁多へ行こう――」
 怒っているようでもあり、そうでもないような有司の声だった。
 仁多は出雲風土記にも登場し、豊かな伝承が数多く残されている。そのひとつが大馬木川上流の渓谷、鬼の舌震いを恋山という言い伝えである。
 阿井の村にいた神である玉日女命に和爾が心を寄せ、斐伊川をさかのぼって夜ごと姿を現すようになった。命は驚き、巨大な岩で川をせき止める。だが、和爾は募る思いを捨て切れなかった。そのことから、恋山、つまり、(わにのしたぶる)が訛って鬼の舌震いとなったのだと言われている。
 志学の町を右下に見て、東へ向かう。志津見、波多の集落を経て、国道五十四号に出た。十キロばかり北上して、掛合の町から右折すると上阿井である。そこから三成の町へは二十分ほどだ。
 風土記が作られた奈良時代から数えて、千年を越える山間の里だが、このところ新しい顔を見せ始めた。
 玄関口であるJR三成駅には地元産の品物が並び、まるで国道沿いにある道の駅のようにも見える。いいまち≠もじったeー街を目指し、公共施設には高速インターネット網も接続され、有線テレビ『ジョーホーにた』まである。
 奥出雲の仁多は渓谷の町であり、斐伊川を遡った中国山地の奥深い懐に、ひっそりと佇む。高尾の里を流れる斐伊川の支流、大馬木川中流には、急流が川床の花崗岩を削って作ったV字形の大渓谷が三キロにわたって続く。巨大な岩の間を流れる清流が、瀑布や淵を作って流れている。独特の景観といわれる鬼の舌震だ。
 県道二十五号の玉湯吾妻山線の途中に下流側へ下りる遊歩道入り口がある。
――鬼の舌震とはいかにもおそろしそうな名前ですが、この名の由来は出雲風土記によれば阿伊(現在の馬木)の里に美しい姫が住んでおり、この姫を慕って日本海に住む悪いワニが夜な夜な川をさかのぼってきた。姫は、このワニを嫌って大岩で大馬木川をせきとめ、姿をかくしてしまった。しかし、ワニの姫に対する気持ちは変らず、その後も幾度となく川をさかのぼったと記されています。このワニの慕ぶる≠ェ転化して鬼の舌震と呼ばれるようになったといわれています。――案内板には、そう書かれていた。
「美音子、行ってみないか?」
 携帯を見ると、午後三時だった。日向の所へ行くには遅すぎもしたし、既に美音子は訪ねる気をなくしていた。
 谷底に向かって下りると、十分ばかりで玉日姫橋に着いた。黒い肌を見せて反り気味の巨岩が見えた。『烏帽子岩』である。対になっているのは、『化粧台』とか『姫の鏡』と呼ばれる丸みを帯びた岩だった。さらに進むと『雨つぼ』と名の付いた丸い岩くぼの連なりがある。渓谷を吹き過ぎる風と雨に、長い歳月をかけて穿たれたものだ。
 気の遠くなるような時間がそうしたとすれば、人の生きる刻など取るに足らないものではないかと美音子は思った。
 新聞社の仕事は、いつも時間に追われている。こんな山奥で、何も考えずにゆったりとした時を過ごすのも一つの生き方かもしれないと思う。
 聞こえるのは、水の音だけだった。
「どうした?」
 耳の横で有司の声がした。そうだった、有司と来ていたのだと美音子は思った。
 どれくらいの時間だっただろうか。音を立てて流れる川を見ていると、水面が一枚の白い板になったように思えた。吸い込まれるような気がした。
「何でもない……」
「もう少し先まで行ってみるかい?」
 小天狗岩まで行くと、松の緑に彩られた断崖絶壁が現れた。
 V字渓谷に累々と折り重なる岩は、遡ろうとするワニを確かに冷たく拒絶しているようだった。拒まれても、夜ごと、岩をよじ登ろうとしたのだろうか。それとも、ワニはそのまま諦めたのか。人間の男ならどうなのだろう。もし、私にそこまで言い寄る男がいたら、どうするのだろうと美音子は思った。
 玉日姫橋から、さらに次の天狗橋までは片道二十分くらいかかるはずである。 有司は、どうでもいいような顔をしていた。
「私、もういい。帰ろ」
「日向さんのところに行くんじゃないのか?」
「今日は止めることにする」
「何で? そのつもりで来たんだろ」
 三瓶の部屋で、有司と唇を触れ合った。もともと有司が好きなのだから、それはそれでいい。だが、何時間も経たないうちに日向を訪ねるのは、気がひける。日向は鋭い目で、何かを見通そうとするのではないか。もちろん、二人で行くとは言っていない。日向は驚くかもしれないし、取材という仕事がらみなのに、男と二人で訪れるのはどうだろうか。
 そこまで考え、有司と一緒に行くことをためらうのは、日向に有司の存在を見せたくないからなのだ、と美音子は思った。だが、それはなぜなのだろう、とも思う。
 駐車場まで帰ると、午後四時をまわっていた。
 三成の町を通り抜け、大東へ向かう。その途中にある樋ノ谷は、数年前まで難所と言われていた。崖と深い谷に挟まれた狭い道で、冬の積雪や凍結時には、必ずといっていいほど、何台かは谷に転落する車があった。トンネルが掘られると、時間も距離も驚くほど短くなった。古い道は誰も通る者もなく、崖や路肩から延びた雑草が道路を覆っている。トンネルを抜けるのは、一瞬だった。
 大東町と松江市の境は忌部の峠で、それを下ると農道を横切ることになる。
 有司の運転する車は、左折して農道を西に向かっていた。
「あれ? どうして農道に入るの?」
 美音子は、右手で運転する有司の膝を叩いた。不意にその手を握られた。(何するの、危ないじゃない――)と言いかけて美音子は口をつぐんだ。有司の手は、なぜか汗ばんでいた。
 農道をはずれ、玉湯川に沿って行くと温泉街に入る。有司は、その手前で右折した。出雲玉作資料館を右に見て、坂を上がった。
「なっ……」
 有司は前を見たまま、小さな声で言った。その視線を追った先には、派手な看板を掛けた幾つかのホテルがあった。
「美音子……」
 握られていた手を振り払った。
「なに考えてるの。嫌よ、早く帰ろ――」
 有司は、それから西長江の駅に着くまで、一言も口をきかなかった。美音子が車を降りるときに、(じゃ、な)と言っただけだった。
 三十が近くなった美音子だから、そういうことを知らないわけではない。有司とそうなってもいいとは思うが、それにしても昨日の今日である。
 大学のときには、北海道から来ていた二年上の学生と同棲まがいのことをしていた。その男が卒業して郷里に帰り、そのまま終わりになった。就職してからは、印刷会社に勤める一回り上の、しかも妻や子どもがいる男が恋人だった。
 その男が勤めていたのは、東京に本社のある印刷会社で、妻や子は東京の自宅に残し、仙台へ単身赴任をしていた。
 どこの県であれ、県庁がある町はミニ東京である。仙台市も例外ではなかった。
 昭和五十七年に東北・上越新幹線が開業し、その後も秋田・山形・長野新幹線が走るようになるにつれ、東京から東北への時間距離は短くなった。支社や出張所が多く、仙台市もミニ東京とあからさまに言われる都会である。
 四十を五つ過ぎていた男はいずれ東京本社に帰ると言っていたし、もともと結婚などするつもりはなかった。取材で訪れた印刷会社で初めて会った男は、営業担当のせいもあってか明るい茶色で決めたスーツが印象的だった。取材中も時折掛かる電話での応対を聞き、大学のときの男と比較していた。いわば同世代の、あるいはその学生だけだったかもしれないが、いつも抜け穴や弁解の余地を残しているようで、熱っぽさが希薄だった。
 男は逆で、いつも自信が溢れたような顔つきをしていた。社の中で儲けにならないと言われた企画を通し、大きな利益を上げたとき、(ついてる)と美音子に言ったのだ。飲んで帰るときのタクシーの中だったが、美音子の方から思わず手を握りしめていた。それが始まりだった。
 数年続いたが、東京の出版社に勤め先を変えたことから、それぎりになってしまった。
 若い女が、中年の妻帯者と付き合うというのは不倫である。美音子は男とそうなってすぐ、親しかった女友達にその話をした。それほどの罪悪感はなかったからだ。だが、不倫の恋は春の季節がやって来ることはない。多分、男は美音子が結婚して欲しいと言ったとしても応じなかっただろう。そうでない場合があるとすれば、例外的である。
 美音子は、いつかどうしようもなく辛い思いをすると分かっていても、男と深い心の絆を結ぼうとしたのだ。