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第27回 「首の女」殺人事件  
                内田 康夫 
                    引用は 徳間書店 版 より
 
 平成16年7月13日付けから7月18日付けまでの島根日日新聞に掲載

春岡 暑くなりましたが、こういう季節になると、ミステリーとかスリラーものを読むといいのではないでしょうか。
江波 そんなことで涼しくなるのですか?
春岡 あ、つまらない話でした。
江波 いえ、そうではなく、殺人事件などはどうでしょうか。
春岡 そう言われると、このところ殺人とか異界の小説がよく登場しますね。
江波 気安く読めるということでもあるのですから……る
春岡 ということになると、ミステリー小説……。
江波 内田康夫という作家は、ご存知だと思いますが。
春岡 ミステリー作家で、多作というのか、もの凄く沢山の本を出してます。浅見光彦シリーズで有名です。
江波 昭和九年十一月の東京生まれですから、今年は七十歳かな。
春岡 それにしては……というと失礼かもしれませんが、まさに現役ということになります。
江波 長野県の軽井沢に住まいがあるということですが、作品に本人が、『軽井沢のセンセ』として登場することがあるのです。
 更に、平成五年に、浅見光彦倶楽部というのが出来て、会員の数は一万人余りあるのだと言われています。
春岡 浅見光彦というのは、当然、架空の人物として小説に登場するわけですが、実際に居ない人の倶楽部が出来るというのも面白いですね。
江波 軽井沢に浅見光彦倶楽部ハウスという建物があって、関係のものを展示しているようです。行ったことはないのですが、入館料が大人五百円で、高校生以下は二百円だとか……。
春岡 そうなると、小説に登場する人物なのか実在する人だか、分からなくなって
読者は混乱するとか。
江波 読み手も楽しんで、混乱しているのじゃないでしょうか。そういう小説、つまり登場人物のファンクラブが出来るような小説を書いてみたいものですが、なかなかそうはいきません。
春岡 大丈夫です。作家江波潤一さんなら書けます。
江波 ヨイショというのか……。どうもありがとうございます。ところで、内田康夫という人の作品は、全部で約百五十冊ほどあります。
春岡 ご当地ソングではないですけれども、手軽に読めるミステリー・シリーズには地名が入ったタイトルが多いですね。その百五十冊の中にも地名が入ったものが多いのでしょう。
江波 内田康夫の作品名をあげてみると、確かにかなりあります。倉敷殺人事件、軽井沢殺人事件、日光殺人事件、長崎殺人事件とかね。
春岡 島根に関係したものもあると思いますが。
江波 そうなんです。津和野殺人事件、隠岐伝説殺人事件というのもあります。
春岡 殺人が好きな作家ですね。一冊で殺されるのは一人だけということはないでしょうから、凶悪犯です。
江波 なるほど、そう言えばそうです。
 数えてみると、約七十冊に殺人という文字がタイトルに入っています。
 もちろん、ミステリー作家ですから、たいていのものに殺人がからんでいるのでしょう。それにしても、小説というのは、殺人も、時によっては強盗でも、何でも出来ますから面白いと思います。
春岡 面白いというのか……。ところで、小説は?
江波 小説は、『「首の女」殺人事件』というのですが、女を(ひと)と読ませています。首の女という文字は、かぎ括弧でくくられています。強調したかったのでしょうか。
 最初は、徳間書店から昭和六十一年に新書判で出ています。続いて平成元年に文庫本で、三冊目が平成五年の角川文庫です。
春岡 それぞれ装幀が違いますね。
江波 その意味で同じ書名でも、集めるという面白さがあります。
春岡 そういう小説の読み方もあるわけですか。なるほど。それはともかく、舞台は?
江波 江津なのです。『江波さんの出雲小説図書館』は、出雲ということになっていますが、時には石見が出て来てもいいでしょう。もちろん、江津で始まって江津で終わるというのではなく、東京や福島県も出てきます。長編の旅情ミステリーというわけです。
春岡 首の女で殺人事件となると、何か不気味ですね。
江波 それはそうですが、実は、首を切られたなどというのではなく、彫刻に関係があるのです。
春岡 彫刻の首? 
江波 ストーリーを簡単に言いますと、まず、真杉伸子という三十八歳の女性は、大学に勤務する夫と二人で暮らしています。小学校の同窓会があって、同級生の宮田治夫に会うのです。治夫は、以前、伸子が大学を出た直後に結婚を申込みますが、伸子は断ったことがあります。それ以来、初めて会ったというわけです。
春岡 ところが、治夫は未だ独身だったという……お定まりの。
江波 鋭いですね。そうなのです。
 今さらということもあって伸子は妹の光子を治夫と一緒にさせようと思います。それから、治夫と光子は付き合うようになり、ある日、銀座で開かれていた高村光太郎・智恵子展を見に行きます。
春岡 高村光太郎は、詩人で、しかも彫刻家。智恵子は、その妻で、明治一六年に生まれ、昭和三十一年に亡くなっています。
江波 詩集『智恵子抄』で有名で、代表作です。詩集に収録されている「レモン哀歌」は特に有名で。
 ところが、その展覧会で、展示されている光太郎の蝉の木彫り、置物ですが、それを見詰めている男が、「違う……」という掠れ声で呟くのを耳にするのです。
春岡 彫刻の蝉……違う、という言葉。何かありそうですね。
――駅前の広場はアスファルトが剥げて、ほとんど地面が露出していた。空は梅雨どき特有の鉛色の雲が垂れ籠め、昨日の雨がところどころに水溜まりを作っている。広場の周囲には倉庫や民家が並んでいるが、そこにも人の姿は見当たらない。
 男は広場を横切って、線路と平行している道路に出ると、右のほうへ、爪先下がりの坂を下っていった。
 道路はじきに左に直角に折れて、上を何かの引き込み線が通っているらしいレンガづくりのガードを潜った。そこから先が集落になっている。幅が民家四軒分しかない薄っぺらな集落で、すぐ目と鼻の先が海岸であった。集落の真中を横切る道路を越える時、左右を見ると、道路沿いに、民家や商店やらが連なっていた。しかし、そこにもあまり人けはない。郵便局の前で老人が二人、ひまそうに無駄ばなしをしていて、見掛けない人間に驚いたような視線をこっちに向けていた。
 男は急ぎ足になって防波堤のある海岸に出た。防波堤の向うは、狭いけれど、想像していたのよりはきれいな白い砂浜であった。――
江波 何かありそう、ということですが、この小説の冒頭は、プロローグという章になっていて、駅前の情景があるのです。どこか分かりますか?
春岡 どこにでもある変哲もない風景ですから……。
江波 駅前とありますが、この駅は馬路駅なのです。しかも、プロローグには馬路とはどこにも書いてないのです。
春岡 馬路駅といえば、全国でも有数の鳴き砂の浜が近いですね。確か、汀線は二キロばかり……。
江波 そうです。小説の冒頭に重要な舞台になる場所があって、その場所が書いてないというのも、珍しいというか面白い。
 話が前後しますが、美術館で蝉の彫刻を見ていた男は殺されるのです。福島県の二本松市にある岳温泉で。さらに、宮田治夫は、治夫は江津で死体が見つかるのです。
春岡 そして、当然のように、内田作品では、名探偵の浅見光彦が登場……。
江波 ということですね。伸子は妹の友だちの浅見光彦に事件の真相を解明して欲しいと依頼します。さて、探偵登場で事件は解決……。
春岡 解決するということが分かっていても、浅見光彦がどう解決するかということで読みたいわけですけれども。
――出雲空港に着いた時は晴れていたが、レンタカーを借りて走り出す頃になって、雨が降ってきた。しかし、夏の雨はむしろカンカン照りよりはましだ。クーラーの効きもよくなる。
 国道九号線に出て、一路西へ……。カーラジオをつけると、高校野球をやっていた。やはり山陰路は雨が多いらしい。
 江津には午後三時少し過ぎに着いた。江川の長い橋を渡って市街の中心に入った時、なんだか侘びしい街だな……と浅見は思った。雨のせいばかりでなく、街の表情が疲れた老人の顔のように、精彩がない。そういう第一印象は、存外その土地とそこに住む人々のキャラクターを直感している場合が多いものだ。
 江津警察署も古い建物だが、ここだけはむしろ活気を呈していた。――
江波 侘びしい街だな、と、江津の町のことが書いてありますが、確かに東京辺りから見ると侘びしいでしょうが、江津に住んでいる人は、そうは思っていないでしょう。そんなことは無いと反論されるかもしれません。さらに、江津警察署も古い建物だが、とあったりしますが。
春岡 やはり山陰というと、暗いとか淋しいなどと書かないと、作家も読者も納得しないのでしょうか。もっとも、江津の町に来たのは、小説では浅見光彦ですが、作者、つまり、内田康夫がそう思って言わせていることにはなります。
江波 そうですね。まあ、淋しいとか侘びしいという場所が好きな人もいるから、いいとしますか。この小説は島根県の中でも、あちこちに行くわけです。
――江津から東へ……正確には北東へ国道九号線をゆくと温泉津町の先が仁摩町である。
 仁摩はかつては仁万と書いた。石見の国府は最初、仁万に置かれたという説があるくらい、歴史の古い土地だ。
 昭和二十九年、宅野、大国、馬路の各村と合併し、町名を「仁摩」と改めた。この中の「大国」は『八重葎』に「大国本郷と号する所以は石見国の名始めて此村より発る故に号す」とあるくらいだから、とにかくこの辺りはむやみに歴史が古いのである。東京・府中市にある「くらやみ祭」で有名な大国魂神社もここが発祥の地だとする説もある。――
 作者はよく調べて書いています。八重葎というのは書物の名ですが、江戸中頃の僧、白隠が法華経のことについて書いたものです。そういう古い書物に仁摩のことがあるというわけです。ところで、事件のキーになっているのが、根付なのです。
春岡 財布とか小さい鞄などに付けるアクセサリーの……。
江波 それが、最初に出てきた蝉の置物と関係があるわけです。根付は基本的に彫刻作品です。サイズは非常に小さくて、出来るだけ丸く造るというわけです。なぜそうなのかとうことには理由があって、普通の彫刻は眺めるものですが、根付は、身につけるものだからです。もともと日本人は着物を使っていたわけですが、ポケットがないわけで、煙草入れとか印籠とか、巾着などを帯に吊り下げるしかないのです。その滑り止めに使われたのが根付です。その根付の凄いものが、江津にあると、この小説は書いてます。江津に清水巌という人が居て、それを初代とする親子三代にわたる根付師一家があると……。
春岡 実在の人物なんですね。
江波 彫刻師として大変な人で、享保十八年に八束郡の玉湯で生まれています。
 清水巌の作った根付は外国でも『石見根付』として大変な評価を受けているのです。現在の後継者というか、江津で根付や面などの彫刻を作っている人がおられます。江津の嘉久志というところですが、田中俊晞という方です。
春岡 侘びしい街などと書いて……。大変な人がいるのですね。知りませんでした。
江波 世界的に有名なのに、島根ではあまり知る人が無いのが残念です。江津市教育委員会が平成十三年に出した『江津の人物誌』に載っていますし、ホームページでも検索すると出ては来ますが、こういう知らなかったことが分かるというのも郷土の小説を読む楽しみでもあると思います。
春岡 この小説に出てくるのは、江津と馬路だけですか。
江波 いえ、次のような描写もあります。――「秋本さん、江津付近で郷土の歴史に詳しい人を知りませんか?」
「それだったら、竹島先生がいいでしょう。僕の高校の時の先生で、いまは市の教育委員になられて郷土史の研究をしておられますから」
 夕方近かったが、秋本が電話すると、竹島は快く応じてくれた。竹島家は江津の市街地の真中にある。馬路からは二十分ほどで行けた。市街地の真中といっても繁華な感じがしない街だ。――
春岡 竹島にはモデルがあると思いますが、誰なのでしょうか?
江波 多分、作者は実際のその人に会って取材をしているはずですから、架空の人物ではないと思われます。
――竹島は六十二歳だという。妻と二人暮らしの家に遠来の若い客が来てくれたことを歓迎しながら、地元から若者と子供の姿が消えてゆくことをしきりに嘆いた。――
 というように書いています。
春岡 それにしても、かなり詳しいです。
――「竹島先生は、石見根付や清水巌のことをご存じでしょうか?」
 浅見は本題に入った。
「ああ、知っておりますよ。石見根付……つまり、清水巌はわが郷土の誇りともいうべきものなのです。といっても、私の研究の範疇には入っておらんので、あまり詳しいことは知らんですが」
「外国人が注目している割には、地元の人に知られていないのだそうですね」
「そう、その点は残念ですが、しかし遅まきながら、最近になっていろいろと注目されるようになりました。もっとも、そうなった頃には、肝心の根付そのものがスッカラカンに無くなってしまいましたがね」
「地元で根付を蒐集している人や、売買している人をご存じありませんか」――
江波 石見根付の作品は、かなり海外へ出ているということなのでしょう。
――桜江町は江津市に隣接する町である。江川沿いに南へ数キロ行き、橋を渡ったところが牧原家のある集落であった。広島県の三次と江津とを結ぶ三江線の川戸駅から近い。
 夏の空はまだ明るさを残していた。江川に架かる長い橋を渡る時、川面に紫色の残照が映っていて、浅見は急に旅情を覚えた。
 田園地帯から山地に変わる接点のような斜面に、ほんのひと握りの民家が寄り添うように建っている。薄闇の中に白い土蔵のような建物が点々と浮かんで見える。――
 浅見光彦は、根付を作っている久永という彫物師が事件の真相に関わっているのではないか、つまり、展覧会に出されていた蝉の根付は贋作ではないかと推理して解決に導くわけです。
春岡 タイトルの首の女というのは、どういうことなのでしょうか。
江波 最初に言ったように、宮田治夫と光子という登場人物が、高村光太郎と智恵子の展覧会で会うところがあります。その展覧会に、「女の首」というブロンズ像があって、それから付けられています。
江波 高村光太郎の作品と江津の石見根付がストーリーを際だたせる役目をしていますし、遠い福島県と島根県の江津が繋がるという構成です。こういうミステリーはクロスワードパズルのようなもので、あちこちに接点が隠されていて、それがあるキーワードで一気に連結するというわけですから、簡単にはまとめられませんね。
春岡 意外な真相というわけですか。
江波 島根を舞台にして、こんな面白い小説があるということ、また、根付についても、なるほどと思わせられるので、夏の暑さをしのぐためにはいいかもしれません。
春岡 見事に最初のお話と結びつきましたね。ではまた来週。