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第25回 八雲半島   
                塚本 邦雄 
                    引用は 『半島』 白水社 版 より
 
 平成16年6月28日付けから7月4日付けまでの島根日日新聞に掲載

江波 島根日日新聞文学教室を開いている会場の近くに八雲神社というのがありますが、ご存知ですか。
春岡 高瀬川沿いの八雲公園の隣りです。
江波 祭神は、須佐之男命、八島士奴美命と天照大神ということになっていて、神社名の由来は、「八雲立つ出雲八重垣つまごみに八重垣つくるその八重垣を」という歌からきているようです。
春岡 ところで、それが小説とどういう関わりですか? まさか、その神社が舞台とかでは?
江波 残念ながら、そうじゃないのです。実は、塚本邦雄という作家に「八雲半島」というのがありまして……。
春岡 八雲半島というのは、初めて聞いたように思うのですが、一体どこなのでしょうか。郷土を舞台にした小説を読んでいるわけですから、島根県のどこかの半島ですが、そんな名の半島があるんですか?
江波 そう言われるだろうと思っていましたが、確かに八雲半島というのはありません。ですが、出雲小説図書館ですから、いずれにしても、この辺り……。
春岡 となると、半島と言えば、島根半島しかありません。
江波 そうなんです。作者は、八雲半島と言い換えたのですね。
春岡 というと、舞台は? 
江波 八雲半島というのは無いのですが、この小説にも書かれているように、鹿島町の辺りを言ってると思います。
 この「八雲半島」という小説は、『半島』というタイトルの短編集の中に収録されているのです。
 まず、「能登半島」、「幻想半島図」、それから「半島列伝」があって、また、その中に「火の国半島」と「八雲半島」があるのです。能登半島だけは実在のそれなのですが、他は実際には存在しませんね。
春岡 幻想という文字が出てくるところから考えると、この塚本邦雄という人は、幻想小説のようなものを書いている人なのでしょうか。
江波 いえ、そうではないんです。塚本邦雄は、大正十一年生まれで、近畿大学の文芸学部教授でもあった人で、さらに、歌人でもあるのです。特に、前衛的な短歌が多く、たとえば、(絶唱にちかき一首を書きとめつ机上突然枯野のにほひ)、とか、(こころざし断つ明日かは知らずおほぞらに雷といふすがしき凶器)、というような歌もあります。つまり、比喩とイメージを重視してるのですね。もっと言えば、現実にはあり得ないようなこと、幻想とでも言っていいかと思いますが、そういう感じの歌を作るんです。
春岡 この本は、いつ、どこから発行されたものでしょうか。
江波 白水社という出版社から、昭和五十六年に出ています。
春岡 そうすると、古書でしか手に入りませんね。
江波 多分そうです。この本は、少し変わった形のもので、百九十ページですから、そう厚くはないですが新書版より少し大きく、それが箱に入っています。
春岡 洒落た感じですね。
江波 表紙は薄いねずみ色で、カバーは包み込むように作られています。かなり凝っていると言えますね。
春岡 そうなんですか。で、小説の内容はどういうのでしょうか。
江波 出雲国風土記にある中から幾つかの地名、それも非常に美しいと思える地名が選ばれて最初に書いてあります。
 たとえば、松江では、秋の鹿と書く秋鹿とか、母の衣と書いて母衣、出雲市では、宇那手、知井宮、平田では、十六島、美談、鹿の園の寺と書いて鹿園寺、簸川郡では大社、鷺浦とかですね、そういう地名が書かれています。
――島根縣の舊出雲地區の北部、宍道湖と中海によつて仕切られた日本海側の、たとへるなら巨大な甕の蓋のやうな部分に、地圖では「島根半島」の名が記されてゐる。西端は日御碕東端は美保關の地藏埼。この甕の蓋に届く嘴さながらに、伯耆の米子から細く狭い陸地が伸び上つてゐるが、海岸を夜見ケ濱と呼ぶだけで、他に名はない。例の二つの大島半島より大きく、これこそ小半島、岬と呼ぶに最もふさはしい地形なのに、不公平なことだ。――
 作者はその地名について、「面妖なまでの古韻を響かせるものも尠くない」と書いています。面妖というのは、不思議なというか、奇妙な、奇怪な意味なのですが、作者は、そういう感じの地名が多いと言っているのです。
春岡 そう言われると確かにそんな感じがします。例えば、能義郡の大字名に、「未明」、「日次」などがあって、それぞれ(ほのか)と、(ひなみ)と読むわけですが。
江波 こういう書き出しの小説は、非常に珍しいと思います。もともと、この『半島』という小説の書き出しが、Peninsulaの小見出しで、半島の説明があるのも特異です。
春岡 まさに出雲は、古代が残っていると。江波 そうですね。実は、全て旧字体と旧仮名遣いが使われているのです。さすがに、言葉の魔術師と言われる作者なのですが、いろいろ事情があって、新聞ではこれ以降は新字体にしますが、旧仮名は残します。
――これらの地名の中、私は惠曇の名が殊更忘じがたい。ここは名だたる漁港であった。戰後まだ五、六年の、未だに配給制度の名殘を止めた松江の町に、ここから朝な朝な魚賣の老婆が訪れた。この地に移り住んで第一日目に、私と妻と二歳の息子は、その老婆に純粋無垢の出雲辯を聞かされた。――
春岡 旧字体と旧仮名遣いが使われているのは珍しいと思いますが、しかもそれが出雲を舞台にしているというのも……。
――「鯖はやね、すぐ三枚におろすて酢を振ってごしない」大体の意味は掴めたつもりだった。だが翌日、「酢を」は「塩」の聞き損ひであることが判明した。塩燒でも鮨でも、味には決定的な優劣もなく無事だった。「す=し」「い=え」の区別の曖昧な点は東北地方に酷似してゐるやうに思はれた。――
江波 主人公の「私」が初めて出雲の言葉に触れたときの情景ですね。
 物語は、大原郡大東町の海潮で、主人公が友人と会う場面から始まります。
――昭和二十七年か八年、ある雪の夜に、この生温い温泉で、全く偶然に、私は会うことなど夢にも考へなかった。名のみ知る歌の仲間と、ばつたり顔を合はせ、彼の人生の側面を見てしまった。その男の名は祝部常春、戦中戦後の一時期、「星夜」と呼ぶ歌誌の幹部同人であった。彼がこれに加はつたのは、昭和十六年で十七、八の頃と聞く。――
春岡 この常春という登場人物が中心で展開するということになりますか?
江波 そうですね。祝部常春を始めとして、登場人物全て、ストーリーそのものも虚構、いわば作り事です。フィクションとも言いますが、虚構の小説はノンフィクションという事実に基づいた伝記とか記録文学、記録映画とは違います。ですから、小説に載せられている常春が作った歌というのがありますが、作者の作ということになりますね。と言うのは、塚本邦雄という人は歌人でもあるからなのです。
「屋上に旗ははためく日もすがらそこからもまだ春は見えぬか」、「しんと照る坂きさらぎのさびしきにせめて真赤な花ころがさむ」とか、「恋歌の歌がるたなど身に遠くわれには黒き雪ふる睦月」というような常春の歌が「星夜」という雑誌に掲載されたと書かれています。
 この常春は、松江の寺町にある人参方に住んでいて薬屋をやっている。そして、薬剤士だという設定になっています。
春岡 松江の人参方というのは、江戸時代に薬用人参を製造していた場所と聞いていますが、確か、その当時の大きな門がありますね。両側の家に繋がっているというのか、もともと門の横に建物があったというような感じなのですが。
江波 江戸時代の松江藩の人参生産や販売を扱っていた役所があった所です。取り壊す……というような話も一時期あったように聞いていますが、残して欲しい文化財だと思います。
 ということで、語り手の私は、海潮の旅館で常春を知り、誘われて、常春の母の妹のいる八束郡恵曇に行くことになります。
春岡 恵曇が小説に登場するというのも珍しいですね。
――強引に誘はれでもしないと、絶封に神輿を上げない私のために、周囲からも声援あり、私はその午後タオルのポロシャツ姿で北松江へ赴いた。ここからバスが出る。私は一畑電鉄の待合室に入つて、駅名を眺めてゐた。浜佐田、古曽志、長江、秋鹿町、この先には、「梁塵秘抄」に出て来る天台の古刹鰐淵寺もあるはず、推古二年創建、花皿を過って淵に落したところ、鰐がこれを捧げて浮び上つたとか。一体どこで「捧げ」たのだらう。この電鉄名のよつて来る一畑寺もをさをさ劣りはせぬ。これは臨済宗妙心寺派で、宇多帝の寛平六年創建、漁夫が海に浮ぶ薬師如来像を拾つて安置したとか。いづれにしても、どうしてこんな神の国の、しかも狭い湖北の擬半島に名刹が二つも揃ったのだらう。――
江波 更に東に行けば、安来の清水寺も古刹ですが、こう書かれると確かに出雲には名刹が多いと思います。
春岡 私と常春は、北松江、今は、しんじ湖温泉駅ですが、そこから一緒に恵曇に行くのですね。
――バスが来た。埃まみれの車体に午後の陽が射す。「恵曇」に行くにしては空は晴れすぎてゐた。行商を終へた漁村の老婆や内儀のざわざわと乗り込むのを待つ間、向ひの家の塀の中に咲く、石榴の花の朱を眺めてゐた。ここは奈落への出発点なのか、補陀落への渡船場なのか。祝部のみならず私まで、目の前がしづかに昏み始める。その彼に助けられながら柩形のバスに昇って行く。車の一番奥に陣取った十数人の、一様に渋紙色に日灼けした女らは、これも申し合せたやうに目深に被った手拭の影から、ちらちらと私達の方を盗み見て、互に頷き交してゐた。――
江波 この小説は、どこを読んでも流れるような文章に出会えます。
春岡 言葉の魔術師と呼ばれるのが、分かるような気がします。
江波 小説はストーリーも大事ですが、最後は文章力だと思うのです。何気ない情景でも、書かれた文章によって生き生きするか、死んでしまうのかということがあるのではないでしょうか。
――日本海。それも出雲の沖は今、鯖と飛魚と鰯と烏賊の季節だつた。戦争中は勿論、戦後も永らく出漁が思ふに任せなかつたせゐで、魚族はほしいままに殖え続け、海の幸は紺青の波の底に犇めいてゐた。終点に到着、バスを降りた刹那に、私は激しい魚臭に息はず鼻を覆った。魚鱗を手拭にまでつけ、衿を魚の血と脂で汚した女らのあの臭気で、麻痺し始めてゐたはずの嗅覚を、荒荒しく醒ますほどの怖るべき臭気に私は立疎んだ。その表情を彼は目の端に素速く捉へて、唇を少し歪めた。――
春岡 この小説には、会話部分、つまりかぎ括弧でくくられた部分がありませんが。
江波 やはり目の付け所が違いますね。確かにありません。会話は地の文の中に入っているのです。
――貴方は山国の生まれですか? さうさう大和か近江だつたな。この磯の臭ひに辟易するのは、十中八九海に遠い所で生れ育った人ですね。――
春岡 この文は、前回の引用の後に続いているのですね。そういう形は読みにくいと言う人もありますが、これはそうではないと思います。
江波 文字がページいっぱいになっている感じですが、それがわずらわしくないのです。文章が巧いからですね。つまり、読ませるのです。
 二人は恵曇に着いたのですが、常春の母である七瀬の妹、つまり叔母の八春の家があって、八春は母より先に亡くなっています。その亭主、小説にはそう表現していますが、夫の御津丈夫と息子の勝輔と娘の穂波が居ます。
――人の気配を感じると、面を上げて私達を見た。祝部常春に生写しの、大きな目の、鮮麗な女人がゆらりと立上った。さう、少女でも娘でも新造でもない。二十二か三から三十一、二までの、どの年齢を告げられても疑はぬ、不思議な雰囲気の「女人」と言ふ他はなかつた。これが例の、と祝部が紹介しかけると、ほほゑみつつ、御津穂波でございます。こんな磯臭いところへようこそ、離室にお茶の用意をしておきました。御ゆるり遊ばして、黄昏の海を見にいらつしやるとようございますわ。――
春岡 地の文と会話に、全く違和感がありませんね。
江波 しかも、殆ど一ページに改行がない文章なのです。それでも読み易い……。
――新鮮なのが取柄の、二人の漁夫が手づから料つた海の幸の食膳を前に、永い晩餐が始まる。男らは言はずもがな、穂波までが盃を重ねて、いささかも顔に出さない。一様に飲めば飲むほど頭の冱えて来る性質らしい。それでも、さすが初老の丈夫は目をとろりと潤ませて、七瀬さんの十三回忌が近づくなあと、常春の方を見遣って呟く。父つたら、うちの母の年忌はうろ覚えのくせに、七瀬伯母様のは毎年指を折ってゐるんですよ。穂波はそれをわざわざ私に素破抜く。――
春岡 難しい文字がありますね。「料つて」とか、「冱えて」など。
江波 そうですね。もっとも原文はルビがありますから、読めるのですが。
 小説は、この後、家族や親族の中で起こっている男女関係が、丈夫の告白を私が聞くという形で語られているのです。しかも、祝部常春も穂波とただならぬ関係だったのです。
春岡 最初に出雲国風土記が小説に引用してあるのは……。
――未熟な私の人生経験など、「人生」の偏つたほんの側面の一部分の眺めに過ぎぬことを嫌といふほど知らされた。――
江波 出雲と言えば、歴史、神話ということになりますが、そのことと、どろどろした物語は合わないように思えます。ですが、作者はあえてその対比するような形ものものを書きたかったのではないでしょうか。
――夜明の恵曇を見ておきませんかと祝部常春が枕許で囁く。歯磨の薄荷の香がする。枕許の時計は四時半、するとまだ三時間余りしか眠つてゐない。ままよ帰りのバスで眠ればよい。目を擦つてあたりを見廻すとこの家の父子の姿も見えぬ。顔を洗ひに背戸へ行くと井戸端は綺麗に掃かれ、仄明りの中に冱えた白手拭と歯刷子が用意してある。――
春岡 つまり、出雲という古い歴史のある風土を描きながら、その上に想像もできないような物語を展開させるためということなのでしょうか。
――御津父子は緑色の褌をきりりと緊めて巌上に立ってゐる。手に提げた魚籠には、既に鮑がぎつしり入つてをり、どうやら既に一時間も前から潜つてゐた様子だ。――
江波 昨夜の宴と物語が嘘であったかのような、夏の夜明けの情景です。
――千一夜物語のその中の一夜めいた、昨夜の四人の告白と告発は、すべて夢物語、巧みに巧んだ虚構と創作、さう言はぬばかりに、彼らは一抹の濁りも暗さも止めぬ爽快無比な顔で、朝食の膳に向ふ。話題は天候と漁獲と国際情勢から決して逸れようとはせぬ。私はその転換の見事さに思はずわつと叫びたくなつた。首筋に汗が滲む。この手拭、お持ち下さいな、私が染めましたの。松江へはよく参りますから、一度お尋ねしますわ。奥様にお目にかかりたいし、手拭には一面に藍の千鳥が散らしてあり、一隅に「穂波」と染め抜いてあつた。――
春岡 その後、「私」と、常春や穂波などとはどうなるのでしょうか。
江波 五年ばかり賀状の交換があったが、その後途絶え、二十五年の歳月が流れた、と書かれています。
――私の瞼の底には、いつの日も八雲立つ、まことに目も彩な八色の雲を撒き散らした夏の払暁の出雲の北端の海、その岩鼻、岩鼻に、はだしで立つ男の影がある。――
春岡 小説の最後も絵のようですね。
江波 作者は跋文で次のようにも述べています。
――各半島に添へた長い挿話も、九割九分は幻想の産物である。……略……残る一部の真実は、なまぬるい百パーセントの実録を凌ぐだろう。――
春岡 美しい地名を散りばめたこの小説は、非常に特異な存在ですね。では来週。