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第21回 蛍の宿
内海隆一郎
引用は 『湖畔亭』 集英社版 より
平成16年6月2日付けから6日付けまで掲載
春岡 内海隆一郎の『湖畔亭』には短編が幾つかあり、その一つが表題作の「湖畔亭」ということでしたが。 江波 そうでしたね。その他に「蛍の宿」とか「海鳴り温泉」もあるという短編集でした。 春岡 二番目に載せられている「蛍の宿」の舞台は、大原郡木次町の湯村温泉ですが、あまり知られていないところですね。 江波 でも、古くからの温泉なのです。出雲国風土記では仁多郡のところに書かれているのです。 ――飯石郡の堺なる漆仁川の邊に通ふは二十八里なり。?ち川邊に藥湯あり。一たび浴すれば則ち身軆穆平ぎ、再び濯げば則ち萬の病消除る。男も女も、老いたるも少きも、晝夜息まず、駱驛往來ひて験を得ずといふことなし。故、俗人、號けて藥湯と云ふ。即ち正倉あり。(加藤義成校注の出雲國風土記より)―― 春岡 漆仁川というのは? 江波 漆仁は、(しつに)と読んで、湯村温泉のある辺りは、漆仁の里と呼ばれているようです。漆仁川、つまり、湯村川、斐伊川の中流ですね。現代風に読むと、『飯石郡の境の漆仁川のほとりに行く道、二十八里。この川の畔に薬湯がある。一度浴びれば、たちまち体が安らかになり、もう一度浴びると、すぐにどんな病気でも消え去ってしまう。男、女、老人も子どもも、昼も夜も休まず、行列して通って来る。効き目がないということがない。だから、土地の人達が名付けて薬湯と言っている。ここに正倉がある。』ということになります。 正倉というのは、律令時代に、税を収納した倉ですね。いろいろな国や郡、あるいは郷とか大寺院にあったようです。 春岡 温泉は、病に効くということですから薬湯というわけですね。 江波 アルカリ性の単純泉である、ということが、温泉の効能書きにあります。 春岡 湯村温泉には、湯乃上館と、国民宿舎の清嵐荘があるだけですね? 江波 そうです。斐伊川の渓谷に湧く静かな温泉という感じです。風土記にあるように、かつては賑やかだったでしょうね。 湯乃上館の前、斐伊川沿いに、公衆浴場があります。一人三百二十円で、家族風呂は、プラス千五十円です。最近、新しくなったようですが、以前は、もっと風情というか、いかにも湯治場という感じでした。 小説では、湯小屋と書いています。こんな山奥を訪ねる人など無いだろうと思われますが、いつ行っても駐車場には車が何台か停まっています。お湯は無色透明で無味無臭というわけです。 春岡 清嵐荘は、吉田村だと思うのですが。江波 湯乃上館から見ると対岸ということになりますから、確かに吉田村です。 春岡 そういうところが、小説の舞台というのもうなずけます。 江波 湯乃上館は、宿だと思ってみないと普通の民家のような感じですけれども、木造二階建ての田舎屋敷風の旅館です。 大きい自然石の石段を上がって行くと民芸風の玄関が見えます。 春岡 行かれたことがあるのですか? 江波 ええ、もう何年も前です。聞いたところによると、明治六年からあったようですが、石垣や建物などもそのままということでした。板敷きの廊下なども、塗ったりはしてないのですよ。 春岡 内海さんは、湯乃上館で泊まって小説を書いた? 江波 そうかもしれません。非常に心温まるというか、アットホームな感じの小説ですから、読んでいて安心出来るという……。 ――川の音が絶え間なく聞こえている。 湯小屋は渓流のすぐそばにあって、岩を噛んで白く泡立っている急流が窓から見える。 対岸までは二十メートルもあるだろうか。狭い谷の向こうの崖は、一面に桜の青葉が繁っている。 温泉旅館〔元湯館〕の建物から道をへだてた向かい側に、湯小屋はひっそり佇んでいる。 泊まり客は、旅館の玄関から下駄を履いて湯を浴びに行く。瓦葺きの古い木造で、銭湯のように入口が二つに分かれている。 男湯女湯それぞれの脱衣所に挟まれるようにして、十畳ほどの広間がある。湯上がりの客がのんびり渓流を眺めながら、湯疲れをいやすようにと設えてある。 薄べりが敷いてあるだけだが、六月中旬の陽光がいっぱいに射し込んでいて、気持ちのいい広間だ。―― 春岡 小説の冒頭ですか。湯小屋というのが、いかにも鄙びた温泉という感じです。 ――その隅で、二つの白髪頭が将棋盤に向かっている。痩せたのと小太りなのと、たがいに胡坐をかいて腕組みしている。 ほかには誰も客がいないので、ときおり川音にまじって、二人のどちらかが発するしわぶきが聞こえるだけである。 小笠さんが将棋盤から渓流へ目を移して気持ちよさそうに大きな欠伸をした。 「お客さん、眠くなったんですかね?」 盤の上に白髪頭を突き出した番頭の六さんが、盤面をにらみながらつぶやいた。 「これは失礼、つい出ちまった」 こちらも白髪頭を短く刈りあげた小笠さんが、素直に詫びる。細面の老いた顔に、高い鼻と濃い眉、笑いを含んだ目をしている。 「いいですよ、どうせ、わしゃ欠伸の出るようなヘボだろうからね」 六さんが、肉付きのいい丸い頬をさらにふくらませて、ぼやいてみせた。―― 江波 小笠さんが、番頭さんと将棋を指しているのです。 春岡 小説では、湯乃上館が元湯館という名になっているのですね。名付けるのに、いろいろ考えられたでしょうか。 江波 元湯には間違いないですね。道路沿いの看板にも、そんな文字があるのです。 春岡 作家は、場所や登場人物の命名をいろいろ考えるのでしょうが、本当の名前でもいいように思うのですが。 江波 どうなんでしょうね。でも、そこしかないから、すぐにそうだと分かります。 春岡 それにしても作家は、こういう場所をどうして見つけるのでしょうか。興味があります。 江波 取材をするために、そこに行って泊まる。興が乗れば、そこで書く。羨ましいですね。ともかく、小笠さんは、番頭と話をしながら、自分も本当は同業なんだ、と言うわけです。いろいろな温泉で、そういう仕事をしたという設定ですね。 ――湯山温泉は、宍道湖の西岸から斐伊川に沿って山深く入ったところにある。 明治の末までは松江から広島方面へ抜ける旧街道に近く、旅人たちがかならず立ち寄った温泉地だった。当時は旅館が渓流沿いに列をなしていたが、ここを遠く迂回して鉄道が敷設されてからは、時代から取り残されたかたちになってしまった。―― 春岡 だからよかったと言えると思います。古いものが残るということですから。江波 温泉というと猥雑な、という印象が多少はありますけれども、湯村はないですよね。 ――鉄道に遠かったおかげで、静けさが残されたのは、むしろ僥倖というべきだろう。大正時代の末から口伝てに、知る人ぞ知るといった秘湯となって、ひなびた風情を愛する文人たちが訪れた。 いまは、ただ一軒、元湯館が残っているだけだ。全部で八室の小ぢんまりした宿で、建物は古いが木の温かみを感じさせる。 文人たちに愛された名残は各客室にある。扁額や掛け軸に揮豪された見事な書や山水画である。すべて、昭和初期までの高名な文人の筆になるものばかりなのだ。 春岡 山の中の旅館にしては凄い……。 ――客室の名も、それぞれの書にちなんで、筆者の名から一字とっている。例えば、 泉鏡花の掛け軸がある鏡の間。 尾崎紅葉の掛け軸のある紅の間。 徳田秋声の扁額がある秋の間。 会津八一の色紙がある末広の間。 元湯旅館では、それらをごく当たり前のように各客室に飾っているのだ。秘蔵したりガラスケースに収めたりはしないで、泊まり客が身近に楽しめるようにしている。 それだからといって、気取りのある宿ではないから、宿泊料金は特別高いわけでもない。 いまでは、それらを聞き伝えて、見学がてら泊まりに来る客が多い。―― 江波 書かれているように、秘蔵したり、ケースに入れて鍵を掛けたりというようなことをしていないことが、事件につながるわけです。 春岡 宿泊料金が高くないと書かれていますが、実際はどれくらいなのでしょう。 江波 一泊二食で、約一万二千円弱ですから、どうなんでしょうか。高いか安いかということは、その人の基準があるわけで。 春岡 なるほど。 江波 面白いことに、一日に二組だけを泊めるそうです。丁寧にしようというこだわりでしょうか。 小説ですが、元湯館に日本画を描く先生が宿泊して、仕事をしています。絵を描くためには、気が散るから隣の部屋に人がいるといけないと言って、二部屋を借りています。ところが、同じ宿泊人である小笠さんは、それぞれの部屋にある絵などが見たいのですが、そういうわけで見ることができません。それに、日本画家が仕事をしている部屋に入ることも、覗くこともいけない、と禁止されています。ともかく、その画家は人と話すことも嫌っているのです。 電話も部屋のは使わず、外から掛かってくると、自分で帳場に降りて電話をするというわけです。 ――「これは素晴らしい書ですな。このお部屋に泉鏡花先生がお泊まりになったとはねえ」 鏡の間に通されたとき、小笠さんは感嘆の声を上げたものである。 「杯の月を酌もうよ、座頭どの」 掛け軸の言葉を詠み上げて、 「これは博多節の文句だな。……とすると、歌行燈の一節か」 少し右肩の上がった字だが、流麗な草書体が美しかった。鏡花と記した署名も女手のように優しかった。 案内した女将は、軸の文句を解説するお株を奪われたかたちとなった。 「よくご存じですのね、お客さん」 「ああ、若いときに少し囓ったもんでね」 小笠さんは恥ずかしそうに笑った。 ほかの部屋も見せてもらおうとすると、 「あいにく隣の秋の間と、その向こうの紅の間はふさがっておりまして」 女将が申しわけなさそうに言った。 「日本画の先生がお泊まりになって、お仕事をなさっておいでなんですよ」―― 春岡 いわくが、ありそうですね。 江波 ある日、女将が湯小屋にいる小笠さんに頼みがあってと、やって来ます。この頃になると、小笠さんは青年団の神楽で笛を吹いたりして、宿と村にとけ込んでいます。ある時、都合で番頭の六さんが休暇を取り、代わって、その仕事をしていました。 ――その日の午後、女将が湯小屋にやってきて、脱衣場の掃除をしていた小笠さんにおずおずと話しかけた。―― 春岡 事件? ――「じつは、お部屋を替わっていただきたいんですの。画家の先生が鏡の間でお仕事をしたいんだそうです」 「おや、そうですか」 「気分を変えてみたいとおっしゃって」 「ははあ、制作に行き詰まったんだな」 「お願いできませんか?」 「いいですとも、芸術家とはそんなものですよ。気分で仕事のノリがちがってくる」 小笠さんが物分かりよく言ったので、女将はほっとしたようだった。 「わがまま言って、申しわけありません」「お気がねなく。偉いさんは、わがままなもんです。……で、わたしはどの部屋へ?」「先生は秋の間と鏡の間をお使いになりますから、さしあたって末広の間へでもと」 「会津八一先生の間ですな。けっこうです。なんなら六さんの部屋でもいいんですが」 厭味ではなく言った。湯番仕事には、そのほうが便利である。しかし、さすがに女将もうなずかなかった。―― 江波 各部屋には有名な作家の掛け軸などがあり、小笠さんもまだ見たことのない書画を鑑賞できると思ったわけですね。 画家に、新聞社から電話が掛かったりして、それこそ何かありそうです。 小笠さんは、画家に言いました。 ――「あの紅葉先生の書は本物でしょうかね?」 「なんだって?」 画家が思いがけず強い視線を向けてきたので、小笠さんはびっくりした。 「いえ、昨日、楽しみにして拝見したんですが、どうも眉唾のような気がしましてね」「どこがおかしいのかね?」 素人になにが分かるかと言いたげな蔑みをおびた目で見つめた。 小笠さんは声を抑えて告げた。 「わたしは若いころ、骨董屋に弟子入りしてたことがありまして、師匠にこっぴどく叩き込まれましてね。……本物の書と三日三晩も睨めっこさせられたもんです」 話すうちに自嘲にみちた表情になった。聞いている画家の目からは急に光が消えた。 「おかげで本物と贋物の差が自然と分かるようになりましてね。あの紅葉先生の書は、どうしても納得がいかないんです。なんというか、のびのびしたところがないし、勢いもない。……この宿のご夫婦には内緒ですがね」―― 春岡 複製画もありますから、偽物というか、もともとそれを承知でということもあるかもしれないです。 江波 言われるように、そうなんですね。 さて、翌日です。 ――翌朝、ただならぬ緊張した空気が元湯館の帳場にただよっていた。―― 春岡 何なのでしょう? 江波 作家というのは、アイディアが勝負だということをつくづく思わせられます。あっと驚く結末ということですね。 ――宿泊客の朝食は名物の一夜干しを主に、お代わりつきのシジミ汁、焼き岩海苔、温泉卵と、いつもと変わりない献立で好評を得た。―― 朝食の献立まで書いていますね。ところで、画家が旅館を引き払い、出発のためにタクシーを待っている間に小笠さんは、徳田秋声の書を見るために部屋に入ります。 ――「これも、やっぱりいけないなあ」 小笠さんは、がっかりした声を洩らした。「それにしては、鏡花先生や八一の書は素晴らしいんだがなあ。……あの二つだけ本物といぅわけか」 頭をふりながら廊下に出て、その足で鏡の間へ入った。かすかな墨の香がした。 「……杯(さかずき)の月を酌もうよ、座頭どの」 掛け軸の前に突っ立って詠みあげながら、次第に真剣な顔になっていった。眉を寄せて目をしばたたいたかと思うと、 「ああっ、これは、なんということを」 いきなり大声で叫んで、あわただしく部屋を飛び出した。階段を転がるように下りていくと、玄関に駆けつけた。 「先生、……画家の先生、待ってください」 画家は、玄関前に到着したタクシーに乗り込もうとしていた。 「ちょっと待って、お願いがあります」 小笠さんは画家の荷物にとりすがった。 荷物はタクシーの乗り口をようやく潜れるような大きく平たい鞄だった。絵を運ぶための特別なものである。―― 春岡 成り行きが分かりました。つまり、画家は有名な書や絵のある旅館に泊まって、そこですり替える作業をしていたというわけですね。なるほどなあ、と思います。元湯館には、有名な文人の書や画がある。つまり、湯村温泉の実際の旅館、湯乃上館にもあるのでしょうが、そこへ作家の内海隆一郎さんは泊まり、書や絵を見たわけです。そこで、こういうストーリーを思い付いたということなのでしょう。さすがですね、作家は。 江波 そうですね。そういう目で、いろいろなものを見たり、旅行に行った時にも材料を求めているということなのでしょう。 この「蛍の宿」もメインになっているのは、偽物作りの画家の話ですが、脇役として、小笠さんと地元に伝わる神楽などの話も書かれていて、なかなかに面白いと思います。 春岡 そうですね、ゆっくり読んでみます。 江波 湯村温泉の宣伝のようになりましたが、そこを舞台にして書かれた小説があるということは、地元に住む者としては、ある意味で財産だと思うのは大袈裟でしょうか、どうでしょう。では、また来週。 |