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第17回 日本瞥見記   
                小泉八雲
                    引用は 恒文社版より
 
 平成16年5月4日掲載

春岡 今年は、ラフカディオ・ハーンの没後百年ということで、いろいろな行事が計画されているようですが。
江波 そうですね。百年というのは何につけても節目なのですが、ラフカディオ・ハーン、小泉八雲は松江だけでなくて、日本というよりも世界的に評価が高いですね。
春岡 ハーンは帰化して日本名を名乗るわけですが、当時の、つまり明治時代としては考えられないほど、日本文化を吸収していると思います。
江波 ところで、何のことかと思われるでしょうが、島根県に県外から観光客、それも島根県で宿泊した人の数がどれくらいいるのか知ってますか?
春岡 いえ、あまり関係がないので……。
江波 平成十四年度は、二百九十三万七千人です。泊まる人は、それだけ長く居ますから、観光収入は多くなりますよね。ですが、前の年に比較すると、五%減っているのです。たとえば三百万人の五%というと約十五万ですね。五%というとさほどでもないように思えますが、人数にすると大変なものです。日帰りの人なども、だいたいそれぐらい減ってるらしいのです。理由はいろいろあるでしょうが、よく言われるのは、長引く不況や、サッカーW杯があったことなどで全国的に旅行控えがあったということのようですね。
春岡 それが小説とどう関係しているのですか?
江波 そう言われるだろうと思っていました。実は、観光客は少ないけれども、島根県を訪れて、島根県の各地を舞台にして小説や随筆を書いた作家は多いということが言いたかっただけのことです。ということは、いかに島根の風物、情景が優れているかということになりはしませんか。小説の数だけでも三百以上もあるのですから。たとえば、芥川龍之介、志賀直哉、松本清張、五木寛之なども島根に来て書いているのです。つまり、島根の何がこうして作家を惹きつけるのかということなんです。観光ばかりではない島根の魅力があるのではないかと思うのです。
春岡 なるほど、そうですね。
江波 この百年くらいの間で、最初に来た作家ということになると、私はラフカディオ・ハーン、つまり、小泉八雲ではないかと思います。
春岡 ラフカディオ・ハーンが、松江に来たのは、確か明治二十三年ではなかったでしょうか。
江波 そうですね。明治二十三年、今から百年以上も前のことですが。
春岡 確か、八月の末に松江に来たと記憶していますが。
江波 八月の三十日と言われています。最初、松江大橋の北詰めにある旅館、もう今はないのですが、富田旅館に宿をとります。実は、面白い資料があるんです。

平成16年5月5日掲載

春岡 資料というのは何なのです?
江波 印刷物ではないのですが、『富田旅館ニ於ケル小泉八雲先生』というもので、メモ的なものですね。
春岡 いつ出来た資料なのですか?
江波 昭和十一年一月となっています。記録された方は、当時の富田旅館のご主人と奥さんです。
春岡 凄いじゃないですか。
江波 実はコピーなのですが、原本というのか本物は、富田旅館の何代も後の方ですが、その方も持っておられないのです。かつて、富田旅館さんとは家が近く、というよりも東本町一丁目で、家が向かい合わせだったもので、富田さんをよく知ってますから、このことを聞いたのです。
春岡 本物は、どこにあるのでしょうか。
江波 分かりません。ミステリーというわけです。(笑)ともかく、ラフカディオ・ハーンが松江に来たときの様子をその時の富田旅館の方が昭和十一年になって、つまりハーンが松江に来てから五十年ばかり経って書かれたものということになります。書かれたというよりも、口述筆記のようです。話をされたのを他の方がそれを聞いて書き写されたということですが。
春岡 それにしても、当時のハーンの様子が分かるということですね。
――ラフガチオ・ヘルン即チ小泉八雲先生ガ不思議ナ御因縁デ、松江中學校ノ英語ノ先生トシテ來任サレルコトニナリマシテ松江デ所謂草鞋脱ギヲサレタノガ私方デ私方ハ旅舘營業デ冨田屋旅舘ト呼バレテ居リマシタ何等ノ前觸レモナシニ其年(明治二十三年)ノ八月二十五、六日頃其日ハトテモ暑イく時デシタガ時刻ハ午後ノ三、四時頃ト思ヒマスガ一人ノ異人サンガ通辯(眞鍋晃サントテ横濱の人?)ヲ連レテ入ツテ來ラレマシタ、ドウイフ譯デ私方ヲ指シテ來ラレタカト申セバ豫テ縣廳學務課ニテハ「ヘルン先生」ノ下宿ヲ京店(今ノ末次本町)ノ皆美ニ指定シテアツタノデ當日米子カラ小蒸汽船デ大橋下ニ着クト先生ハ車ニ乗テ皆美ヘ行カレタルモ何ガ先生ノ氣ニ入ラナカツタモノカ先刻通リ過ギタ所ニ一寸目ニツイタ旅館ガアツタカラ、アソコヘ案内セヨトノ事デアツタ様デス――
春岡 ラフガチオ・ヘルン即チ小泉八雲先生ガ、……ラフガチオとなってますね。
江波 そうですね。明治の方が外国人の名前をそう聞かれたのでしょう。
 面白いですよね。何もなけねば、京店の皆美という宿、今でもあるのですが、そこが最初の宿になったわけですから。
春岡 何かの拍子に、ふっと違った方向に物事が進むというのはよくありますね。
江波 当時、松江大橋が掛け替え工事中で、富田旅館の東、約百メートルばかりの所に仮橋が出来ていて、そのため船から降りて京店に行くには、冨田旅館の前を通らなければいけなかったわけです。

平成16年5月7日掲載

春岡 なぜ、ハーンは富田旅館がいいと思ったのでしょう。
江波 資料にも書かれていますが、富田旅館では、前年に玄関を新築されていたから、それで目についたらしいです。
春岡 当時、大橋川沿いの道路はなかったわけですか。
江波 昭和六年に、松江大橋の辺りから東にかけて大火がありました。その後、区画整理が行われたのですが、その時に川沿いに道路が出来たのです。
春岡 そうなんですか。それで旅館での食事はどうだったのでしょう。
――朝ハ牛乳ト卵、晝ト夕トハ巻鮨ニ副食物ノ賄デ一切ヲコメテ一日ガ三拾銭デアツタト思ヒマス先生ノ月給ガ百圓、中學師範兼務ノ斎藤校長先生ガ五十五圓トカデアツタソウデス――
江波 かなりな高給だったのですね。
春岡 その頃の物価で言うとどうなんでしょうか。
江波 葉書一枚が一銭、酒一升が八銭、普通の旅館一泊が十五銭くらいですね。
春岡 ということは、かなり……。
江波 物の価格の比較は難しいのですが、まあ悪くはないですよ。こうしてハーンは、大橋北詰めの旅館で暫く過ごすのです。
春岡 ハーンの書いた「神々の国の首都」にも記述がありますね。
江波 そうです。『日本瞥見記』の第七章です。
――松江で、朝寝ていると響いてくる最初の物音は、ちょうど枕につけた耳の下に、どきんどきんと、大きく、ゆっくりと波打って聞こえる、あの心臓の脈搏に似た音だ。それは、大きく、しずかに、なにか物を打つような鈍い音であるが、一定の間隔をおいたその規則正しい間と、どこか奥深いところから洩れひびいてくるようなその感じと、聞こえるというよりは、むしろ、知覚するという程度に、枕にかよってくるその響きぐあいとが、心臓の鼓動にまことによく似ている。この音は、ほかでもない、米を搗く太い杵の音なのだ。――
春岡 近くにお米屋さんがあったということになりますか。
江波 私の家は富田旅館の前だったということを言いましたが、この当時は、もう数軒ほど東にあって、実は米屋をしていたのです。
春岡 えっ、そうなんですか。ということは、ハーンが聞いたのは……。
江波 そうなんです。私の家から響いた音なのですね。
春岡 百年の時空を超えて、こういうお話を聞くというのも不思議な感じがします。
江波 もちろん、今は米搗きはないでしょうが、でも、松江という町は今でもそんな音が聞こえてきそうな感じがします。
春岡 そうですね。

平成16年5月8日掲載

江波 ハーンは、更に米搗きの様子を詳しく書いています。
――杵というのは、大きな木の槌のようなもので、柄の長さが十五フィートもあり、その柄が軸木の上に横に平らにのせてあっ
て、柄の片方の端を、丸裸の米つき男が力いっぱいに踏むと、杵が上にあがり、足をはなすと、杵が自分の重みで臼の中へドスンと落ちる仕掛けになっている。つまり、ドスンと落ちる音が、一定のひょうしをもってひびいてくるのである。この音は、日本人の生活のなかにあるあらゆる物音のうちで、ことに哀れ深いもののように、わたくしには思われる。じっさい、この音は、日本の国の脈搏の音だ。――
 今はもう無い情景ですね。
春岡 書かれているような風景の絵を見たことがあります。
――この杵の音のつぎに、洞光寺という禅宗の寺にある大きな釣鐘の音が、町の空にひびきわたる。これが鳴ると、つづいてわたくしの家のじき近くの、材木町にある小さな地蔵堂から、朝の勤行を告げる寂しい太鼓の音がきこえだす。やがて、いちばんあとから、早出の振り売り八百屋の呼び声が「ダイコやい! カブや、カブ!」、それから、炭をおこす焚きつけの木を売りにくる女の哀れっぽい声が「モヤや、モヤ!」と呼んでくる。――
江波 昔は、その辺りを材木町と呼んだのです。材木屋さんがあったからでしょう。春岡 こういう古い地名が、最近は無味乾燥な名前になってしまいましたね。
江波 そうですねえ。残念なことだと思います。それと、書かれている地蔵堂は榎薬師という名になっていますが、今でもあるのです。
春岡 穏やかな静かな町だったのですね。
江波 今では、飲食店が並んでいて、そういう意味では繁華街なのですけれども。
――町の生活が目ざめる、こうした払暁の物音で床をはなれると、わたくしは、まず二階の窓の障子を明けはなって、川ぞいの庭に柔らかな緑の新芽をけぶらしている藪ごしに、朝のけしきを眺めやる。――
春岡 言われたように、川沿いに道路はなかったから、こういう描写になるのですね。――目のまえには、薄墨色の模糊たる翠巒にかこまれて、右手にE々とひろがっている宍道湖にそそぎ入る、大橋川のひろい鏡のような川口が、遠くの方に顫えるような物の影をうつしながら、冷たく光っている。川むこうの青い屋根のとがった家並は、箱を閉じたように、まだみんな戸が締まっている。夜はすでに明けはなれながらも、日はまだ昇らないからである。――
春岡 難しい字が使ってありますね。
江波 ルビもないのですが、たとえば翠巒は(すいらん)と読んで、緑の山々という意味ですけれども。

平成16年5月9日掲載

春岡 ハーンは、そういう松江の物音を聞いて目を覚まし、旅館の窓から大橋川と宍道湖を眺めたのですね。ハーンを身近に感じてしまいました。
江波 「神々の国の首都」には、ハーンが松江に来て、富田旅館に滞在したことから、家庭を持つ頃までが書かれています。その最初の家は、松江大橋北詰から少し西に行った所にあった織原さんの離れ座敷だったそうです。
春岡 そこからも宍道湖の景色が見渡せたでしょうね。
江波 末次本町にあったその家は、以前には県令、つまり今の県知事の住まいになっていたこともあって、後には、県立松江中学校の寄宿舎にも使われたようです。最後には、皆美館という旅館の一部になったそうです。
春岡 東に目をやると、松江大橋が見えたのでしょう。
江波 ハーン没後百年が今年ですから、私が関わっている「湖都松江」という雑誌に特集をしています。
春岡 もう出ているのですか?
江波 三月に出ました。第七号です。第八号は九月ですが、これもハーンの特集です。貴重な写真なども掲載されていますから、読まれるといいかもしれません。
春岡 あの雑誌は、安いですけれども内容は充実していますから……。
江波 ところで、ハーンに関係したミステリー小説もあるのです。
春岡 えっ、何という本ですか?
江波 斉藤栄という人の「小泉八雲殺人旅情」と、楠木誠一郎の「小泉八雲〈へるん先生〉探偵帖」、赤江瀑の「八雲が殺した」などです。
春岡 ハーンと殺人は、結びつきませんけれども。
江波 そうですねえ。「小泉八雲殺人旅情」は、小泉八雲の怪談をキーワードにして、松江から熊本、そして神戸と横浜で連続して起こる不思議な事件とその顛末が書かれています。登場人物に小泉留美という若い女性がいたりします。
春岡 小泉留美……?「小泉八雲〈へるん先生〉探偵帖」というのは?
江波 ハーンは、中学校で英語を教えているのですが、井上円了という人と松江城の幽霊話を聞きます。二人は西田千太郎と一緒に城に行き、ハーンだけが両目を抉られ、両耳を削がれた死体を見つける……。
春岡 井上円了も西田千太郎も実在の人ではないですか……。それがまたどうして。
江波 まあ、読んでみてください。「八雲が殺した」は、ハーンの怪談「茶わんのなか」が下敷きになっています。泉鏡花文学賞を受賞した作品ですね。
春岡 それにしても……。
江波 もちろんフィクションで、しかもミステリーですからね。ではまた来週。