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第14回 晴れた日には鏡をわすれて   
                五木寛之/引用は 角川書店版より
 
 平成16年4月12日掲載

春岡 郷土が舞台になっている本を探して来ました。
江波 何という本ですか?
春岡 五木寛之の「晴れた日には鏡を忘れて」というのです。
江波 隠岐の島が舞台になっている小説ですね。「江波さんの出雲小説図書館」と名前を付けていますから、出雲地方を舞台にした小説を紹介して来ましたが、隠岐ですか。出雲ではないのですが、いいじゃないでしょうか。で、その本は、どこで手にいれたのですか?
春岡 買ったのは古書店で、しかも、百円の棚にありました。平成四年に角川書店から単行本として発行されたものです。
江波 平成四年に出た単行本ということは、文庫本もあるのです。平成七年に同じ角川書店から出ていますが、「五木寛之自選文庫小説シリーズ」というのです。作家というのは、たいていは雑誌に書きます。それが単行本になり、数年後に文庫になるというのが一般的です。単行本から文庫になるのは、二年から三年経ってからではないでしょうか。でも、最近はそのサイクルがやや早いように思います。早く読みたければ別ですが、少ししてからでもいいという人は、文庫になるのを待つと安く手に入りますね。文庫本は六百円弱ですから。
春岡 最近は、最初から文庫として出すために書かれた小説もありますね。
江波 書き下ろしというわけでしょう。それはともかく、「晴れた日には鏡を忘れて」というのは、面白い、というか少し変わったタイトルです。五木寛之の小説に似たタイトルのものがあります。知ってますか?
春岡 「雨の日には車をみがいて」ですね。
江波 そうです。「晴れた日には鏡をわすれて」は、平成二年に『月刊カドカワ』に載せられた、つまり初出がその雑誌ということですが、その前の年に「雨の日には車をみがいて」が書かれています。この本は、いろいろな車が題材になって書かれたものですから、車好きな人には面白いかもしれません。
春岡 本の写真ですが、手前にあるのは何ですか?
江波 注射器とアンプルです。
春岡 アンプルというのは?
江波 注射液などの入れ物です。
春岡 それがなぜ?
江波 種明かしは……後でということにしましょう。この「晴れた日には鏡を忘れて」という小説は、最初と最後に隠岐が出ますが、最初から三分の一くらいまでと最後のところが隠岐の場面ですね。
春岡 そうですね。あらすじですが、島後の民宿で働くアカネは、北九州からやって来ました。アカネは非常に顔が醜くて、隠岐に行けば誰にも知られることはなく生きていけると考えてやってきたんですね。二十一歳で、高校を中退して、四年前に……。

平成16年4月13日掲載

江波 アカネは容貌が醜くく、人に顔を見られるのが嫌いで、隠れるようにして生きてきたのです。アカネが勤める民宿にやって来た客、クサカゲ・マコト(草影真人)と出会います。その真人は、小説に「少女マンガにでてくる美青年みたいな男」と描かれています。つまり、美男子という設定です。アカネと対比して、ということでしょう。アカネは真人に出会って、自分と深いかかわりを持つことになるらしいと予感するのですね。
―― ふしぎな客だった。
 はじめて見たときから、そう思った。
 わたしは他人を露骨にみつめたりする性格ではない。そういうことは好きではなかった。もちろん、見られるのも嫌いだ。人間同士、おたがいに顔なんか見ずに生活していけたらどんなにかいいだろうに。
 だが、なぜかその客だけは、思わず相手の顔をまともに見てしまったのだ。どうしてなんだろう。
「こんにちは」
 と、彼は玄関にふらりとあらわれて声をかけた。まるで風が吹いてきたみたいな感じだった。――
春岡 小説の冒頭ですね。うまい書き出しかと思います。何が起こるのだろう、という感じがします。
江波 隠岐には、民宿が多いですね。
――この宿では食事は部屋へ運ばない。客たちはきめられた時間に下の居間へおりてきて、囲炉裏をかこんで勝手に食事をする。
 ご飯をよそったり、味噌汁をついだりするのも客に勝手にやらせた。囲炉裏の前では沼沢老人が魚を焼いて、客たちの皿にくばる。――
春岡 雰囲気がよく分かります。
――この民宿は夏のシーズンでも十人も泊れば満員だった。経営者の沼沢老人と、わたしと、それに運転手兼ガイド役の山岸猛男の三人が宿側のメンバーのすべてなのだから、十人の客でもけっこう大変だ。
 だが、秋から冬にかけて、海が荒れる季節になると客は半減する。ときにはまったく客のいない日もあった。――
江波 冬になって時化になると、フェリーが出ませんからね。
――隠岐は古くから(流人の島)といわれてきたらしい。沼沢老人の話だと、クーデターに失敗した天皇や、冤罪にとわれた貴族、えらいお坊さんなどが何人となくこの島に流刑になったものだという。
 わたしは自分で自分を流刑にしたのだろうか。それとも死に場所をさがすつもりでやってきたこの島が、意外に自分に合った場所だと感じたのだろうか。
 ともかくわたしはいま、本土からフェリーで二時間半もかかるこの島で、(看海荘)という民宿のフロント兼コック兼メイドさんとして暮している。――

平成16年4月14日掲載

春岡 アカネは醜いのですが、真人はそう思わなかったのですね。
江波 それがこの小説のテーマに繋がるところですから。
――わたしは彼が最初にわたしの顔をみつめたときの彼の表情を思い返した。わたしの顔を見て、彼はまったくたじろがなかった。目をそらしもしなかったし、嘲笑や憐れみの表情もうかべなかった。彼はまっすぐに率直な視線をわたしにむけ、わたしをじっとみつめたのだ。そんな男ははじめてだった。そして、これからもそんな男には二度と出会うことはないだろう。
「隠岐諸島には、すごい断崖があるそうですね」
 と、クサカゲ・マコトの声がした。
「ええ」
 沼沢老人がしゃべりはじめた。
「断崖はいくつもあります。宮柊二の歌に(島山の太き腹部を一刀に断ち落したるごとき垂直)というのがありますが、この歌も隠岐の国賀海岸の断崖をよんだものです。草影先生は、断崖の写真でも撮りにみえたんですか?」
「いいえ。ただ、できたら一度、どこか特に凄味のある断崖の上に立ってみたいと思ってるんですが」
「だったらうちの山岸に案内させましょう。あの男なら……」――
江波 真人は世界的な技術を持つ整形外科医だったのです。民宿には山岸猛男という男がいるのですが、それがアカネに言い寄ります。真人が助けるのですが、それを根に持つ猛男が真人と国賀の摩天崖で、どちらが、崖の先端まで行くことが出来るかという勇気比べをしようと言うのです。
春岡 外科医……だから、注射器の写真だったのですか。なるほど。
――やがて不意に視界がひらけた。台地の突端に登りついたのだ。その台地の一角が摩天崖といわれる絶壁である。きり立った岩肌はオーバー・ハングになっていて、はるか下のほうに海面があった。わたしが高所恐怖症だったら、ほとんど身動きもできないにちがいない。断崖の多い隠岐諸島でも、とびきりの大絶壁がこの摩天崖だ。崖っぷちに木の柵がつくられてあった。無暴な観光客が、おもしろ半分に危険な場所へ近づかないための柵だろう。わたしたち三人は、その木の柵の手前に立って周囲の光景に見入った。灰色の島影が左手前方にかすんで見える。モノトーンの荒涼とした眺めだ。「すごい風景だ――」と、クサカゲ・マコトがつぶやいた。――
江波 その夜、アカネは真人から奇妙な提案を聞かされます。真人はある事情で自殺をするために隠岐に来たのですが、思いとどまる代わりに、アカネに自分の持つ総ての整形外科の技術で別人の美人に生まれ変わらせたい、という提案でした。

平成16年4月15日掲載

春岡 アカネは真人の奇妙な提案を受け入れます。そのためにはアカネは死んだことにならなければいけないわけです。そこでアカネは摩天崖から自殺したと見せかけて、隠岐を離れるのです。
――わたしの目の下に、暗い海が凶暴な口をあけて大きく揺れている。
 夜の摩天崖の周辺には、人影ひとつなかった。風は激しくわたしの体を前後左右にゆさぶって吹きすぎてゆく。
 わたしはマフラーをはずした。近くに転がっていた岩のかけらをそれに包んで、力いっぱい空中に投げた。風は重しのついたマフラーを軽々と吹きとばした。それは一瞬、尾を引いて黒い奈落の底へ落下して消えた。この岩頭から海中へ投身して、ストレートに水中に落ちた者はいない、と、いう話をわたしはふたたび思い出した。
 風にあおられ、途中の岩肌に何度もくり返し叩きつけられながら、まるでボロ雑巾のようになって海に墜落するのだという。
 わたしはブーツをぬいで柵の手前に並べて置いた。その横にセリーヌの〈なしくずしの死)を置き、風で飛ばされないように上に重い石をのせた。
 この本がわたしの遺書のかわりをつとめてくれるだろう。誰かがそれを発見して、覚悟の自殺と判断するに違いない。――
江波 こうして、アカネは人に見られることを避け、翌日、隠岐を離れます。
春岡 小説とはいえ、壮大な物語ですね。それで、アカネは東京の、創形外科研究所という看板がある真人の家に行きます。そこで真人の生い立ちなどを聞くわけです。
 アカネは真人から、いろいろな知識や歩く姿、つまりスタイルなどを教え込まれます。世界一の美女になるための基礎訓練だったのです。
江波 そうですね。そして、新しいパスポートを渡されます。名前は沢木涼子、年齢二十二歳、本籍北海道根室市という、新しい人格が生まれたのです。ここまで読んでもアカネがどうなるのだろうという、いわば非常にスリリングな、奇想天外というような展開で面白いです。
春岡 それでまずモスクワに行くのですね。そこで整形手術を受けます。そして、しかも、英語、フランス語、ラテン語を話すことができるように訓練されます。その間、手術のためにずっと目隠しをされています。で、遂にそれも取れ、アカネ、実は沢木涼子は、自分の顔を見るです。
――そこに、ひとりの若い女がいた。
 わたしが見ていたのは自分だった。髪形がどうとか、着ている服がどうとか、そんなことはまったく意識になかった。わたしはただ目の前の新しい自分の顔を、そして目を、唇を、心をひらいてまっすぐに眺めた。その若い娘は、わたしにむかってかすかにほほえんでいた。――

平成16年4月16日掲載

江波 人間には、誰でも変身願望というのがあると思います。化粧をするというのもそうでしょうね。
――「すばらしい」
 と、クサカゲ・マコトが言った。
「ぼくらが考えたのは、表情によって変化し、美しくなる女性の顔だった。いま、きみが見ているこの顔は、物理的には必ずしも標準的な美女じゃない。あちこちバランスのとれていないところも沢山ある。沈んでいたり腹を立てたりすると、きっと険しい顔になるかもしれない。でも、きみが優しい気持ちになったり、喜んだり、笑ったりすると、まるで花がひらいたような劇的な美しさがあらわれてくる。そこが素敵だ。ぼくらのチームは、とてもよくやったというべきだろう」――
春岡 人には、その人の美しさがあるということなんでしょうか……。
江波 だから整形などしなくてもいいということになりますかね。作者は、クサカゲ・マコトに次のように言わせています。
――人間は自分の意志で生まれてくるんじゃないだろう? だれが決めたともしれない勝手な選択で、ぼくたち人間はこの世に送り出されてくる。いつ生まれたいとか、どんな国に生まれたいとか、そんなことはすべてあちらさんまかせだ。なにもかも、勝手におぜんだてされて、いやおうなしに押しつけられるんだ。――
春岡 作者の哲学とでも……。
――生きる期間も、行くべき場所、死というゴールまですべてあらかじめ定められているんだよ。人間が自己の意志と努力によって変えられるものなんて、ほんの一パーセントもあればいいほうだろう。いったい、だれがそれを決めるんだ。どんなやつにそれを決める権利があるんだ。神か? 遺伝子か? いずれにせよ、ひどい話だとは思わないか? え? だから、ぼくはそんなことを決めただれかさんに反抗するつもりでいる。――
江波 マコトは、その考えを涼子に託したということではないでしょうか。
 涼子は、ストックホルムに行きます。そこでクウェート人のラリーという金持ちの男と、北ヨーロッパ、インド、パキスタンなど、世界中を旅行します。これも読んでいて、非常に興味ある場面なんです。そして最後は再び、隠岐に帰って来るのです。――白い波頭が立っている。灰色のカモメは風にあおられながら、けなげに飛んでいた。そして、あの日のように、桟橋には小型の漁船が、肩を寄せあうようにして係留されている。
 信じられないような速さで雲が東へ飛んでゆく。
 私にはなつかしい風景だった。そうだ、この隠岐の島々は私の奇妙な人生の出発点だったのだ。――

平成16年4月17日掲載

春岡 アカネ、というか生まれ変わった沢木涼子は、再び国賀の摩天崖に行くのですね。そして、衝撃的な結末……。
――突風がおそってきた。瞬間、体が浮きそうになる。下をふり返るのは危険だった。わたしは慎重に、時間をかけて一歩ずつ摩天崖の頂上へ登っていった。
 視界がひらけると、そこが台地の頂上だった。わたしはあえぎながら背後をふり返った。黒い島影と紺青の海。眼下にくだけ散る白い波がしら。風はきり裂くようにわたしの服をひるがえす。一瞬、ふっと空中に体が浮きそうな感覚があった。
 わたしは不意にあの日のことを思い出した。立入禁止の柵を越えて、三人でこの断崖の突端へ進んでいったのだ。――
江波 冒頭と結末の舞台が同じという構成になっています。
――「アカネ」
 と、そのとき背後で男の声がした。ざらざらした奇妙な声だった。
 わたしは首をふった。錯覚だ。こんな場所でわたしに呼びかける相手はいない。それに今のわたしはアカネではない。宿帳にもちゃんと沢木涼子と記入してある。
「アカネ。かえってきたんだな」
 ふたたび幻想のような声が背後できこえた。こんどはさっきよりずっと近い声だった。
「待っていたよ。おまえは必ずここへもどってくると思っていたからな」――
春岡 思いもかけず山岸猛男が現れた。
――そこにいたのは、黒い毛におおわれた縄文人のような大男だった。ぼろぼろの服をまとい、暗い目が赤く光っている。
「山岸!」
 わたしは両手で口をおさえた。おさえてもおさえきれない絶叫がその指のあいだからもれた。そこに黒い影のように立っているのは、まちがいなくあの男だった。――
江波 この小説は、どんなミステリーより面白いですよね。
春岡 そうですね。それがしかも隠岐を舞台にした小説というのですから。
江波 涼子は、結局、醜かったあの頃に帰ったのだと思います。山岸猛男は、アカネのその気持ちを察したのです。猛男は……。
――そして、ありがとう、と小声で言うと、一瞬、身をひるがえして猛然と走り出した。摩天崖の台地のはなから、彼はまっすぐに跳んだ。そしてすぐに見えなくなった。
 あとには鏡のような青空が残った。みんな去ってゆく。彼たちの分まで生きよう、と、わたしは思った。――
春岡 凄い結末だと思います。こうして小説の紹介をしましたが、やはり全文を読んで欲しいと思います。
江波 そうですね。身震いするような最後の国賀のシーンだと思います。
春岡 では、また来週、楽しい小説を……。

◇「晴れた日には鏡をわすれて」は、終了です。