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第13回 汽水の街へ   
                藤田武嗣/引用は 「汽水の街へ」 早川書房 より
 
 平成16年4月5日掲載

江波 早川書房という出版社があります。SFとかミステリーの本を多く出しているミステリーの老舗……。
春岡 出版社の方針として、シリーズなどでは、いわゆる売れっ子作家を揃えると思うのですが、かつてハヤカワ・ミステリワールドというシリーズは、新人に近い経歴の作家などの作品を出したのですね。珍しいと思います。
江波 その出版社から松江を舞台にした小説が出ているのです。
春岡 えっ、そうなんですか。それはどういう題名で、何という作家が書いているのでしょうか。
江波 本のタイトルは「汽水の街へ」で、作者は藤田武嗣といいます。実は、松江の西茶町の生まれなのです。
春岡 松江が出身地のミステリー作家は珍しいですね。
江波 そうですね。最近では、法月倫太郎というミステリー作家がいますけれども、どうして出雲や松江からは作家が出ないのでしょうねえ。出雲では松本侑子さん、平田では長谷川摂子さんがおられますけど。
春岡 ミステリー的な刺激がないからというのは、言い過ぎですか?
江波 いえ、でも、「宍道湖殺人事件」「出雲信仰殺人事件」「松江城天守閣殺人」「出雲路霧の殺意」などというのがありますね。
春岡 そう言われると……。伝説が多い出雲ですから。
江波 流行作家でも、最初は素人だったわけですが、作品の発表の場が多いか、そうでないかということからはどうでしょう。
春岡 関係があるかもしれません。気安く発表する場があるから書くという……。
江波 そういう意味では、文芸誌『季刊山陰』を利用してもらうとよいのではないかと思うのですが。この地方の書き手が自由に発表できる場として作ったわけですけどね。我田引水でしょうか。
春岡 少しばかりの負担で、自分で書いた小説や随筆が載せられますから、いいんではないかと思います。
江波 そうですね。ところで藤田武嗣さんですが、本名は藤田武司なんです。昭和十六年十二月の松江市西茶町生まれで、京都府立嵯峨野高校から早稲田大学第二文学部に行き、そこを中退します。出版社に勤務し、週刊誌の『平凡パンチ』や女性誌『アンアン』などで、いろいろな記事を書いたりして、退職時にはマガジンハウス勤務だったと思います。平成十三年に、第十二回日本海文学大賞を「増毛の魚」という小説で取っておられます。
春岡 編集者でもあるわけですね。
江波 そうです。年賀状に「今年は小説。ガンバります。」と書いてありました。
春岡 知っておられるのですか?
江波 会ったことはないですけど、手紙のやりとりで……。

 平成16年4月6日掲載

春岡 藤田さんとは、どういうことからですか?
江波「汽水の街へ」のモデルというか、場所のことについて聞いたのです。それ以後、手紙とか年賀状で時々。
春岡 そうですか。ところで、その「汽水の街へ」はどういう物語なんでしょう。
江波 原稿用紙にして約六百枚を超える長編なのです。
 フリーの雑誌記者である津田が、東京六本木でのパーティの帰り道に、バーの客引きの女に呼び止められます。そのバーで偶然に、マイラという名前の外国人、フィリピン女性を争いの中から助けることになります。そのマイラを妙な気持ちからではなく、自分のアパートに連れて帰るわけですが、結局お互いに惹かれるものがあって、同棲を始めます。
春岡 それで、どうなるんですか。
江波 三ヶ月後に、津田は、ある雑誌社から頼まれた取材で松江に行きます。一緒に暮らしている間にマイラという女には、何かに追われているというか、複雑な事情がありそうだということを津田は感じます。その心配があって、アパートに一人残して松江に行くのは、気になっていたのですが、、すぐに帰るつもりで松江に出かけます。松江は津田の生まれ故郷で、三十年ぶりの松江であったわけです。
春岡 作者の生い立ちと似ているんじゃな
いでしょうか。
江波 こういうところに、書き手、つまり作家の出身地が顔を出すのですね。作家の生活が投影されるってことです。だから、恋愛小説なんか書くと、それは作者自身だと思われたりするのです。
春岡 実際にそうなんでしょう。(笑)
江波 全部が全部、そうじゃないですよ。そこで、マイラですが、そのうち姿を消してしまいます。津田は何となく謎めいていたマイラの行方を追うことになり、フィリピン女性売春斡旋組織と松江で起きた火事が結び付くことを知ったのです。そして、戦後から今に続く秘密の糸に辿り着きます。ですが、その糸をたぐることが、思いがけぬ人物を追いつめることに繋がって行った、というストーリーです。長編ということもありますが、雄大な構想と迫力溢れるアクションの、ハードボイルド的なサスペンスですね。
春岡 当然ですが、松江とか宍道湖が。
江波 表紙の絵は、暗い湖の上に浮かぶ漁船から火の手が上がっています。その向こうには黒い嫁が島が……という絵なのです。帯の言葉に、『愛する女は消え、友には謎の翳が。フリー記者が踏みこんだ戦後日本の闇。大型新人、迫力のデビュー』とあるのです。
春岡 この本は書店で手に入ります?
江波 無理でしょう。インターネット上の古書店か、図書館です。

平成16年4月7日掲載

春岡 タイトルの汽水、つまり汽水湖というのは、宍道湖のことかと思いますが。
江波 汽水というのは、塩分のある水、つまり海水と淡水が混じりあっている水ということで、当然のようにこれは汽水湖の宍道湖を指しています。街は、宍道湖を抱える町、つまり松江の街ですね。松江とか宍道湖が、大事な舞台になっていることを示しているタイトルです。
――小型バスがカーブに差し掛かるたびに、前方の視界は全て空と水になる。鈍色の宍道湖だ。出雲へ来て三日目の夕刻だった。初日は老舗の玉造温泉、二日目は三瓶山中の鄙びた温泉に泊まった。名所旧跡巡りを重ねて、いよいよ今夜は松江泊まりになる。――
春岡 取材で松江にという場面ですか。
江波 そうです。そして、いよいよ松江。
――「久しぶりに見なーと、だいぶ違っちょーでしょーなー」
 私の声に応えたのは、郷土史家の門脇という老人だ。定年まで松江の新聞社にいたと言っていた。――
春岡 出雲弁が出るところなど、作者の面目躍如たるものということですね。
江波 案内役の老人が言ってるわけです。――「もー宍道湖で泳ぐもんもおらんやになーましたけんね」
「汚染ですか、ここも?」
 私は我流のクロールをマスターするまで、宍道湖の埋立地から十メートルの沖合で、日本海の潮の混じった適度に塩辛い汽水をしこたま飲んでいる。海水よりもっと人間の体液に近い気のする水だ。不思議なことに、全国の河川や湖沼がどれほど汚染しようと、ここだけは無事だと信じていた。
「そげども、宍道湖の北と南を比べーと、私はこの北側が好きですでね」――
江波 埋め立て地というのは、松江市役所のある辺りのことを言っているのです。作者は西茶町の生まれですから。
春岡 なるほど、そうですね。
――取材旅行第一日日、羽田から出雲空港へ向かう機中で、上空から見下ろす中海と宍道湖の風景を楽しみにしていた。ところが、飛行機は松江市上空では既に着陸体勢にあり、湖水に突っ込みそうな恐怖感を味わっただけで、期待したような俯瞰図は得られなかった。
 地図で見ると、どっちも巨大な臓器形をしている。そのふたつの汽水面を繋ぐ短い細い管が大橋川だ。日本海の潮が干したり満ちたりする度に、かなりの速度で西へ走り東に流れて、松江市を二分している。大雑把に言うと、その北半分が旧城下町で、残る南は松江駅開業以来の商業地区だ。石造りの松江大橋、やや近代的な新大橋、車専用の宍道湖大橋が市の南北の交通を結んでいる。――
江波 さすが松江出身……。

平成16年4月8日掲載

春岡 松江で泊まるとなると、やはり宍道湖畔でしょう。
――この夜の宿は松江大橋の北詰め、つまり城下町側にあった。(望湖亭)と言って、松江市内外に別館や新館、和風レストランや土産品の店を構えている。――
江波 今は少なくなりましたが、かつては松江大橋の北詰めには、旅館が多かったですね。
――店終いした商店街の濡れた舗道を歩いた。この道を左に折れると宍道湖、右へ曲がると松江城の堀にぶつかる。どっちを向いても暗い路地の奥に水が見えるはずだ。城を中心に宍道湖の汽水が人家の隙間を巡っている。松江はそんな町だ。宍道湖を淡水にすると、姿を消すのは汽水の生物だけではあるまい。
 十字路の左手に黒々とした杜が見えた。正しくは末次神社、通称「権現さん」の松林だ。――
春岡 松江大橋北詰めにある交差点から西に行く京店通りの描写ですね。神社の名称は、それこそ正しくは「須衛都久神社」でしょう? 
江波 そうです。ちょうど宍道湖大橋の北詰め交差点の所を書いてます。権現さん、という言い方はそれはいいのですが。
春岡 さりげなく、中海淡水化事業にも触れてるのも面白いと思います。現在は中止になりましたけれども。となると、この小説が書かれたのはいつのことでしょう。
江波 平成四年ですから、まだ中止が決まってない時のことですね。
――御影石の大鳥居の下から舟着場の水に至る石段も、宍道湖を望む石の腰掛けも、漁師が帰路の目印にした櫓形の灯台も、粗悪なブロック塀の陰で無用の長物と化している。無惨というよりなかった。
「湖水を渡って往来する神々だっているだろうにな」――
 最近まで神社の湖岸側には、茶町商店街の駐車場があったのですが、そのことを書いています。現在は湖岸道が整備されて、よくなってますが、以前は、南側にある鳥居の下のすぐが湖面だったのです。
春岡 ところで、話はどう進むのでしょう。
江波 湖畔にある旅館のかつての主人、今は引退しているというその老人の隠居所に津田は行きます。住んでいるのは改造した土蔵で、そこでは、三谷というお年寄りの女の人が、老人の世話をしています。その土蔵で、一緒に松江に行った旅行会社の佐伯という男と、ぼてぼて茶を飲みながら昔の話になるんです。
春岡 ぼてぼて茶が出るというのは、細かい描写ですね。
江波 老人に気に入られた津田は、帰りに老人から土産に布志名焼きの茶碗を古い新聞に包んで貰います。その古新聞が大事な役割をします。

平成16年4月9日掲載

春岡 そして、事件……。
江波 その夜、その隠居所から火が出て、老人は焼死体となって発見されます。津田は火事の少し前に訪ねたわけですから、松江署の刑事に事情聴取をされます。しかし、疑われることはなく、津田が東京に帰ると、マイラが消えています。そこで何気なく、老人からの土産の茶碗を包んでいた古新聞を見て津田は驚きます。十数年前に起きた松江の橋南の火事の記事があったのです。昭和二十四年の白潟大火、松江駅から少し西ですが、寺町の辺りの火事です。しかも、偶然にも、その時、須衛都久神社前の埋め立て地にあった船が燃え、そこに住んでいた男が焼死していることも書いてありました。その船を燃やしたのは、旅館の老主人です。もちろん、若いときですが、船が旅館からの眺めの邪魔になって、そのために、船を燃やし、そこに住んでいた男が死んだというわけです。
春岡 実際の火事が重要な役割、というか、事実をうまく小説に取り込んでいる……。
江波 そうなんです。その後、津田は懸命にマイラを探すのですが、そのうちにマイラが関わっていたと思われるフィリピン女性の売春斡旋組織と接触することになり、危険な目に会ったりするようになります。実は、廃船の中で死んでいたのは、老人の世話をしている女の人の主人だったわけです。その廃船で一緒に暮らしていたのが、幼い日の佐伯。松江の旅行会社の男ですが、その佐伯が、土蔵の中でマッチ箱と煙草で作った時限発火装置で、津田と佐伯が訪ねた土蔵を火事にしました。津田は佐伯を追求します。佐伯は真実を話し、宍道湖で自殺をします。そして、津田は未だマイラに会えないというところで、この小説は終わっています。
春岡 長編小説ですから、説明が難しいですね。
江波 この小説を読んだ最初から強い印象を受けたのです。まず、表紙の絵に惹かれました。暗い宍道湖に嫁が島が浮かび、その手前では廃船が燃えている。宍道湖というのは小説に穏やかな美しい湖ということで書かれるのが多いと思うのですが、この表紙は、それとは違い、あろうことか不気味な何かが起こりそうな雰囲気で廃船が燃えているという構図です。
春岡 ミステリーですから、そうなるのでしょうが……。
江波 更に、この小説に惹かれたのは、松江が舞台、松江そのものが舞台で、しかも小説の大半と言っていいくらいの量で出てきます。これはもう松江に住む者としては、それだけでも面白いと思うわけです。なぜなら、その場所をよく知っているからです。あたかもそこで、小説に書かれた事件あったと思ってしまうからです。
春岡 演歌でご当地ソングと言われたりするものがありますが、同じですね。

平成16年4月10日掲載

江波 松江大橋から宍道湖大橋の北詰に到る辺りも、我々の遊び場だったんです。昭和十年代です。
春岡 古い話……。
――物音を聞いた。松が風に鳴るのではない。雪が松から落ちるのでもない。木が軋む音、雪の塊が踏まれて砕ける音だ。弾かれたように私が灯台の北面、佐伯は南面を見た。
「誰だ! 誰かいるのか!」
「わしですがね」
 礎石の一部みたいな四角い人の影が北西の角を曲がってきた。短コートに防寒靴、松江の老刑事だ。――
江波 神社にある灯台です。
春岡 えっ、灯台ですか? 
江波 日御碕の灯台を想像してもらってもいけませんが、要するに灯籠の背の高いものです。神社と西側にある隣のホテルとの間にあって、来待石で出来てるのですが、高さが十二、三メートルあります。ともかく、宍道湖の漁師さんが夕暮れに漁を終えて帰る時の目印であったわけです。
春岡 松江のNHKの前にも、来待石の高い灯籠があります。
江波 昔、天満宮の裏辺りに料亭があって、その庭にあったもので、やはり同じような役目をしていたと思います。
――思い出した。灯台の西側の石壁に思いがけない窪みがあり、木の潜り戸があり、入ってみたかったが、いつも大きな錠が下りていた。昔は梯子で火を点しに上がったりしたのだろう。中は空洞で、私の憶えている限りでは、神社の祭礼に使うテントや幕、敷物の類が収めてあった。――
春岡 作者の藤田さんというのは、神社のある辺りの生まれということでしたが、やはり、小さい子どもの時に神社や宍道湖が遊び場で、それが小説に生かされているということなのでしょうね。
江波 こういう描写は、その土地を知っている人でないとできないと思います。
春岡 文学と風土の関係ということになると思うのですが。
江波 そうですねえ。その二つには非常に深い関係があると思えます。風土が、作品を生み出すこともあるでしょうし、作品の中に大きく反映されているということもあるのでしょう。
春岡 意識せずに書くこともあるだろうけれども、やはり風土性が作品に出ることも。
江波 風土が作家を誕生させるということもあるとすれば、作品に風土の匂いを感じるとも言えますね。
春岡 ということになると、この山陰、出雲から発信される作品は、この土地に根ざしたもの、というより、そうでなくてはならないのではないかとも思えますが、どうでしょうか。
江波 確かにそうですね。ではまた来週。

◇「汽水の街へ」は、終わり。