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第3回 波の暦 森水上 勉/引用は 「波の暦」 角川書店より
平成16年1月26日掲載
春岡 出雲を舞台にした小説というと、その場所は、誰でもよく知っているところだというのが普通じゃないでしょうか。でも、そうでなくて、あまり知られていない地域というのか、風景などが出て来る小説には、どんなものがあるのでしょうか。 江波 そう言われると、確かにそうです。たとえば、宍道湖とか出雲大社、あるいは鳥取でいうと、志賀直哉の『暗夜行路』の大山などもそうなのですが、よく使われる舞台ですね。 春岡 有名な観光地でも、作家によって扱いとか、視点をどこに置くかで違うと思います。でも、小説を読んで、あ、こういう場所もあるのだ、というのも面白いじゃないかと考えてみたのですが。 江波 そうですね。ということになると、水上勉の『波の暦』はどうでしょう。 春岡 水上勉は、『雁の寺』で直木賞を受賞したのですが、先生の書かれた『道草文学論序説』に、面白い話がありました。 江波 私の本名で書いた本ですね。島根日日新聞に連載したものを一冊にまとめたものでした。名前のことを書いています。 春岡 水上勉の読み方は、関西では「ミズカミ」、関東地方では「ミナカミ」と言うんですね。 江波 戸籍上は、ミズカミツトムだそうです。ご本人は、どうでもいいようですけど。 ですが、読みが問題になることがあります。それは、図書館で検索する場合に、どう読みを入れているかということです。たとえば、県立図書館のホームページに検索画面があって自宅から検索できるのですが、みなかみつとむ、と入れます。そうすると、二百八十三冊の書名が出ます。ところが、みずかみつとむ、と入れると、 むと入れると十一冊の本しか出ません。 春岡 なるほど。その図書館が、どういう読みで本を登録しているかですね。 江波 そうです。本の住民票みたいなものが図書館にはあって、書誌とも言いますが、それにどう「ふりがな」をつけて記録しているかで違うのです。ちなみに、東京の国会図書館は、どちらでも同じ冊数が出ますから、両方の読みを入れているわけです。 春岡 すいじょうべん、と入れるとどうなるのですか? 江波 そう言われるだろうと思って、やってみたんですが、さすがに国会図書館でも、ヒットしませんでした。その名前では登録してないのですね。 春岡 そうなんですか。なかなか面白いお話でした。水上勉に関係するのですが、『道草文学論序説』にありましたけど、漫画家の横山隆一は、排泄物の研究家で、貧しい食の人の便は水に沈み、美食の人のものは浮く、と言ったそうなんですね。えっ、と思うような話ですが。 |
平成16年1月27日掲載
江波 そうそう。既に亡くなった人ですが、柴田錬三郎という作家は、その話から、「水上勉氏のそれは沈むはずだ。浮いたのは貧しい食事をしてきた寒村出の水上勉氏にしてはおかしいが、スイジョウベンだ」というようなことを講演会で言ったらしいのですよ。 春岡 本当でしょうか。 江波 さあ、どうでしょう。水上勉も実際にその話を聞いていて、ミズアゲツトムという妙な雰囲気よりはいいと語ったとか。 春岡 それは……。 ともかく、『道草文学論序説』は、なかなか面白い話があって楽しい本でした。まだ手に入るのでしょう? 江波 書店にありますから、興味があれば、読んでもらえればありがたいです。 春岡 そうですね。ところで、水上勉の『波の暦』ですが、珍しい場所というか、あまり取り上げられない所というのは……、つまり舞台はどこなのでしょうか。 江波 松江の秋鹿という町にある芦尾という漁村が出て来ます。芦尾を知らない方が多いのではないでしょうか。小説には、もちろん、芦尾ばかりではありません。 春岡 私は知っています。一畑電鉄秋鹿駅から北に行くと、左手に中島小学校があって、次には六坊トンネルになります。 江波 詳しいですねえ。 春岡 そりゃあ、これでもライターですから、いろいろ調べています。 以前は、六坊とか芦尾に行くために、ひと山越えないといけなかったわけで、そのためにトンネルが出来たのですね。 江波 小さい山ですが、越えるのに大変だったと思いますから、随分と便利になったのでしょう。 『波の暦』は、昭和六十年、今から二十年近く前に出た珍しい本です。舞台として、出雲も出るのですが、米子の法勝寺の窯元とか、皆生温泉、玉造温泉などが書かれています。珍しいというのは、めったに書かれていない場所が出てくるからです。 春岡 おおよそのストーリーは、どんなのでしょうか。 江波 あらすじですが、三十二歳の新劇女優の甲斐節子というのが主人公です。「島」というテレビドラマに出たことがきっかけになって、六歳も年上の脚本家香西尊彦と知り合います。鹿児島県の浮島というところにロケに行って、節子と尊彦は親しくなります。尊彦は、病気だった妻と離婚して節子と一緒になるのです。 二人は新婚旅行で山陰に来ます。なぜ山陰かということですが、四歳の節子を母親が置き去りにして家を出たのです。その母親の墓が芦尾にあって、それを訪ねるという設定ですね。 春岡 芦尾が登場する理由ですね。 |
平成16年1月28日掲載
江波 水上勉は、どうして、その舞台を芦尾にしたか分かりませんが、小説を読んでみると、なるほどストーリーに似合う場所だなと思えます。 春岡 どこでもいいというわけではないのですね。 江波 物語の背景は重要だということでしょう。ところで、香西は隠岐で生まれ、米子で育ちます。 春岡 それで法勝寺の窯元が出て来るのですか。 江波 節子は尊彦が生まれた隠岐に行こうと言うのですが、彼は断ります。育った米子のことも、あまり話そうとはしなかったのです。 ――葛西尊彦は、瞬間、ひっこんだ眼を光らせた。節子は、一瞬、子供のようなあどけなさを見たように思った。それはかすかに節子の胸を打った。―― 小説を読むと分かりますが、尊彦は性格的に暗いのです。節子はそれに惹かれます。 ――「隠岐にはうまれていませんよ……どこでうまれたんだか……とにかく、小学校へゆくころは、米子にいました……米子しか少年時の記憶はないんです」 「米子の市内でしたの」 「……町から少しはなれた所ですが」 と香西はいった。節子は、いつか、劇団「鷹」の地方公演で、米子市にゆき、皆生という奇妙な呼び名の温泉に泊まったことを思い出して、 「米子はあたしも地方公演で一どうかがったことがあります」 「つまらんところでしょう?」 と香西はいった。―― 春岡 つまらない所というのは、どうなんでしょう。米子の人が聞くと……。 江波 作家が自分の感じたことを登場人物に言わせているわけですけども。 春岡 作家が自分を小説に投影しているというのは、こういうことなのですね。 江波 そうですね。どうしても書き手というものが文章に出るということです。 ――「三年に一どかな。このあいだも……何げなく、ぶらりと行ってきたが、……故郷は蝿まで人を射しにけり……いやなものしか見えないんで……すぐ、帰ってきましたよ」 香西の顔の暗い翳のような部分がこの時濃くなった。―― 春岡 この文章も、水上勉の思いなのでしょうか。 江波 どうでしょう……。 ――節子にも暗い過去があった。節子は自分の生母を知らなかった。四歳から、養母のもとで育てられたが、その養母とも八歳で別れた。散々流浪の末に、節子は、劇団「鷹」の養成所に入り、そこから役者の一歩を踏んだ。入所の十八歳までの彼女の過去は誰にも語っていない。―― |
平成16年1月29日掲載
春岡 私は、やはりここに作家が出ていると思います。 江波 こうも書いていますが。 ――「日本のジュネーブだといったのは、小泉八雲だったな」と香西は言った。「あしたゆく松江はもっといい所だ。米子は中海だけれど、宍道湖の水は深い色をしているね。風光もいいし。このあたりには、法勝寺焼ばかりじゃなくて、楽山焼、布志名焼、袖師焼なんてのもある。塗り物やメノウ細工に命をかけている古い伝統芸の人たちもいるんだよ。だがね……風光の美しくみえるのも、人が美しくみえるのも……みんな、われわれが旅人だからさ……住んでみると陰気なところだ。雨が多くて……」 香西はまた暗い顔になった。―― これは、二人が皆生温泉の東光館に泊まった時、尊彦が言った言葉なのです。皆生温泉には、東光館という旅館は無いんですが、東光園ははあるのです。おそらくモデルと思われます。 春岡 小説には、モデルがあると、似たような名前を付けるわけですか。 江波 書く方から言うと、そうすれば、リアリティがある。そのモデルを思い浮かべて書くわけですから、いきおい名前もそうなりますね。小説のこの辺りは、皆生温泉の描写が続きます。詳しく書いてあるので、風景を思い浮かべて読めます。 春岡 小説の書き方……ですね。 江波 二人は翌日、大山に登り、次に松江へ行くということになります。 ――「大山をひとまわりして、松江へゆこう。こん晩は玉造の宿がいい。そこで、お母さんの消息をきいて、出雲の大工さんのところへゆかねばならない……」 節子は香西のたてているスケジュールに異存はなかった。車へもどって大山神社の下から、ケーブルのある一の沢までゆき、ドライブウェーを一時間ばかり走って大山を下りた。冬の大山は、人も少なくて、ひっそりしていた。荒涼とした山麓の道は、ところどころに大松の枝が道にかぶさり、風が強かった。 米子から、松江に着いたのは、その日の午すぎであった。香西は運転手に玉造の長寿館へゆくように命じた。車は松江市内をぬけて、やがて広いアスファルトの道へ出ると、右側に波の荒い宍道湖がみえだした。大きな湖である.節子は車のガラスに額をつけた。 「東洋のジュネーブね」 香西は苦笑していた。まもなく、左へ折れて、小松の生えた道を走ったが、すぐに温泉町に着いた。長寿館は、この町でも大きな宿らしかった。純然たる和風旅館である。車のまわり込む門内の庭も広くとってあり、つつじやツゲの植込みにはさまれた砂利道を歩いて玄関にゆくと、揃いの紫地の袷に、前かけをした女中が迎えた。 |
平成16年1月30日掲載
春岡 松江とか出雲が描かれた小説になると、どうしても玉造が出ますね。 江波 そうですね。で、節子は母の消息を知りたいわけで、地理的なことなどを宿の人に聞くわけですが、その宿の女の人は、尊彦にこう言っています。 ――「ちょうど、このま向いにあたります。玉造は宍道湖の南の岸から少しばかり山へ入っております。お母さまのゆかれました大工さんの在所は、芦尾と申しまして、対岸の鹿島の町から海にそうた漁村です」 「鹿島?」 「はい、この宍道湖の西の平野のまん中にございます平田と、松江のちょうど中間にございまして。北側の岸を一畑鉄道と申しまして私鉄が通っておりますが、そこの私鉄の駅から、北へ山をこえてゆきますと日本海のみえる漁村へ出ましてございます。そこに芦尾という村がございます……そこが大工さんの村でして……」 芦尾というのは、宿の人が言うように、日本海側になるのですが、鹿島町からも行く道があります。林道のような道路ですが、桜の木が続いていて、その季節には素晴らしい眺めです。 春岡 八束郡の加賀から野波へ行く海岸沿いにあるチェリーロードもいいですね。 江波 あの道路は、そう言えば小説に登場しませんね。 春岡 先生が書かれたらどうですか? 江波 いつか機会があれば……。というわけで、湖北線にある秋鹿から山手にずっと行くと、山を越えて、というかトンネルを抜けると雪国ではなくて、日本海に出ます。まず、六坊の集落があり、その先が芦尾です。景色のいいところで、松江市内なんですが、知られざる秘境とまではいかないにしても、魚釣りをする人はよく知ってます。そういうところです。 ――翌朝になった。節子と香西は、朝飯を早くすませて九時に宿を出た。説明によると、湖岸に沿うて西の平田に出てから北へ廻ってもゆけるそうだが、自動車にすると、松江へもどって、西生馬から佐陀川に沿うて山合いへ入り、鹿島町へ出て、そこから佐陀本郷を経て、芦尾へ出た方が便利だということであった。―― 春岡 あ、この西生馬という文字に、にしあいま、とルビが振ってありますよ、先生。江波 にしいくま、ですよね。間違いですが、さすが校閲のプロの春岡さんならではです。そういう仕事がくるといいですね。 春岡 いえ、そんな。でも、地元の人が読んで間違いがあると、気になるというか、あまりいい気持ちはしないでしょう。 江波 そうですねえ。それとですね、小説には出て来ないですが、芦尾に、鼻繰り岩というのがあって、なかなかの奇観です。 |
平成16年1月30日掲載
春岡 そう言えば、三月に出る『湖都松江』という雑誌に、鼻繰り岩のことを書かれるのではないですか? 江波 そうなんです。新松江八景シリーズの第五番目で載せることにしています。 春岡 発刊されたら読みます。 江波 ぜひ読んでください。 尊彦は、八束郡の島根町にある多古鼻の岬の話をします。この風景描写も素晴らしいのですが、多古鼻を知っていますか? 春岡 名前は聞いたことがありますが、行ったことがないのです。 江波 この小説を読んだら、行ってみてください。多古鼻もいい所ですから。多古鼻の洞窟の話を尊彦から節子は聞きます。 ――「こわいおはなしね」 ぽつりと節子はいった。 「そんな恐い洞窟のある海が……おれやきみの故郷だ」 芦尾の村は淋しかった。漁村だというのに、浜には舟が見えない。戸数百戸もあるだろうか。街道に沿うて藁屋根のまじった人家がまばらに延びている。すぐ裏口へ波が打ち寄せている。車を村口に待たせて、節子と香西は、浜へ出た。朽ちかけた古桟橋のある舟出口へ行って、うしろへのびる村を眺めた。細長く入江に沿うて曲る村は、南側に山が迫っているから、耕地が少ないのだろう。背後は形のいい山だった。葉を落した針のような樹々の枝が山頂まで被っている。―― 詳しく書いていますが、ちょっと風景が違うのですよ。 春岡 どこがですか? 江波 すぐ裏口へ波が打ち寄せている、とありますが、実際は切り立ったような山肌に人家が張り付いていて、かなり下が海ですから、裏口へ波というのはないのです。 春岡 私も、一度行ってみます。 江波 節子は、この芦尾で母の消息を寺の住職から聞き、墓に参ります。 ――節子は、どの家の戸も締まっていて、人影がなくひっそりしているのを不思議に思いながら、こんな淋しい村で死んだ母のことを哀れに思った。―― 春岡 ゆっくりと全部を読んでみたい小説ですね。手に入るでしょうか。 江波 書店にはもちろん無いですが、図書館ならあります。大山から宍道湖周辺を舞台に、それも島根半島の海側の集落をここまで描いた、それも豊かな物語を背景に書いた小説は珍しいと思うのです。 春岡 こういう郷土の風景を描いている小説があるということを知って欲しいと私も思います。 江波 実際に小説を手にして読んでいただきたいですね。 春岡 楽しみがふえました。 |
水上勉「波の暦」終わり