松江現代文学館HPトップにもどる    江波さんの出雲小説図書館トップにもどる

第1回 新しい天体   開 高   健/引用は、「新しい天体」潮出版社より
 
 平成16年1月12日掲載

 春岡 郷土の小説を紹介するアシスタントの春岡直美でフリーライターをやっています。よろしくお願いします。
 江波 こちらこそ、よろしくお願いします。
 春岡 早速ですが、どういう小説を教えてもらえるのでしょうか。
 江波 季節が冬ですし、ご馳走のあるお正月ですから、食べ物が出てくる小説を。
春岡 えっ? 料理の本?――ですか。
江波 いえ、冬の宍道湖が書かれた『新しい天体』という小説です。著者は、開高健。一般的には「かいこうけん」と言いますが、正しくは「かいこうたけし」ですね。
春岡 そうなんですか。開高という名も珍しいですが、私は「けん」とばかり思ってました。
江波 自分でもローマ字でKENと書いたりしてます。平成元年に五十八歳で亡くなりました。
春岡 若くしてということですねえ。活動の時期も短かったということでしょうか。
江波 そうですね。ルポルタージュ作家とも言われています。随分前ですが、開高は、寿屋というウイスキーメーカー、現在のサントリー株式会社の宣伝課に居ました。
 宣伝文句を考えるコピーライターだったのです。寿屋のPR誌「洋酒天国」の初代編集長となります。これは非常に面白い本でした。「夜の岩波文庫」と言われていました。トリス、あのアンクルトリスの全盛時代です。
春岡 知りませんでした。面白いですね。
江波 開高は、その後、芥川賞を受賞し、大型新人と言われましたが、昭和三十九年、朝日新聞の特派員としてベトナムで戦争体験をルポします。
春岡 ルポ作家でもあるわけですね。
江波 そうです。『新しい天体』ですが、ある男が日本中のあちこちに行き、土地の美味いものをひたすら食べるという話が書いてあります。開高の小説の中では異色と言われています。小説というのかどうか分かりませんが、いわば風変わりな作品です。最初から最後まで食べること、食べたもののことだけが書いてあるという、一般の小説の概念、つまり、あるストーリーが展開するというものとは少し違うわけです。
 話は、政府に、景気調査官というのがあって、もちろん実際にはないのですが、、松江にこの調査官が来るという設定です。景気調査官が日本中の景気を調査して歩くのです。景気を調査するのは、食べ物の店、食べることを調べるのが一番いいという話で、ともかく、食べて食べて食べまくるという小説です。どうですか。春岡さん。
春岡 私はあまり……。太ったら困ります。
江波 それはともかく。最初は銀座の屋台のタコ焼きです。その店の親父にタコ焼きの流通経路とか経費などを聞くわけです。


平成16年1月13日掲載

 春岡 開高健の小説にタコ焼きですか。
 江波 小説ではそのタコ焼きの内容が詳細に書かれてい  ます。銀座の次は、大阪、神戸で肉を食べる。それでいよ  いよ景気調査官は、松江に来ます。
 松江ではまずシラウオが出てきます。次に出てくるのが、ス ズキで、続いて赤貝です。うなぎ、わかさぎ、なども書かれ ています。ソバまであるんです。とにかく、この景気調査官 は食べに行くわけですから、美味そうなものが並ぶのですね。宍道湖七珍を食べるので す。宍道湖七珍は、シラウオ、アマサギ、冬のスズキ、コイ、モロゲエビ、ウナギ、シジミの七種類ですが。
――夜、松江についた。湖に面した古くて荘厳な気配のただよう旅館に入る。松江は地震、大火、空襲のどれにも出会わなかったので、古い旅館にはいい旅館がある。木組み、柱、廊下、いたるところに澄んだ艶がでていて、また明るい灯のついた部屋にすわってひとりで酒を酌んでいると白い障子のすぐそとに、すぐそとのすぐそこに闇のうずくまる気配が感じられる。闇は家に深さと広さをあたえてくれるが、近頃の家は個人の家も料亭も、ただすこやかに明るいばかりで闇など、どこにもない。ときどき無影燈に照射されつつ飲み食いしているような気がすることがある。――
江波 静かな松江の感じがよく出ています。モデルの宿は宍道湖畔のどこかでしょうが、そこだけでなく、松江のこういう宿はどこでもこんな風な感じですね。
春岡 そうですねえ。最近は雪が少ないですが、それでも暗闇の中から降って来るなかなら、確かに闇の中からということかもしれません。
江波 暗い湖に面した部屋で座っていると、女中頭かと見られる気品のある老女が酒や膳を運んでくるのです。この女中という言葉は、最近では使わないことになってますよね。文学作品ですからこれは許してもらわないといけないと思います。
――「だんべらが降ってきました」 
 といった。
「雪のことをそういうの?」
 彼がたずねると、
「そうです」
 老女はわらった。
「このあたりでは雪のことをだんべらといいます。ぼたん雪のことでございますね。だんべらが降ってきたとか、だんべらがたまるとか。そういうんでございます。だんべということもあります」
「そりやたいへんだ。松江だからいいけれど、東北へいってだんべなどといったら、えらいことになる」
「そうでございますね」――
 老女は無邪気にわらった。


平成16年1月14日掲載

 春岡 なぜ老女は笑ったのでしょう?
 江波 出雲の言葉がうまく取り入れられてますから ね。まあ、詳しいことは調べてみて下さい。これが  分かっていると面白いのですが。ともかく、景気調 査官、つまりは開高健ですが、この後、シラウオを  宍道湖の舟の上で食べたいと老女に言うのです。 大阪で、シラウオの踊り食いを食べてくるようにと言われて来たんですよ。
――「宍道湖へ舟で出て、マホー瓶に熱いところをつめていって、とれるあとからあとからシラウオを食べちゃあ一杯キュウ、食べちゃあ一杯キュウというのをやってみたいんだけど、おねがいできますかな?」
「ええ、ようございます。あとで船頭さんに電話して予約しておきましよう。東京や大阪や、あっちこっちから、みなさんがそれが目あてでおいでになります。ここは何しろ出雲で結びの神様の土地でございますから新婚さんがたくさんおいでになりますが、みなさん食い気のほうも達者でいらっしゃいますよ」
「そうだろうね。水が汚れてどこでもシラウオがとれなくなったからね。こういうところは貴重だよ。大事にしなくちやいけないね。宍道湖はまだ大丈夫なの?」
「ええ。昔とくらべるとよごれたってことになってるんでございますけど、まだ大丈夫でございます。こうしてシラウオもとれております。昔は四ツ手綱をあげさげしてとったもんでございますが、いまではモンドという袋網を仕掛けましてね、それでとっております。中海がありまして、これがポンプになって潮を上げ下げして宍道湖の水をきれいにしていてくれているんでございますが、これを干すのでないかぎりこの湖は大丈夫です」――
春岡 先生、この小説が書かれたのは、昭和四十九年ですね。中海干拓とかの話の頃。
江波 今から三十年前に書かれていますが、その頃はこうだったということが分かるし、今の時代を予測してます。これほどの湖をドブにしてしまうのは愚もいいところで、そんな予算は住民みんなで食い潰してしまえばいい、とも言ってます。
春岡 先見の明がある作家ですか。
江波 それに開高健は、グルメでもあるんです。自分で取材していますから。
――ほろにがい味が舌にひろがって酒がいくらでも飲めそうである。山菜のほろにがさも香りたかい峻烈さがあっていいが、アユやシラウオのほろにがさも好ましいものである。甘さは舌をバカにし、すぐに飽いてしまうが、ほろにがさは気品があってそのたびに舌を洗い、ひきしめてくれるようである。――
春岡 料理や味の表現は難しいものだと思いますが、うまいですね。


平成16年1月15日掲載

江波 開高は、酒のことも書いています。
――数百種類あるカクテルのうちで飲んで飲みあきないのはたった一つしかない。ドライ・マティーニである。これはジンとドライ・ヴエルモットで作る辛口ばかりのカクテルであるが、そこヘアンゴスチエラ・ビターズという胃薬のにがいやつをホンの半滴ほどおとすと、清澄がさらに高まり、まことに好ましい深みと翳ができるのである。ほろにがみのありがたさはそれくらいのものである。魚のはらわたのあら煮はどんな白身や霜降りよりも絶品であるが、それもほろにがさからくるのである。辛酸を舐めた男の眼じりの深い皺にうかぶふとした微笑の魅力を考えてみてもわかることである。――
春岡 赤貝についても詳しいですね。
――アカガイの殻蒸し≠ニいうのは中海でとれる小さなアカガイを酒を入れて甘辛くしっかりと煮たものだが、爪楊枝でホジリながら食べているといくらでも食べられそうである。コイは野生の、冬で脂もよくのったのをコイの卵といっしょにまぶした糸作りで食べたが、これも逸品である。ワカサギはこのあたりではアマサギ″と呼ぶらしいが、おなかいっぱいに卵をつめていて、照り焼きにすると、まことに気品がある。スズキは冬スズキだったが、夏スズキほど大きくはないにしても、.白身がよくしまっている。
江波 スズキと言われると、どうしても松平不昧公が出て来ないといけません。小説は、この後、スズキの奉書焼きのことが原稿用紙一枚半くらい書かれています。実によく調べています。
春岡 作家というのは、こうでなくちゃいけないのでしょうね。
江波 確かにそうですね。スズキのことに続いて、朝の宍道湖の風景が描かれています。漁の風景ですね。
――翌朝になると雪はやんでいた。空はくもっていて、暗く、冷めたく、ところどころに雲の切れめがあって、淡い陽の射すことがある。雲の裂傷のふちは陽が射すとキラキラ白銀のように閃き、おぼろに輝く点を潮に落とした。――
春岡 湖の風景が目に見えるようです。
江波 小説は、会話と地の文、それと描写で出来ていると思うのですが、こういう表現は生き生きとした感じですね。
――棒と棒のあいだに網が張ってあります。シラウオやワカサギはその網に沿ってどんどん泳いでいくのでございますが、そういたしますと、さいごに袋網のなかに入るようになっております。――
春岡 老女が話してるところですが、宍道湖の漁とか網などについては、蒐古館に詳しく展示されているのを見ました。

平成16年1月16日掲載

江波 宍道町にある蒐古館は、私も何度か訪ねましたが、静かでいい所でした。
――袋網はいちばんどんじりが袋になっていてキンチャクのようにしばってあります。それを舟にひきあげてしばってあるのをほどくと魚がザラザラッとでてくる。そういう仕掛けでございますよ。――
春岡 この文章は、よく分かります。
江波 そうそう。老女に彼、つまり、景気調査官は琵琶湖より宍道湖は水が綺麗だと言います。それに老女が答えて、ダンダンベッターと言います。彼は意味が分からないのですが、ありがとうという意味だと老女が教えます。方言をうまく使っています。
春岡 湖を褒められて、お礼を言ったのですね。でも、若い人は使うでしょうか。
江波 どうでしょうね。出雲の言葉は優しいですから、私は好きですけどね。
――マホー瓶には熱い酒が入っている。一升瓶には水が入っている。舟のなかでシラウオを洗うのに使うのだという。辛子酢味噌、箸、どんぶり鉢、何もかもそろっている。金網の目のごくこまかい茶漉しまで入っているのでたずねてみると、シラウオは一匹ずつつまんでいるとめんどうだからこれでしゃくってから一升瓶の水で洗ってくださいという。いよいよこまかい。――
江波 書かれているように、最近は白魚がたくさんいるんでしょうか?
春岡 先生、今は貴重品ですよ。高級です。でも、こんなふうにして食べたいですね。
 先生、小説に、旅館の板前さんと一緒に車に乗って松江の町を潜り抜け、とあって、それから、湖岸を少し行くと、ハイウェイの下に舟着き場がある。湖が小指を伸ばして小さな入り江を作っている、というように書いてますが、どこの場所なんでしょう。
江波 松江の方はよく分かると思いますが、ハイウェイじゃなくて、昭和四十七年に架けられた宍道湖大橋を言ってると思います。橋の南詰めに高いビルがありますね、その前です。松江の町を潜り抜けというのがどうかと思うのですが。
春岡 でも、知っている所が小説に出て来ると親しみがありますよ。ああ、ここで景気調査官は舟に乗ったのか……、なんて。
――湖にさしこまれた棒に舟をロープでしばりつけて、つぎつぎと袋網をあげる。旅館の老女が説明したとおりである。コイのぼりのような恰好をした袋網は長いけれど、そのお尻に袋がついていて、それを舟にあげ、ひもをほどくと、なかにたまっていたシラウオやワカサギがいっせいに竹籠のなかへ走る。シラウオは透明なので、まるでトコロテンの流れのようである。――
江波 こんなに沢山捕れた時があったのですねえ。宍道湖という湖は、そういう意味では宝物なんでしょうが。

平成16年1月17日掲載

 春岡 宍道湖は大事な財産です。そこで捕れる白魚 も同じですね。
 ――藁やゴミをとり、茶漉しですくいとり、一升瓶の水 をそそいで洗う。ピョンピョンと跳ねる。しぶきを散らし て跳ねまわるのを見ながら、辛子酢味噌を入れたど んぶり鉢にあける。シラウオが弱い魚であることは、  味噌に首をつっこんだ瞬間に悶死してしまうことでも  わかるが、なかには跳ねまわるのもいる。
江波 可哀想な気もしないではない。
――「長いひげを生やしていると味噌やシラウオがひっかかるものですから、昔はこの踊り食いのことをひげ泣かせ≠ニいいましたね。さあ、どうぞ。どんどん飲み食いしてくださいJ
春岡 髯泣かせとは面白いですね。
――すすめられるままに食べ、飲む。とれたてのシラクオは魚の生臭さなど一刷きもなく、ブリブリとしていて、歯ごたえも、舌ざわりも、精妙である。いきいきとした、あざやかなほろにがさが舌にひろがり、舌をひきしめてくれる。その味がのこっているところを熱い酒でじわじわと洗うのである。酒を歯で漉し、舌にのせ、ころころころがし、歯ぐきにしみこませ、香りを鼻へぬきしてから、ゆっくりとのどへ送る。舟がゆれる。水が鳴る。風が頬を切る。熱い霞がほのぼのとのぼってくる。頬へ、眼へ、胸へひろがっていく。――
江波 読んでいる者も何か一緒に食べたり、飲んだりしてるような気分です。
春岡 ほんとですね。
江波 こうして、小説の中の彼、つまり景気調査官は、また別のところに旅立って行きます。日本中を食べ歩くというわけですから。
 作者の開高健は、昭和五年生まれですが、平成元年の十二月十日の朝日新聞には、亡くなったことの記事が掲載されています。 九日に、食道腫瘍と肺炎を併発して死去、とあって、見出しの所に(ベトナム潜入 CMコピー 幻の大魚探し)と書いてあるんです。この三行で開高健の生き様がよく分かります。写真も添えられていますよ。カナダのオタワでの釣りとか、ベトナムのジャングルの中の開高健が載っています。
春岡 亡くなっていなければ、七十三歳ですね。残念な気がします。
江波 そうですね。もっと沢山の作品やルポなどを書いたのでしょうけれど。
春岡 この地方のことが書かれた小説を読むというのも、面白いです。地元に居ながら知らなかったこともあったりしますし。
江波 よく本を読まれる方でも、郷土を描いた小説の存在を知らない人もありますので、ぜひ探していただきたいです。では、次回をお楽しみに。

  ※「新しい天体」終わり