って語るほど知らないかも… ・厚物用工業用ミシンの歴史はまさにシンガーの歴史、ミシン自体の起源は沢山語られているが、工業用ミシンの歴史は『手で縫えないものを縫ってやる!』というためだったようだ。 全盛を誇ったシンガーミシン、かつて工業用の機種名称は開発順につけられた時期があったらしい。(サブクラスは別として) カタログを探すと『シンガー5種』以降についてはその姿を見ることができる。そして一桁ナンバーはすべて超極厚物用ミシン。(上の写真?が5-7) ちなみに厚物用として現在でもコピー、孫コピーが生き残っているものは、7種、11種、16種、17種、18種、31種、45種、51種、96種、111種、132種、144種…などとまさにシンガーの歴史が厚物ミシンそのものの歴史なのである。 ・しかし日本に起源がありアジアを席捲しているカテゴリーもないわけではない。これが垂直全回転釜上下送りミシンである。 昭和40年代に日本のとあるミシン屋さんが思いついた。『そうだ、96を上下にして厚物を縫おう!』シンガー96種は今の一般本縫いの原型で、ちなみに95種が職業用の原型である。 そして日本の高度成長とともに国内の縫製業者にどんどん使用されて行くことになる。日本での縫製の衰退、産地移動とともにまずは台湾、香港、韓国へ、そして東南アジア、現在は中国で大量に使用される製品となっていった。日本国内でしか生産されていなかったころは国内2社あわせてせいぜい年間2万台くらいだったのが、現在中国国内では各社あわせ月産1万台?ともいわれコピー、孫コピー、ひ孫コピー全盛である。だから上下送りミシンってアメリカ・ヨーロッパ圏ではまったくといってよいほど使われていないんだよね。 そんな昔の上下送りミシンだ。このころはまだ懐の真ん中を軸が通ってるぜ! ・国内市場において関東では『上下送り』関西では『総合送り』と言われていた。詳しい事情は知る由もないが、産業の構造にあったのではないかと勝手に推定した。かつて東京では都内にも多くの職人さんが存在し、革の小物、財布類、バック等を作成。それに対し関西では柳ごおりの歴史をもつ豊岡地区などの産地が存在。ここでは旅行かばんなどが多く作成されていたのではないかと思われる。(そこら辺ご存知のかたぜひ教えてください) よって東京地区では『小回り』の利く針が動かない上下送りミシン、そして大物を扱うことが多かった関西地区では小回りよりも『送り力』のあるパワフルな総合ミシンが使われたのではないだろうか?ミシン屋さんは店により『得て』『不得手』があり、顧客も得意分野の顧客がつくようになる。すると販売するミシンはそのミシン屋さんでもっとも荷動きのよいものを進めるようになるはずだからおのずとその地域の特性が形成されてくるのである。 ・カテゴリーは違うが靴用ミシンでも面白い特色がある。ケミカルシューズ関係の代表的な産地に神戸がある。ここで使用されるポストミシンは、ローラー押さえではなく本縫いのような自由押さえ。そして産地移動とともに神戸地区の靴屋さんは韓国へ進出、当然韓国での靴縫製は『自由押さえ』なのである。そして韓国から産地移動した先はインドネシア、そして中国の一部。それらの地区で自由押さえのついたポストミシン見たら『ああ、神戸が発祥なんだなあ・・』とロマンを感じていただきたいなあ。 あっと、ちなみに韓国系ミシンメーカーは最初に針送り自由押さえのポストミシンを作成、台湾系は下送りローラー押さえのミシンを作成したわけですよ。最終的には車輪送りミシンを双方とも作ってるんだけどね。。。
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